第8話 「笑う」のは安心するから

 笑う。当たり前にしていること。でもここ最近、笑うことはできなかった。自分の日常がなくなったこと、理不尽なことに流されているせいで。


 でもここに来て自分はやっと笑えた。それにはちゃんと理由がある。

 絶対とは言い難いけど協力してくれる魔王の息子がいて、彼の思いがけない優しさに安心感をもらっているから。絶望的だった状況だったが、やっと生きる希望が湧いてきたから。


「……笑うのは楽しい時だと思うけど。今の僕は安心したっていう方が大きいかも。シグリッドが色々助けてくれるから。魔物に喰われかけたりして死にそうだったけど、大丈夫かも、これからもなんとかなるかもって思えるようになったから……まぁ、君には迷惑な話かもだけどね」


 自分が安心をもらう一方、シグリッドも自分が現れたことで環境が変わったと思う。今まで何も気にせずに生活していただろうから、手間をかける存在がいて、わずらわしくないだろうか。


「別に、俺はリンゴが食べれるからいい」


「気に入ったんだな」


「他のでもいいぞ」


 その言葉に、また笑ってしまう。無表情だけど素直な欲求が、かわいい……かわいいって言うのもどうかだが、一つ疑問も浮かぶ。


「なぁ、シグリッドって年はいくつなんだ?」


 かわいいなんて思ってしまったが、彼はいくつなのか、振る舞いや言動からは検討もつかない。若々しい見た目的には二十代半ばの自分とそう変わらない気はする。


「年齢なんてものは知らん。何百年だか」


「な、何百年っ!?」


 声が裏返ってしまった。さすが魔物、老化しないのだ。確かに何百年生きているので並大抵のことには動じない落ち着きは感じられる。


「じゃあ、シグリッドは年を取らないんだ、うらやましいな。永遠に生きられるってことか?」


「それはない。魔物も不老じゃない。一番影響するのは空気だ。空気がきれい過ぎるとダメだ、気持ち悪くなる」


 そんな弱点、教えてもいいのか、すごく大事なことのような気はするけど。

 疑問に思いつつ視線を移した時だった。どこからか消え入りそうな「きゅ」と言う声がした。この声は記憶にも新しいさっきの魔物の――。


「なんか、こっちから聞こえる」


 シグリッドから離れようとしたら、彼もしっかりとついてきてくれた……やはり優しいのかもしれない。

 声のする茂みはすぐそこで、中をのぞいて見ると。そこにいたのはさっきも見たイーターという毛むくじゃらの魔物だったが、緑色の毛が一部赤く染まっていた。


「お前、怪我してるのか」


 とっさにうずくまるイーターに手を差し伸べていた。噛みつかれることもなく、イーターを抱っこすると小さな身体は震えていた。失血で体温が低下してきているのかも。


「ど、どうしよう、手当てできないかな」


 魔物に人間用の薬草が効くだろうか。そんなことを思っていると「なぜ気にする」と言う感情のない声がした。


「なぜって、弱っているのに放っておけないだろ」


「ただのイーターだ。それにお前、魔物は苦手だと言った。放っておけばいい」


 そう言うところは魔物というべきか。何度も優しいと感じる行動を取ってくれているのに、なぜ急に冷たい対応を……同族だからか? 自分はリンゴを差し出せるけど、イーターは見返りなどないから?

 放っておけ、という言葉に反論し、自分は首を横に振った。


「それでも怪我をして死にそうなのを放っておきたくない。でも魔物の手当ての仕方がわからない……シグリッド、何か知らないか」


 魔物の王子なら知っているはず。

 だがシグリッドはイーターを見ながら「わからない」と言った。


「そうか……仕方ないか……」


「違う、わからないのはお前だ。お前はなんでそこまで気にできる。イーターなどそこかしこにいる。触りたければ他のを触ればいい。死ぬやつは死ぬ、気にすることはない」


 その言葉が、とてもむなしい。彼の言う通りだ、そこら辺にたくさんいる。人間もそうだ、この世界にうじゃうじゃいる。

 しかしそんな気持ちでいたら、もし怪我をして倒れていても誰も手を差し伸べない世の中になってしまう。助けたいと思う気持ち……それは見返りなんか関係ない、ただつらい目に遭っている姿は見たくないから。


「だからって粗末にしていい命なんかないと僕は思うよ。確かに僕は魔物は苦手だよ。でもだからって見捨てる気はない。助けれるかもしれないなら助けたい。魔物だからって関係ないんだ……それだけだよ」


 シグリッドは感情がわからない。説明しても理解は難しいだろう。

 それでも彼だって、かすかな感情はあるのだ。


「シグリッド、君はリンゴがうまいって言ってくれたじゃないか。もっと色々食べたいって。それも立派な君のやりたいことだ。僕はそれと同じで助けたいんだよ」


 赤い瞳が、少しだけ丸くなった、驚いたのか。赤い瞳はなんの感情の色を帯びていないが、自分を見てから再度イーターに向いた。


「では俺は、お前がうまいリンゴを作ってくれるために、このイーターを救えばいいんだな」


「……まぁ、そうだな」


 なんだかんだで納得はしてくれたようで、思わず苦笑いしてしまった。言うことはハズレてはいない、この命が消えたら自分のモチベーションは下がるから彼にとってはマイナスなはずだ。合理的な発想かもしれないが今はいい、イーターが助かるなら。


「そいつを貸せ」


 シグリッドの手はイーターにそっと触れた。その瞬間、触れた部分が淡く輝き、あたたかな空気が回った、シグリッドの魔法だ。

 魔王の息子が、小さな魔物の傷を癒しているなんて、すごい光景かもしれない。


「……きゅ?」


 手当てはあっという間に終わった。シグリッドの手が離れたイーターは傷が治ったことに驚いているのか、赤いつぶらな瞳をキョロキョロさせている。


「……すごい、さすがだな」


 元気になったイーターを見たら、また笑えた。


「僕さ、幼い頃に両親が死んだから。そばにいたのはずっと犬とか鳥とかだったんだ。その子達がいるとさびしさも不安もやわらいだ……だから魔物は苦手なんだけど、動物は大好きなんだ」


「ではお前は俺も大好きなのか」


「……へっ⁉」


 普通なら聞かれないセリフに目を見開く。


「さっき、お前は俺が助けてくれるから安心だと言ったから。安心感を与えてくれるやつは好きなのだろう……でも魔物は苦手なのか……よくわからないな」


「そ――」


 一気に顔が熱くなり、前を向いていられず、抱っこしたイーターに視線を移すと「きゅ?」と愛らしい瞳がこっちを見ていた。


(な、何言ってるんだ! な、なんだか、恥ずかしいじゃないかっ!)


 感情がないだけに、思ったことをそのまま口にできるのは、とてつもない破壊力だ。

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