第二話 幼少期(5歳児クラス) その1

 雲一つなく、晴れ渡る空。


 太陽の光が、保育所に燦々と降り注ぐ。


 5歳児クラスの遊びの輪をよそに、俺はブランコに腰を下ろし、一人頭を抱えていた。



 どうしてあんな願いにしちまったんだ………っ!!



 初めて後悔をしたのは、新たな母親が仕事を再開することになり、保育園の3歳児クラスに入れられた時だった。


 これまで、お出かけや買い物で外に出るたび、道ゆくお姉さんたちに振り向かれ頭を撫でられ可愛がられてきた。


 期待に胸を膨らませて3歳児クラスという社会に初デビューしたわけだ。


 結果はどうだろう。 


 確かにモテる。


 めちゃくちゃモテる。


 だけど、モテるのは3歳児。



 全然嬉しくないんだ………っ!!



 本格的に俺が望むようなモテ期に入るまでには、思った以上に、待つ必要があったのだ。


 でも、そんな中でもところ構わずモテ続ける。


 強力な磁石のように、俺の望む望まないに関わらず、女の子を引き寄せてしまう。


 そうだな、モテエピソードを紹介しよう。


 3歳児くらいだと、並行遊びというものが始まる。


 室内遊びで、俺が飛行機のおもちゃを取り出すと、クラスの女の子の大半が同じように乗り物おもちゃを取り出す。


 俺がおもちゃを右に旋回すると、女の子たちもそうする。


 左に旋回する。女の子たちも左に旋回。


 結果、俺を中心に、女の子たちが同じ動作を行うという、宗教儀式のような一種異様な光景が出来上がった。


 一方、乗り物のおもちゃがない女の子は泣き叫び、それでケンカも勃発。


 俺が3歳児クラスに入ってから、乗り物おもちゃの量が3倍に増えることとなった。


 とはいえ、嬉しかったこともある。


 この時期から、保育士のお姉さんにも異様に可愛がられた。


 抱っこしてもらえる時間は、すさんだ俺の心の数少ない癒しの時間だった。


 ただ、保育士というのは(別になんにしてもそうだが)お姉さんばかりじゃない。


 むしろ、人口ピラミッドが歪になったこの少子化の時代、おばあさんの人口の方が多いのだ。


 自然、おばあさんの腕に抱かれる率の方が高かった。


 そんな3歳児クラスのことを思い返していると、保育園服姿のおさげの女の子がこちらにやってきた。


 「ななみけんとくん、だいじょーぶ?」


 七海建人(ななみけんと)。それが、俺の新しい名前だった。


 何故かはわからないが、保育園における呼称は、みんなフルネームだった。


 彼女は遠坂凪乃(とおさかなぎの)。同じ5歳児クラスの子だった。


 色白な肌に左右整った大きな目をしていた。将来はきっと美人になるに違いない。


 女の子というものは恐ろしいもので、5歳にして集団の中で心理戦が繰り広げられる。


 今だって、みんなドッジボールをしながら、女子たちはチラチラと俺の姿を眺めている。


 だがこの凪乃という女の子は、あまりに純粋であるが故に、そんな集団の空気感や心理戦などは全く理解できていない。


 だから、こうして気の向くままに話しかけてくるのだ。


 「大丈夫だよ。ちょっと考え事をしていたんだ」


 「へー。どんな?」


 会話を5歳児レベルまで落とすというのは、案外苦労がいる。野球を知らない子どもにグローブの話をすることが難しいように、共通の概念が存在しない会話というのは、思っている以上にいろんな制約があるのだ。


 「んー、将来のことかなぁ」


 「しょうらいかー。ゆめがあるの?」


 「うん、まぁね」


 「どんな?」


 どんな回答をしたものか、俺は迷った。


 何せ、甲子園に出たいなんて言おうものなら、甲子園という球場から高校選抜野球大会なんてもののことまで説明しなければならない。


 なんなら、野球自体も知っているか怪しいのだ。


 「………プロ野球選手」


 結局、こう答えることにした。


 野球がスポーツであるくらいは、説明するのにも困らない。


 どのみち、会話でもしていなければヒマだしな。 


 「プロやきゅーせんしゅ!すごいねー」


 凪乃は目を輝かせる。


 「野球、知ってるんだな」


 「わたしのおとーさんがね、やきゅーしてるの。よくキャッチボールするんだぁ」


 「へぇー」


 子どもを持っても草野球に打ち込んでるあたり、彼女の父親はなかなかの野球好きなのだろう。


 女の子でもこの年齢からキャッチボールをさせてるんだもんな。


 「なぁ、一緒にキャッチボールしないか?」


 「え、いいの?」


 彼女は、また大きな目を輝かせる。


 俺たちは立ち上がり、凪乃に嫉妬する女児たちの視線をかいくぐり、遊具入れに向かう。


 この保育園にグローブなんてものはなかったから、フニフニのゴムボールを使うことにした。


 「これだったら、おもいきりなげてもケガしないねー」


 ゴムボールを手で押し潰して遊ぶ凪乃から間隔を取り、俺は手を振った。


 「ちょっと投げてみな」


 「わかったー」


 凪乃は左足を引き、振りかぶる。


 そうか、凪乃は左利きだったっけか、と俺は考える。


 凪乃とは3歳児クラスからの付き合いだが、なにせ同学年の子どもに対する興味関心がほぼほぼなかったからな。


 右足を大きく上げ、右手と共に前に押し出す。


 その瞬間、俺ははっとする。


 この構えって…………。


 彼女が放ったボールは、直線方向に俺の胸元に飛んでくる。


 俺は両手で、それを受けた。


 「すごーい!ななみけんとくん、ボールとれるんだね!」


 「……………」


 俺は、言葉が出なかった。


 凪乃の投球フォームが、あまりにも綺麗で無駄がなかったからだ。


 「……次、俺投げるぞ」


 「はーい」


 俺も大きく振りかぶる。

 

 そして、全力で凪乃めがけボールを投げた。


 「わぁー、じょうずー」


 凪乃を上回る直球だったが、彼女はそれを難なく受けていた。


 それを見て俺は確信した。


 彼女は、父親から相当に野球を教え込まれてる。


 彼女の言うキャッチボールというのも、ただの親子のキャッチボールじゃない。


 将来本格的に野球をすることを見越した、特訓とも言うべきものだろう。


 「凪乃、お前がお父さんと野球する時に使ってるボールって、どんなのだ?」


 「え?ゴムで、もっとかたくておもいやつだけど?」


 間違いない。軟式球だ。


 5歳の女の子に軟式球でキャッチボールをさせるなんて、なかなかな父親だ。


 だが、俺にとっては好都合だった。


 「凪乃」


 「なにー?」


 「これからさ、毎日俺とキャッチボールしないか?」


 「え、毎日わたしとあそんでくれるの?」


 彼女はまた大きく目を輝かせる。


 喜ぶべきはこちらの方だった。


 これで、保育園にいる時間も毎日野球の練習に打ち込むことができる。


 それだけじゃない。


 彼女は父親から教えられて、日に日に強くなっていく。


 俺は彼女と一緒に、成長していくことができる。


 これ以上ない練習相手だ。


 「なぁ、一つ聞いていいか?」


 「うん、いいよー」


 「これだけ練習してるってことはさ、お前の将来の夢も、もしかして………」


 「あ、わかっちゃった?」


 彼女はニコリと、大きな笑みを浮かべた。


 「私の夢はねー、ななみけんとくんのおよめさん!」


 そう凪乃が言い放った瞬間、園内の空気が一気に変わった。


 周囲は剥き出しの殺気に包まれ、憎しみにも似た幾つもの嫉妬の目が、俺たちを取り囲んだ。


 無論、保育園中の女児たちによるものだというのは言うまでもない。


 「あー………そうなんだ。………あ、ありがとう」


 殺気に当てられ、いくら女児といえども恐怖を感じた俺は、極力当たりさわりのない返事をして無理に微笑む。


 俺、モテるのはいいけど、将来誰かと付き合ったりして、刺し殺されたりとしないだろうな………?


 そんな一抹の不安を抱えながら、俺は苦笑いを浮かべたまま、キャッチボールを続けるのだった。

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