第九話 少年期(小学5年生) その2


 遠坂邸の離れにある、練習場。


 そこのブルペンに立ち、俺は投球練習を重ねていた。


 「もう一球、同じフォームで投げてみてくれ」


 「はい」


 俺の隣には、指導のために一人の男がついていた。


 彼の名は濱北昇(はまきた のぼる)。


 中肉中背だが、Tシャツの袖から出た腕は隆々としていて、かつてアスリートだったことを思わせる。


 濱北さんもまた後楽ギガンツの投手であり、なんと遠坂臙士とは同期の間柄だった。


 だが、ギガンツファンでも濱北昇の名を知る者は少ないだろう。


 濱北さんは3年の夏、八熊高校のエースとして島根の県大会を優勝に導き、甲子園に出場を果たした。


 甲子園では打撃の援護がなくニ回戦敗退となったが、その鋭い制球力が買われてギガンツに4位指名で入団。同じく甲子園を賑わせた遠坂臙士と並んでプロ入りを果たした。


 だが、後楽ギガンツ入団後は成績が振るわず、一軍での登板はわずかに5回。5年目に契約解除。その後はバッティングピッチャーとして10年ほど働いていたようだ。

 (ちなみにバッティングピッチャーとは、プロの打者がバッティング練習をするときにピッチングを務めるために球団から雇用されている投手のことだ)


 彼がカルムズのコーチとしてやってきた当初、俺はてっきり監督が同期のよしみで雇い入れたものだと思っていた。


 だが、俺はその考えをすぐ改めることになる。


 「うん、さっきより良くなったな」


 濱北さんは満足げに頷く。


 「だが、腕にまだ力が入りすぎて、振りが甘くなっている。もう少し今のフォームに慣れさせないといけないな」


 「はい」


 俺はリストバンドで汗を拭う。


 そう。


 濱北さんがカルムズのコーチに抜擢された理由。


 それは、その類まれなる野球眼によるものだった。


 プロとして、またバッティングピッチャーとして多くの選手を見てきたからか、あるいは天性のものなのかはわからない。


 濱北さんには、選手の動きを見ただけで、その問題点と改善の方法がすぐにわかるのだ。


 そしてそれは、俺のような荒削りの選手だけでなく、一流のプロ選手についても当てはまる。


 一緒に野球中継を見ていても、成績の伸び悩む選手がいると、濱北さんは問題点と改善の方法をボソリと言ったりする。


 そして次の年、その選手が成績が好調になっていると、少なからず濱北さんの言った改善法がその通りに実践されていたりするのだ。

(つまりそれは、プロ球団内のコーチも濱北さんと同様の眼を持っていることを意味するが)


 そこに気づいてからというもの、濱北さんに対する俺の尊敬は、いつからか遠坂監督と並ぶものになっていた。


 「よし、ちょっと休憩しようか」


 俺は壁際に置いているスポーツドリンクを手に取り、ベンチに腰掛ける。


 濱北さんも、俺の隣に腰を下ろした。


 「だいぶ投球のクセは取れてきたな。俺と出会った頃は、まるで甲子園上がりの草野球のおじさんみたいなフォームだったが」


 「あはは………」


 俺は愛想笑いで誤魔化す。


 当然濱北さんは俺が転生し二度目の人生を歩んでいるなど考えもしていないだろうが、それでもどこかヒヤヒヤした思いになる。


 濱北さんの指導もあり、今年に入ってから俺の最高球速は105km/hに到達していた。


 最高学年になる来年は、110km/hも十分に狙えるだろう。


 「ところで健人、お前友達で運動神経のいい奴がいたりしないか?」


 「突然どうしたんです?」


 「実はなぁ、臙士が今度のUー12の野球世界大会に凪乃を出したいとか言い出したもんだからな。そのために、カルムズを全国大会に出させたいんだと」


 俺もこの前、監督直々に話されたことだった。そのことは話さずに、俺は話の続きを待つ。


 「この東東京区は激戦区だからな。正直言って、お前や凪乃をフルで起用しても、全国へ行ける保証はない」


 濱北さんの言うことは俺にもよくわかった。


 カルムズは、俺と凪乃の二強で成り立っているチームなのだ。


 他の選手も悪くはないが、平凡の域を超えない。


 どれだけ監督やコーチが良くても、本人の才覚とやる気がなければ、週三日の練習では限度がある。


 正直前回の大会でベスト4まで行けたのも、時の運によるところが大きい。


 「もう今からじゃ遅いかもしれないが、選手の補強を図りたいんだ。例えば一人、とんでもなく力のある奴でもいれば、大会までにバッティングを鍛え上げて一端の打者にすることができる」


 そして守備はライトでも守らせればいい、ということか。


 小学生の野球というのは、まだまだ技術が拙いぶん持ち前の運動神経が影響するところが大きい。


 特に打球をスタンドに叩き込む力というのは、誰でも得ることができるものではない。


 才能に左右される世界なのだ。


 「どうだ、誰かいい奴はいないか?」


 「いい奴ねぇ………」


 俺はクラスメイトの顔を次々に思い浮かべて見るが、これといった子は見つからない。


 そもそも、俺には大雑把に運動神経のいい悪いはわかるが、野球に向いているかどうかなんてわからないのだ。


 ただでさえ俺にだってそれほど運動神経が備わっていないというのに、全国大会に出るためのメンバーを発掘するなんていうのはとても……………。


 そのとき、あるクラスメイトの顔が頭をかすめた。


 「……………そうか!!」


 「なっ、なんだ!?」


 突然のことに濱北さんが飛び上がる。 


 「いい奴、見つかるかもしれません!」


 「そ、そうなのか…………?」


 驚きからか濱北さんの反応は薄いが、興奮している俺は気にも留めない。


 こうなったら、居ても立っても居られない。


 「すみません!先に上がります!」


 「お、おい!」


 俺は早々に荷物をまとめる。


 そうして練習場を飛び出ていく俺の後ろ姿を、遠くで濱北さんは呆然と見つめるのだった。


 「先に上がるって、これはお前のプライベートレッスンだろ………」

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