第九話 少年期(小学5年生) その3
次の日。5−1の教室に入ってきた少女に、俺は唐突に声をかけた。
「夏鈴!」
突然のことに、夏鈴は尻尾を踏まれた猫のように飛び上がる。
「何よ。もう、朝からおどかさないでよ」
「おどかしてない。お前が勝手におどろいただけだ」
「急に声をかけて相手がおどろいたら、それはもうおどかしてるのよ」
「じゃあおどろかなけりゃいいだろう」
なんなのよもう………と夏鈴は胸をおさえる。
「なぁ、話があるんだ」
「なんの話よ」
「ここじゃ話せない。大事な話なんだ」
俺の発言に、急に夏鈴は顔を赤らめ周囲を見回す。
心なしか、周囲の生徒たちも俺と夏鈴に注意が集まっている。
「ちょっと、声が大きいから!」
「将来に関わる大事な話なんだ。一緒に来てくれ」
次の瞬間、女子たちから謎の歓声と悲鳴が上がる。
「だ、だから、貴方、何を言って………」
「いいから来てくれ!」
俺は強引に夏鈴の手首を握り、教室の外へ連れ出した。
そうして廊下をわたり、階段を登ってたどり着いたのは施錠された屋上へと通づる階段の最上階。
窓もなく薄暗いその場所で、ようやく俺は夏鈴を解放した。
「もう、なんなのよ一体………」
見ると、夏鈴はまだランドセルを背負ったままだった。
流石に強引だったか。
だが、夏鈴がランドセルを下ろすのも待てない。
「聞いてもらいたいことがあるんだ」
「それはさっき聞いた。これで実は何もないって言ったらぶっ飛ばしてるとこよ」
夏鈴の呼吸が整うのを待って、俺は話し始めた。
遠坂監督が言った、全国大会出場の目標のこと、そして昨日濱北さんから話してもらった、新たに戦力を増強する必要があるということ。
そして、そのためは夏鈴の力が必要だということ。
「つまりはこうだ。基礎能力の高い5、6年くらいの奴をうちのチームに引っ張ってきて、濱北さんにしごいてもらう。時間がないから、基礎をマスターしたらバッティングや走塁なんかの一部だけに特化した練習をするんだ。そうすれば、最強の代打代走要員が出来上がるし、場合によっちゃライトあたりを守らせてスタメンに入れてもいい」
「なるほどねぇ」
「その新入部員を探すのを、お前に手伝ってもらいたいんだ。ほら、お前は転生スキルで、相手の能力値がわかるだろう?一緒にこの学校を歩き回って、野球に活かせる能力の高い奴を見極めてくれないか?見つけてさえくれたら、あとは俺がうまく誘うからさ」
「……………」
夏鈴は宙を見上げたまましばらく静止する。
何かを考えている時の仕草だった。
「まぁ、話は大体わかったわ」
再び視線がこちらに戻ってきたとき、夏鈴は言った。
「ただ、問題が一つだけあるわ」
「ああ、お礼のことだろう?お前が時間を大切にしてるのは知ってる。ちゃんと見つけてくれたら、キャベツ太郎を3袋買ってやろう」
「………私の時間を駄菓子で買おうっていうの?」
夏鈴はムスッとして目を細める。
「別に手伝うのはいいわ。だけど、貴方自身の将来にとって大きな問題が生じる」
「どんな?」
「大抵の人間は、自らの適正が何かをわからないまま、その時の気分や親が選んだっていう理由で自分が身を置くスポーツを選択するわ。それで成功する人もいれば、うまくいかない人もいる。でも、仮に私が野球適正が最高の子を見つけてきて、野球をさせたとしましょう。その子が野球に夢中になって練習し続ければどうなると思う?」
「めちゃくちゃ上手くなる………?」
「トッププロになる可能性すらあるわ。だって、最高の野球適正に元プロの監督とコーチという最高の環境が合わさってるのよ?あとは本人のやる気があれば全然夢じゃない」
まずい。
そんなことになれば、俺はとんでもない怪物をライバルに抱えることになる。
そいつと俺が高三の時ドラフト会議で競り合おうものなら、はっきり言って勝てる自信がない。
だって俺は、野球においては過去の知識と経験以外これといった能力を持ち合わせていないのだから。
「で、でも、こんな平凡な公立の小学校で、そこまで才能がある奴なんていないだろう。流石に」
「そんなことない。仮に少なく見積もって、オリンピック選手やスポーツのトッププロになるだけの才能を持っているのが上位1%だけとしましょう。もしそうだとしても、この200人ちょっとの小学校にもその才能を持つ人が2名はいる計算になる」
「そんな………」
愕然として、俺はうなだれた。
夏鈴の言うとおり、人間は自分の適正に合ったスポーツを選択するとは限らない。
才能がありながらスポーツをしないという選択をする人もいるだろう。
自分の能力に合うスポーツを選ばせるということは、最大限の力を発揮できる天職を見つけてやるに等しいのだ。
「じゃあ、俺はどうすれば………」
「どうしても即戦力が必要なら、6年生で探すことね。そうなれば、仮にその子がトップレベルの力を得ても、貴方とは学年が違うからドラフト会議では争わない」
確かに。
ひとまずは、それで行くしかないようだった。
だが、ただでさえ将来凪乃とはプロをかけて争うことになるのだ。
今は必要だとはいえ、将来のことを考えれば、この方法はやめた方が良さそうだった。
教室に戻ってきた時、クラスはどえらい騒ぎだった。
「なんだなんだ!?」
俺たちを見かけるなり、ヒューヒューと冷やかす男子、それに数カ所で泣き崩れる女の子と、それを励ますように背中を撫でる友達。
黒板に目をやると、大きく相合傘が描かれ、その傘の下には俺と夏鈴の名前が書かれている。
「なんだこれは…………」
「あきれた。当然でしょう」
まさか、さっき俺が夏鈴を教室の外に誘ったのが、周囲には告白に見えたのか………?
混乱する俺の側で、夏鈴はまた、わざとらしいため息をつくのだった。
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