第十八話 少年期(小学5年生) その11

「七海さーん!もう一球お願いします!」


授業が終わり放課後。


遠坂家の屋内練習場で、俺は葵と守備練習を行なっていた。


「次、手前に打つぞ」


俺のノックを、葵は軽々と捕球する。


その上達ぶりには、目を見張るものがあった。


まだ際どい球だと取りこぼすことはあるものの、大抵の打球なら飛んできたものを止めることができる。


これなら、あとはバッティングを練習すれば、案外地区大会にも間に合うかもしれない。


「ちょっと休憩しようか」


「えぇー、まだできますよー?」


葵は渋るが、俺は構わずバットを置いてベンチに座り込んだ。


仕方ないといった様子で、葵もようやくグラブを外す。


「すごい成長ね」


隣に座る夏鈴が、本を閉じて俺に水筒を渡す。


「お前の目で見て、葵の能力値に変化があったのか?」


「私のスキルを使わなくても、目に見えてわかるわ」


素人の夏鈴が見てもわかるのだから、かなりの成長なのだろう。


事実葵は、俺や濱北さんのアドバイスをきちんと聞いて、まるでスポンジのように吸収する。


そうして毎日のように、動きの細やかな部分が改善されていく。


才能ももちろんあるだろうが、葵のひたむきな姿勢が、この成長につながっていた。


「反対に、あの子は不調気味のようね」


隣のブルペンの方にいる凪乃の方に、夏鈴は目をやった。


試合から一週間が経っても、凪乃は立ち直れずにいた。


さっきから壁に向けて投球をしているものの、球に勢いがなくコントロールも定まらない。


「ピッチャーなら誰だってメッタ打ちされたことがあるし、不調の時だってある。これまでの凪乃の結果が出来すぎてたんだよ」


「まぁ、そうでしょうけれど」


俺の言葉に、夏鈴は腑に落ちていないようだった。


「貴方は前世の記憶があるから、ある程度の経験もあるし、仮に彼女の立場でもすぐに立ち直ることができるでしょうね。でも、あの子は遠坂臙士の娘で、幼い頃から野球漬けで育った、いわばエリートなのよ?温厚な彼女でもそれなりにプライドがあるでしょう」


それを聞いて、八王子オリオンズとの練習試合より前に、凪乃と葵がバッティング対決をしたことが思い出される。


あの時、凪乃は葵に対し決して手を抜かず、最後葵にかけた言葉も、バチバチにプライドを感じさせるものがあった。


「これまで負け知らずだったのだから、プライドが崩れるショックは相当なものでしょう。それに、あんまりメンタルの強い子じゃないでしょうし」


「……………確かに」


言われてみれば、その通りだった。


俺はもう一度凪乃の方に目をやる。


その時、たまたま凪乃と目が合った。


浮かない表情と、目の奥から感じ取れる陰鬱とした心境。


言葉を交わさずともわかる。


これはまずい。


「俺はどうすればいいんだ……………?」


「気分転換をさせてあげることが先決ね。感情とは難しいもので、暗い気持ちを抱え続けると、悪いスパイラルに陥ってどんどん悪化することになる」


それはマズいじゃないか……………ッ!!


「どうすれば気分って転換できるんだッ!?」


「そうね………彼女が好きなものに集中する時間を作ってあげてリフレッシュする、とかかしら」


「凪乃が好きなもの………」


俺は思案を巡らせた挙句、一つ浮かんだ。


「そうか、野球だっ!」


「貴方バカなのっ!?」


夏鈴はのけぞり、あきれと驚きの狭間のような表情で俺を非難した。


「大声を出すな。驚くだろう」


「あの子は野球で悩んでるのよ!?そこに野球をさせようなんて、傷口に塩どころかニードロップを喰らわすに等しいわ」


そんなに声を荒げなくても。


俺はなだめるように両手で制する。


「まぁ、お前の言いたいことはわかる。だが、一つだけ言わせてくれ」


「……………なによ」


「ニードロップは傷口を広げる目的でするにはリスクが高すぎる。無難にいくならローリングソバットの方が………」


「どうでもええわッ!!」


関西弁でツッコミを与えられてしまった。


ゼェゼェと息を吐く夏鈴を眺めながら、俺は凪乃のことを考える。


「凪乃が野球以外に好きなものって、何があったかな」


「もう。6年の付き合いだからある程度はわかるでしょう?」


好きなもの、か。


甘いものは好きだろうが、それに集中させるというのは考えものだ。


食べ過ぎてでっぷりとしてしまっても困りものだからな。


そうなると………。


それら以外では、俺は一つしか思い浮かばなかった。


「どう、思いついた?」


「ああ」


俺はベンチから立ち上がり、ブルペンから出ようとする凪乃に近づいた。


ちょうど、投球練習に一区切りつけたようだった。


「凪乃」


「ん、なにー?」


いつも通りの表情を作って見せるが、元気がないのは明らかだった。


「俺とデートしないか?」


「えっ………?」


時が止まったかのように、凪乃の身体が硬直する。


そう。


凪乃の好きなもの。


それは野球を除けば、俺以外にはいないだろう。


「で、デデ………?」


陰鬱な瞳に光が宿り、続いて四方八方へ揺れ動く。


両手で口元を押さえ、身体が小刻みに震えた。


「うぇええええぇぇぇッッッッッ……………!?!?!?」


「お、落ち着けっ!」


俺はなだめようとするが、その声を聞きつけて、夏鈴と葵が駆け寄ってくる。


「ど、どうしたんですか!?」


「で、デデデで、デデデデデデ………」


「遠坂先輩、ついにバグったのですか!?」


「ついにってなんだよ」


夏鈴は俺に耳打ちしてくる。


「貴方、なんて言ったのよ」


俺がさっき言ったことを夏鈴と葵にも話した。


「ズルいです!」


それを聞くなり、葵は少し顔を赤らめてそう言った。


それから、自分以上に頬を紅潮させる凪乃に向かって指をさした。


「先輩!前みたくバッティングで勝負です!七海さんとデートに向かうのは、この葵を倒してもらってからにしましょうか!」


「おいっ、葵っ!」


俺は葵の腕を掴んで止めるが、引き下がる様子はない。


野球の敗戦で落ち込んでいる凪乃に、これ以上負けを味わせようものなら、それこそ凪乃は潰れかねない。


「凪乃、この話は一旦置いておく形で………」


「いいよ」


凪乃は俺ではなく、葵の方を向いて、力強くそう言い放った。


それはもう、さっきまでの暗さを持った凪乃とは違っていた。


そこからはトントン拍子に話が進み、俺をよそに二人はマウンドと打席へ向かっていく。


「夏鈴、あいつら大丈夫かな…………」


「大丈夫な展開ではないでしょう」


夏鈴は俺を一瞥して、深くため息をついた。


「ほんと、色々と残念なんだから……………」




まぁ、その二人のバッティング対決についてだが、特別に詳細を語る必要はないだろう。


なにせ三球三振。


球速こそ不調で落ちていたものの、プロ顔負けの、気持ちいいまでに全てストライクゾーンぎりぎりに入れての離れ業を見せて、あっさりと葵はノックアウトされた。


流石にこれには、並のバッターでは手も足も出ない。


「ここまでの差があるとは……………!!」


葵はショックに打ちひしがれていた。


まぁ、いくら凪乃が不調でも、逆転できるまでは実力差が埋まっていなかったということだろう。


「七海くん………」


勝負を終えて、凪乃は顔を赤らめてこちらに寄ってくる。


「おでかけ、どこにいく……………?」


見たこともない凪乃の表情に、俺はドギマギする。


おいおい、相手は小学生だろう。


気持ちが落ち着かず、助けを求めて夏鈴に目をやる。


だが、夏鈴は俺を無視するかのようにそっぽを向いていた。


「そ、そうだな……………」


ヤバい。


ここにきて、俺は重大なことに気づいた。


これ、俺にとっても前世含めて初のデートじゃん。


葵の嘆きの声がこだまする室内競技場で、俺は緊張の混じった、変な動悸を覚えるのだった。


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