第十九話 少年期(小学5年生) その12


日曜日の昼下がり。


空は雲一つない快晴だった。


頬を撫でるそよ風が心地いい。


そんな日、俺たちは駅前のアーケードを4人並んで歩いていた。


「今日の練習、めちゃくちゃキツかったですねー」


右隣の葵が、俺の袖を掴んで身体を寄せ、明るく俺に話しかける。


「ああ、そうだな……」


俺は作り笑いを浮かべて曖昧に返す。


なにせ、別のことが頭を埋めていて、気が気でなかったのだ。


「むぅ〜〜………」


左手から、熱気を感じさせるほどの嫉妬のオーラ。


そう。


今回俺を悩ませている相手が、まさに俺の左隣にいた。


「なぁ、凪乃はどこか行きたいとこあるか?」


「むぅ〜〜」


むくれている。


それも、ひどくわかりやすく。


ほっぺを膨らませ、不機嫌に顔を赤くしている。


いつもふわりとしていて朗らかな凪乃が、こんな表情をするのは極めて珍しい。


理由は明白だった。


「それにしても、いいお出かけ日和ですねー」


そんな凪乃をよそに、葵は腕を伸ばして明るい太陽に手をかざす。


「むぅ〜〜〜〜」


そう。


この日は何を隠そう、凪乃と約束したデートの日だったのだ。


「まさに両手に華ね」


夏鈴は俺の後ろにまわり、他人事のようにそう言った。


「なぁ。今日は俺と凪乃のデートの日だって知ってるだろう」


「もちろんよ。目の前で約束が交わされたんだもの」


実に平然と言ってくれるなぁ。


「なら、ちょっとは気を使ってくれてもいいだろう。見ろよ、凪乃の顔を」


夏鈴は後ろから回り込んで、凪乃の顔を確認する。


「むくれてるわね」


「膨らみすぎて、ほっぺが破裂せんばかりだろう」


「ええ。人間の頬の柔軟さには驚かされるわ」


一体どこに驚いてるんだよ。


「なんとかしてくれよ」


「仕方がないでしょう。街中で二人で歩くなんてこと、私には見逃すことができない」


「えっ、それって…………」


もしかして夏鈴のやつ、俺と凪乃がデートすることに嫉妬して………。


「クラスの女の子に見つかったら、刺される可能性すらあるもの」


「あ、そっちね」


すぐさま俺は合点がいった。


モテスキルに全振りをした俺にとって、デートとは殺人事件の温床ともなりうるのだ。


「でも、俺と凪乃のお出かけに、女の子のお前たち2人が加わったところで、大した違いはないんじゃないのか?」


強いて言うなら、加害者側の罪状が「殺傷」から「連続殺人」に変わるだけにすぎない。


「大きな違いよ。私たち3人がいることによって、監視の目が増えることになる。危険な相手をいち早く察知することができるの」


「なるほど」


「サバンナのシマウマが群れる理由の一つはそれよ」


確かに、襲われる側からすれば、集団で身を守った方が生き残れる可能性が高い。


サバンナに例えられるのもあれだが。


「そして、彼らが群れる理由はもう一つ」


夏鈴はツインテールの髪をくいと払った。


「仮に一人が刺されたとしても、その子を犠牲に残り二人は逃げることができるわ」


「怖いなッ!!」


どうしたの?とでも言うように、夏鈴は平然としている。


「私たちが貴方といるリスクを最大限減らせる方法がこれ。これは希釈効果と呼ばれる、動物たちの生み出した立派な戦略よ」


なにその専門知識。


まさかデート一つに進化生物学の話を出されるとは。


俺も変わり者である自覚はあったが、夏鈴も相当なものだった。


そんな感じで歩いていると、アーケードの中にあったある店に俺の目が止まった。


「あっ、松江モデルの新しいやつじゃん」


そこは個人が経営するスポーツショップで、俺も時々寄っていた。


その店の窓越しに、ギガンツの松江選手のポスターが張り出され、その下に彼のモデルのバットが展示されていたのだった。


「なぁ、凪乃も松江好きだったよな。あれ良くないか?」


俺が指さした先に凪乃も目をやるが、すぐに俺の方に向き直った。


「ねぇ、七海くん」


「ん、なんだ?」


「今日は、野球禁止でいい?」


「野球禁止?」


俺は首をかしげる。


「野球しようにも、こんな街のど真ん中じゃキャッチボールもできないじゃないか」


俺がそう言うと、夏鈴と葵が目を合わせ、ため息をついた。


「………先輩、デリカシーの『デ』の字もないですね」


「いえ、『テ』の字すらないわ」


「おい、誰が『゛(てんてん)』しかない存在だコラ」


凪乃が辛抱強く、言葉を続ける。

 

「そうじゃなくて、野球のお話とか、野球のお店に行くのも禁止にするの」


「……………」


言われて、流石に鈍感な俺でもわかった。


少しでも野球から離れて、気分転換がしたいのだ。


元々、そういった目的のデートだったもんな。


「わかった。それじゃあ、今日は野球の話はナシだ」


「うんっ!」


元気よく、凪乃は頷いた。


***


そんなわけで、俺たちはこれからの行き先を話し合い、ひとまず食事をすることとなった。


駅前に昔からあるであろう古びた喫茶店に入り、席に着く。


店内は淡い明かりが照らすレトロな空間で、コーヒーの香りが漂うおおよそ小学生だけで入るには敷居が高い雰囲気だった。


とはいえ入ってしまったものは仕方がない。


手書きのメニューを見て、俺と葵はハンバーグセット、凪乃はオムライス、夏鈴はナポリタンを注文した。


「なんだか緊張するねー」


凪乃は周囲を見回しながらもじもじとする。


「別に気にする必要ないわ。純喫茶だろうとフレンチレストランだろうと、たかだか飲食店よ」


夏鈴はそう言って澄ました顔でメニューをテーブルの角に戻した。


休日で店は混み合っていたが、皆雰囲気に合わせて静かに話し合っている。BGMには、気にならないほどの音量でジャズが流れていた。


しばらくするとナポリタンが届き、続いてオムライス、ハンバーグセットがやってきた。


「うまっ」


一口食べて、俺は思わず漏らす。


「うまいですね!お母さんの作るパッサパサのハンバーグとは違います!」


「葵の家もか!うちのもさ、絞りたての雑巾みたいにパッサパサでさ……」


「さすがに崩しすぎでしょう!ちょっとは場の雰囲気を感じ取りなさい!」


周囲を見回すと、客の数人がこちらをちらりと見ていた。


場違いの小学生たちが騒いでいると思ったのだろう。


「それで、これからどうします?」


「凪乃、お前どこか行きたいところはあるのか?」


「んー、どこだろう。特に……」


凪乃は元々自己主張しないタイプだからな。


自分の行きたいところなんて、あまり考えていなかったのだろう。


「どこでもいいぞ。買い物に行くなら荷物持ちだってしてやる」


「そんなに買えるほどお小遣いないよー」


まぁ、それもそうか。


小学五年生だもんな。


「それじゃー、七海くんが行きたいところがいいな」


「俺が行きたいところか……」


そんなことを言われると、考え込んでしまう。


まぁ、別に4人で遊ぶだけのことだ。


深く考える必要もないか。


「わかった。俺が最高に楽しめるスポットに案内してやろう」


「わーい」


そんな感じで適当にまとまったところで、ショートカットの女性の店員さんがやってくる。


「食後のホットコーヒーです」


「あ、私です」


夏鈴は受け取り、砂糖とミルクを皿から端に置いた。


「夏鈴ちゃん、ブラックなんだねー」


「すごいです……」


俺は、夏鈴の方をじぃっと見る。


「お前、隠す気ないだろ」


「なんのことかしら」


澄ました顔で、夏鈴は湯気立つコーヒーをすするのだった。



***


そうしてやってきたのは、駅から少し歩いた商業施設内にあるゲームセンターだった。


二階建ての広々とした空間となっていて、さっきの喫茶店とは打って変わって若者たちでにぎわっていた。


「実にベタなチョイスね」


「街中で小学生が遊ぶのにトリッキーなチョイスなんてないだろ」


入れる店だって限られてるからな。


俺と夏鈴の横で、凪乃と葵はまるで初めて来たかのようにはしゃいでいた。


「ゲームセンター!」


「広いです!」


何一つ遊んでいないのに、これだけうれしそうにはしゃいでいるだけで、連れてきた甲斐があるというものだった。


ただ、誤算があった。


それは、俺たちが小遣い制の小学生だということだった。


さっきの昼食でみんなほとんど小遣いを使い果たし、十分に遊べるだけの余裕がもうなかったのだ。


「まぁ、メダルゲームならしばらくは遊べるでしょうね」


そこで、俺たちはお金を出し合い、1,000円分のメダルを購入し、みんなでメダルゲームのコーナーを回っていった。


メダル落としは秒でなくなるため、子ども向けの機体を回りながら、勝ち負けを繰り返して一喜一憂しながら遊んで行った。


「意外と長い間楽しめましたね」


メダルがすべてなくなったのは、一時間くらいした後だった。


これだけ粘れたら大したものだった。


そしてこの日は、最後にプリクラを撮るという、とてもベタな流れで幕を閉じた。



「楽しかったですねー」


帰り道、葵は満足げにそう言った。


実際、俺としてもいい気分転換になった気がする。


毎日野球漬けだったからな。


俺たちは凪乃の家まで一緒に歩き、そこで解散になった。


「じゃあまた明日ー」


みんなが離れていくなかで、俺と凪乃はその場に残った。


どうせだから、練習場で軽くトレーニングをしてから帰ろうと思ったのだ。


門から邸宅までの長い道を二人で歩く中、俺は凪乃の方を見る。


もうすっかり、いつもの朗らかな表情に戻っていた。


「気分転換になったか?」


「うん!」


凪乃は大きく頷く。


玄関のところまで近づいたところで、突然凪乃は立ち止まった。


「どうしたんだ?」


少し俯き、彼女はもじもじしている。


なにかを言いたそうに。


「……あのね、私、物心つく前のちっちゃな時からずっと、お父さんと野球の練習してきたの」


しばらくして、そう切り出した。


「それでね、保育園の頃から七海くんともキャッチボールをしたりして、すっごく楽しかったの」


脳裏に、保育園の頃の凪乃の投球がフラッシュバックする。


まだ5歳児で手足の短かった凪乃が、お手本のようなフォームで投げていたのにはかなりの衝撃を受けた。


「それで、ずっとたくさん練習してきたから、私って野球上手なんだって、思うようになったの」


「……………」


俺は凪乃の次の言葉を待つ。


「だから私、初めて藍染くんにホームランを打たれた時、すっごくショックだったの」


思い出すように、凪乃は夕焼けの空を見上げ、少し表情を暗くする。


「藍染くんが上手なのはわかるけど、でも私なら負けないって思ってた。だからそれからは、ずっと楽しかった野球がなんだか辛くなって、練習もなんだか行きたくないなって、思うようになったんだ」


毎日練習中に見せる凪乃の浮かない表情も、それが原因だろう。


「でも、今日七海くんたちと一緒に過ごして、辛いのも和らいできて、やっと気づいたんだ」



…………そうだ。



俺たちは失敗するし、辛い目にだって遭う。



でも人間は、何回だってやり直せる。



今回凪乃は初めての挫折を経験して、大きく落ち込んだ。



それはきっと、遅いくらいの挫折だった。



人生をかけてやっていたことで、負けを経験する。



その辛さは、並大抵のものじゃなかっただろう。



だからって、全部が終わった訳じゃない。



野球をする以上、浮き沈みもあれば、敗北を経験することも避けられない。



だからこそ、そこから立ち上がる力が大事なんだ。




「やっと気づけたの」



そうだ。


ここからが、俺たちの始まりなんだ………!!



凪乃は、大きな笑みを見せて言った。


「楽しいのって、野球だけじゃないって!」


「……………えっ?」


予想外の答えに、俺は固まりつく。


「みんなで遊ぶの、すっごく楽しかった!野球と同じくらい!だから、野球も大事だけど、ほどほどにして、みんなと過ごす時間を大切にしたい!」


「えっ、凪乃、あのさ……」


なにか声をかけようとするが、テンションが上がってしまった凪乃に届くような言葉が見つからず、俺はその場に立ち尽くす。


「野球以外でやりたいことも、いっぱいあったの思い出したの!それを考えると、なんだかワクワクしてきたんだー」



………。



おいおいおい。



これは、マズいことになってしまったぞ。


このまま練習を重ねていったとしたら、凪乃は間違いなく今後野球界の宝と言える選手になる。


その宝を、俺が今日一日で潰してしまうことになったのだとしたら、これは一大事だ。


なんとかしなければ………!!


「七海くん、また一緒にデートしようねッ!」


「あ、ああ………」


複雑な心境を胸に宿しながら、俺は曖昧に返事をするのだった。

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