第二十二話 少年期(小学5年生) その15

地区大会準決勝。


二回表。


凪乃はストライクを取ったのち、一球外すボール球を投げたが、それを打者がひっかける。


ふわりと上がった打球はちょうどセカンドの上を飛び越え、ヒットとなった。


ノーアウト、ランナー一塁。


続く四番打者はフライに抑えたものの、その次の打者にはヒットを浴びて、ランナー一二塁。


次は幸いにもゲッツーで抑えて、交代となった。


とは言っても、かなり危ない場面だった。


二回裏。


先頭打者は俺だった。


俺はバットを構え、相手を見据える。


マウンドに立つ栗原莉里は、グローブの端から、舌なめずりするような嫌な笑みを浮かべていた。


そして、上体の重心が崩れるほどに足を上げ、腕を振り上げる。


放たれたボールは、速度こそ出ないが、緩やかにシュート回転しながら厳しめのインコースに入る。


俺は一球見逃す。


ストライク。


続く二球目もストライクゾーンに入るがこれも見逃し、三球目は外してボール。


「……………」


いざ打席に立ってみると、その癖の強さを余計に感じる。


スポーツにおいては、熟達した者同士の呼吸のようなものがある。


ある程度上手くなった人間は思考や動きが似通ってくるし、だからこそ、初対面の相手でも、球筋や配球も経験からある程度予測できるようになる。


だから、駆け引きというものも成立する。


だが、この投手に関しては、球の軌道も配球も、まるで予測ができない。


それはまるでサッカーやバスケで素人相手にフェイントが通じないような、そんなやりにくさだ。


四球目、思っていたよりも曲がった球に変化量がなく、ひっかけた球はセンターフライに終わった。


不思議な悔しさを胸に、俺はベンチへ戻る。


その後の打者も苦戦してヒットは出ず、気がつけばカルムズの攻撃は終わっていた。


実力的には、それほどでもないはずだ。


それなのに、打てない。


「あんな素人みたいなピッチャーに競り負けていいのか!?」


監督は俺たちに向けて叱咤を飛ばす。


だが、慣れない限りは仕方がないのだ。


続く三回表は、ファイターズの得点には至らなかったものの、ツーベースヒットが飛び出す場面もあった。


少しづつ、凪乃は崩されかかっている。


やはり、凪乃の調子が戻っていない。


相手の実力は相応のものだから、場合によっては打ちのめされる状況も考えられた。


対して、裏のカルムズの攻撃は、またもや三者凡退。


気づけば、三回を終えて、凪乃は被安打3、莉里はノーヒットノーランという、投手戦で劣る結果となっていた。


「最後までボールを見るんだ!軌道さえ読めれば、まったく怖い球じゃない!」


遠坂監督は珍しく感情剥き出しに怒鳴り散らす。メンバーたちは萎縮して固まるばかりだった。


だが、彼らが対応できないのも無理はなかった。


変化球禁止の学童野球しか経験していない彼らは、あれほどの変化に慣れていないのだ。


元々が怪我の防止のためのルールのため、審判としても、故意に変化させていると判断できなければ違反とすることはできない。


話が終わり、カルムズが守備位置につき始めるなか、俺だけ監督に呼び止められる。


「なんです?」


「凪乃の失点だが、一点までは許容する。だが、二点入ったら、凪乃を下ろしてお前に交代する」


「………準備しておきます」


仕方のない判断だった。


ただの練習試合じゃない。これは全国大会への切符がかかっているのだ。


四回表。


クリーンナップから始まったファイターズの攻撃だが、ここで四番打者がツーベースヒットを放つ。


続く五番打者は、送りバントで堅実に塁へ進める。


これでワンナウト三塁。


スクイズ(走者三塁のときに、打者がバントをして走者を本塁に生還させるプレー)や犠牲フライ(打者が外野へ飛球を打ち、捕球後に走者がタッチアップして進塁または得点するプレー)で一点は覚悟しなければならない。


俺はセンターの位置から、凪乃の背中を見る。


表情を見なくても、動揺が感じ取れる。


実際、次の打者はフォアボールで送り出されることとなった。


ここで監督がタイムを取り、凪乃の元に駆け寄る。


俺たちも凪乃の元に集まる。


凪乃の表情は強張り、明らかに平常とは違っていた。


「凪乃、投げられるか?」


問いかけに、凪乃は弱々しく頷く。


俺は監督と目を合わせる。


明らかに、まともに投げられる状態じゃない。


俺は視線でそう監督に伝えたが、監督の判断は、続投だった。


それでも、続く打者は、スクイズに失敗し、バントし損ねた球がそのままキャッチャーミットに収まって、三振となった。


だが、次の打者で凪乃は再びフォアボールを出してしまう。


気がつけば、ツーアウト満塁という、大量得点につながる大ピンチとなっていた。


「……………」


センターの位置から見る凪乃の背中には、もういつものような無言の自信を感じられない。


いくらなんでも、流石にこれはマズい。


そして現れた九番打者。


低学年のように小さな身体の少女が、ヘルメットをかぶって打席に立つ。


栗原莉里だった。


莉里はバットを構える。


大股を開き、バットを後方へ突き出すようなバッティングフォームで、これまた独特だった。


素人丸出しだ。


普段の凪乃なら安心して見ていられる場面だったが、気がかりな点があった。


小柄な彼女は、その分ストライクゾーンが狭い。


*ストライクゾーン:打者の膝頭の上端から脇の下の下端までの高さで、本塁上を通るスペースのこと。そのため、打者の体格によって変動する。


ただでさえ球が乱れている凪乃が、またフォアボールを出す可能性は十分にあった。


そうなれば、押し出しで一点が入ってしまう。


一球目、鋭い直球が入り、そのままストライク。


二球目も、変わらないほどの速球が外角高めに来て、莉里は見逃した。


ツーストライク。


三球目。速度は今日一番というほど出ていたが、コースが甘いボールが入る。


その時、バットが動いた。


大股の足は大きくテイクバックし、後方へ突き出たバットを持ち上げる。


そして振り子のように、重力に任せて身体全体でスイングする。


「……………ッ!!」


バットは真芯をとらえて、打球はあの小さな身体から出たとは思えない鋭佐で左中間へ飛ぶ。


空の白球めがけて、俺は必死に走る。


だが、打球はすでにダイビングキャッチでもとても届かない位置まで飛んでいた。


落ちた打球をすぐさま拾い上げて、俺はセカンドに送球する。


その頃には、二人のランナーがホームベースに生還していた。


2対0。


先制点を取られてしまった。


「タイムッ!!」


審判がタイムを告げると、監督がゆっくりと出てくる。


理由は、聞かずともわかった。


俺が登板するのだ。


マウンドまで向かう途中、セカンドにいた莉里と目が合った。


その時も、莉里は、先ほどと変わらない悪戯げな笑みで、すれ違いざまに囁くのだった。


「七海くん………♡」

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