第二十三話 少年期(小学5年生) その16
地区大会準決勝。
カルムズ対ファイターズの試合は、四回表にして0対2というピンチに直面していた。
まだファイターズの攻撃は続き、ツーアウト二塁。
二番手の投手を担うことになった俺は、マウンドから相手の一番打者と対峙する。
二塁ランナーを見ると、莉里が小さい身体を低くして、塁から出ている。
一球、牽制球を投げる。
相手はすかさず塁へ戻る。審判がセーフと両腕を横に振る。
際どいとまでは言わないが、かなり攻めたリードではあった。
あのさっきのバッティングを見て、俺の莉里に対する考えは確信に変わっていた。
身体全身を一つの道具のようにして、遠心力をそのまま無駄なくバットへ伝えるあの技術。
生半可な経験者では奇妙なバッティングフォームにしか見えなかっただろうが、あれはあの身体で打つ上で、最も効率のいい形なのだろう。
あいつは、かなりの実力を持っている。
俺は内角高めでストライクを取り、外角のボール球でもストライクを取る。
そして、少し甘めに入れた球を打者は振り、サードゴロとなった。
スリーアウト、チェンジ。
難なくピンチを切り抜けて、俺は安堵する。
実際、これまでの立ち回りを見た感じ、ファイターズというチーム全体の実力としては、まだまだ俺から連打を取れるまでには至っていない。
凪乃だって、いつも通りの実力が出せていれば、無得点のまま勝つことだってできた相手だ。
だが、凪乃の不調と莉里という突如現れた不安材料、それに時の流れが、凪乃を思わぬ形に見舞ったのだった。
野球というものは恐ろしい。
「七海さん、おつかれさまです!」
ベンチの葵が、俺にスポーツドリンクを手渡す。
チームは少し陰鬱なムードになりかける中で、葵だけはいつもの明るさだった。
マウンドにはまた莉里が立ち、カルムズの攻撃は打順が戻って一番の凪乃が、現在対戦をしている。
「濱北さん」
ベンチの隅で腕を組み立つ濱北さんに、俺は声をかける。
「あのピッチャー、どう思います?」
濱北さんはどう答えるか迷うように、少し唸る。
俺は現在関わる人間の中で、濱北さん以上の野球眼を持っている人はいないと思っている。
濱北さんは、今野球において、俺が最も信頼している指導者と言ってよかった。
「一見、ただの癖の強い選手にも見える。だが、それだけじゃない気がする」
「あのバッティング、ですか」
濱北さんは頷く。
「最初は素人の構えかと思った。だが、筋肉量もそれほどあるとは思えないあの小さな身体で、フェンス手前まで球を弾き返すのは異常だ。相当に練習しないとできるもんじゃない」
「じゃあ、相当に向こうの監督がやり手だってことですか」
濱北さんは、また低く唸る。
「確かに真島監督は熟達した指導者だろう。だが、他の選手を見ていると、そこが理由じゃない気がする。そもそも、俺が監督だったら、あの子にあんなフォーム指導はしない」
「どういうことです?」
「育て方の問題だ。指導者である以上、俺たちはその子その子に合った育成指導をする。それなのにあの女の子のバッティングフォームは、非力で小さな選手を無理やりホームランバッターにさせようとしているようなものだ。だからあれだけ見慣れない変なフォームになる。普通なら時間をかけてそんなことはさせない」
そこでようやく俺も合点がいった。
俺がもし監督になって指導する側に回っても、あの体格なら堅実に安打を打つための指導をする。
莉里がどれだけの運動神経の持ち主だったとしてもだ。
「つまりは、我流であそこまで鍛えたということですか」
「おそらくはそうだろう」
無駄のないフォーム、と俺は呟く。
凪乃のピッチングフォームも無駄がないが、それは芸術のように理想的な形、という意味合いだ。
だが、莉里のバッティングフォームは、球を遠くに弾き返すという目的のために無駄を削ぎ落とし洗練させている。
野球というスポーツの常識を完全に無視した、合理性のみを考慮して生まれたフォームなのだ。
「ピッチングは、正直言って大したことはない。あの球にさえなれればうちの子たちも打てるだろう。だが、バッティングがあれだけできるのに、ピッチャーとしてはあの程度なのが不思議だ」
「………あえてあんな投げ方をしているとか?」
「わざと素人みたいに投げて、ナチュラルスライダーに見えるような微妙な変化を意図的につけている、ってことか?」
俺が頷くと、濱北さんは笑う。
「まさか。中学に上がれば普通に変化球が投げられるようになるんだぞ?この一時変化球を投げるためだけに、そんな無駄なことをする必要がないだろう」
そんなことを話していると、その時、主審がフォアボールを告げた。
凪乃はバットとヘルメットを置いて、一塁方向へ走っていく。
これでようやく、うちのチームにもランナーが出たわけだ。
これまでの莉里の投球を見ていて、彼女の球筋はなんとなく読めた。
このまま打順が俺に回ってくれば、チャンスは大いにある。
「七海、お客さんだぞー」
そんな時、チームメイトの一人が俺を呼んだ。
ベンチに入ってきたのは、ベージュのハイネックシャツに赤のカーディガン、タータンチェックのスカートという、子どもにしてはかなり落ち着いた出で立ちの女の子だった。
髪は、お馴染みのツインテール。
「どうしたんだ、夏鈴?」
「図書館の帰りに、応援がてらちょっと寄ってみただけ。それと、この前言ってたマンガ、貸そうかと思って」
こんな正念場にマンガって。
そう思いながらも、俺は夏鈴からマンガの入った紙袋を受け取る。
「勝てそう?」
「それが、ちょっとピンチなんだよ」
俺はグラウンドの向こうのスコアボードを指さす。
その数字に目を凝らしながら、夏鈴はふむと顎に手を添える。
「四回裏にしてノーヒットで2-0。苦戦してるみたいね。まだカルムズにヒットが出てないあたり、貴方も?」
「ああ」
「小学生の球も打てないようじゃ、甲子園は遠いわね」
「おいおい、まだ一打席しか立ってないんだ。それに、あの投手、かなりクセが強くて打ちにくいんだよ」
俺はマウンドに立つ莉里を指さす。
まさかあんな小柄な女の子に打ち取られただなんて夏鈴に知られたくはなかったが、事実なのだから仕方がない。
だが、彼女の反応は、俺が予想していたものとは異なっていた。
「あれ、莉里ちゃんじゃない。あの子、野球やってたの?」
「えっ!?」
俺は驚いて夏鈴を凝視する。
「おい、どうしてお前、あいつを知ってるんだよ」
聞くと、夏鈴はあからさまな様子でため息をついた。
「本当に貴方って自分のことしか見てないのね……。あの子、保育園で一緒だったでしょ?一つ下で、よくトラブルを起こして先生たちを困らせてたじゃない」
「……………あっ!」
思い出した。
一つ下の、さくら組のりりちゃんだ。
小さな身体のくせに好戦的で、ガキ大将のような男の子にも平気で食ってかかっていた子だ。
わがままで、しょっちゅう周囲の子と喧嘩をしていた記憶がある。
直接の関わりはほとんどなかったはずだが、先生たちがその名前を呼んでいるのは、確かに覚えがあった。
「あれが、あのりりちゃんか……………」
「私たちの小学校には上がってきていないかったし、今ファイターズに在籍してるってことは、きっと転勤か何かで引っ越したのね」
すれ違いざまに名前を呼ばれた理由が、ようやくわかった。
あれは聞き間違いでも気まぐれでもなかったのだ。
「ストライク!バッターアウト!」
主審が腕を振り、二番打者は退場していく。
マウンドの莉里と、その時目が合う。
「……………」
彼女は俺に向けて、何やら意味深に微笑んでいたのだった。
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