第二十五話 少年期(小学5年生) その18


地区大会準決勝。

カルムズ対ファイターズの試合。


5回裏にようやく俺のホームランで一点を返し、1対2となった。


続く五番打者はキャッチャーフライとなり、スリーアウト。


6回。センターの守備に入ろうとする凪乃の肩を叩いて呼び止めた。


「なぁ、あの栗原莉里って子のことだけどさ」


「夏鈴ちゃんから聞いたよ。同じ保育園だったんだってね」


「そうらしいな。正直、あんまり覚えてないんだけどな」


「私も。なんだかよく色んな子とケンカしてたってことしか覚えてないなぁ」


凪乃はベンチに座る莉里の方に目をやる。


「そういえば、七海くん、五回が始まる前、あの子に話しかけてたよね。何を話してたの?」


「ああ、あれはな………」


俺は話そうとして、言葉が止まった。


「……………」


凪乃の目の奥に、何やら怒りのようなものがこもっている。


これは、間違いなく嫉妬している。


「……………ちょっとした昔話だよ」


俺は場を濁すようにそう言って、立場についた。


まさか、俺に注目してもらいたいがためにずっと野球に打ち込んでいた、なんて話せたもんじゃない。


話そうものなら、また凪乃の心が乱されるからな。


六回表も、俺は三者三振で抑えた。


やはり、俺とこのチームの子達では、まだまだレベルが違う。


六回裏のカルムズの攻撃は、莉里は先頭打者を四球で出塁させることになった。


これまでの投球を見ていて思ったのは、莉里は変化球による打ちにくさはあるものの、コントロールがよく乱れるということだった。


ボール球が多いし、コース的に甘い球も少なくない。


変化球に翻弄されている今は、うちの打者もボール球を振っているが、慣れてしまえばヒットが出てくるかもしれない。


だが、この回もその後は三者に凡打を打たせて、スリーアウトを取られてしまった。


そうして七回表。


8番打者をファーストゴロで打ち取った次にバッターボックスに立ったのは、あの栗原莉里だった。


小柄な身体で大きなバットを構えて、俺に意味深な笑みを浮かべてくる。


初球、外角高めの際どいコースのストレートを、莉里は見逃した。


幸い、審判はストライクの判定をする。


二球目、キャッチャーの子が内角高めのストレートでサインを送る。


俺はすぐさま頷いて返す。


投げ慣れた定番の配球だった。


次に投げた球は、内角と真ん中の間あたり、少し甘めの場所へと軌道を描いた。


その時、莉里の身体が動いた。


重心が崩れそうなほどのテイクバック、そしてすべての力と重みをバットの一点に集中させるような、フルスイング。


「……………ッ!!」


甲高い快音を打ち鳴らして、白球はレフト方向、ファールギリギリのゾーンへと飛んでいく。


三塁線の向こうを見つめながら、俺は球がそれることを祈る。


そしてそれは勢いよく、金属ネットにボールが叩きつけられた。


「………ホームランッ!!」


審判の判定を聞いて、俺は呆然と立ち尽くす。


嘘だろ……………。


この俺が、まさか小学生、それもまだ四年生の子にホームランを打たれるなんて……………。


莉里は俺の表情を楽しむかのように、ダイヤモンドを回りながら俺の顔を眺めていた。


これで1対3。また点差は広がったのだった。


***


「大丈夫ですよー。たかが一点じゃないですかー」


ベンチの片隅で、葵が俺を慰める。


あの後、俺は崩れずに三者を凡打で抑えた。


広がった点差も胸を痛めたが、あの莉里に叩きのめされたのが、何よりもショックだった。


監督が、気落ちする俺の背中を叩く。


「気を落とすな。まだこれからだ」


俺は頷く。


まだ試合は終わっていない。


それに、前半で凪乃を使った今、俺の後ろには、もう頼れる投手はいないのだ。


カルムズの攻撃は、六番からだった。


莉里はフォアボールを除いてほとんどを凡打で処理しているため、投球数も少なく疲れを見せていない。


「絶対打ってくるからな」


6年のその子が俺の肩を叩き、バッターボックスへ向かう。


みんな、チームのために、残された投手である俺を励まそうと、がんばってくれている。


俺がなんとかしなくちゃならない。


莉里と対峙する、身長の高いその6番打者を俺たちは固唾を飲んで見守った。



だが、現実はそんなに甘くなかった。



二球目に甘めに入った球をその子は当てにいったが、スライダー方向の変化でうまく外され、ボテボテのゴロに終わってしまった。


ワンアウト。


「……………」


場に、重い緊張の空気が流れる。


続く8番打者も、サードゴロに倒れてしまう。


これでツーアウト。


このまま攻撃が終わり、この空気のまま2点差で八回に入っていくとなれば、さすがに敗色が濃厚となってくる。


9番は、莉里のすっぽ抜けた球が打者の肩を打ち、デッドボールの判定が下った。


それほど球威もないため、大したケガにはなっていないようで、9番の子は平気そうにヘルメットを脱いで一塁に向かう。


ここで、監督が立ち上がり、葵に声をかけた。


代走の指示だ。


9番の子と、葵が入れ替わる。


ツーアウトからの代走か、と俺は考える。


交代した9番の子の守備位置はサード。


ベンチのメンバーを見る限り、監督はこのまま葵に守備を任せるだろう。


葵も、まだ野球を始めて一か月とは思えないほど上達をしているが、準決勝で守備を任せられるほどにはまだ成長していない。


苦しいところだが、この窮地とあっては致し方ないといったところだろう。


次の打者は1番に戻って、凪乃。


重々しい表情で素振りをする凪乃に、俺は近づく。


振り切ったバットの先をグラウンドに置き、凪乃は振り向く。


「あの子、七海くんのこと、好きなんでしょ?」


「えっ………?」


唐突な言葉に、俺は驚いて凪乃を凝視する。


「それで、きっと私のこと、嫌いになってる」


真剣な表情で、凪乃は俺を見る。


いつもののんびりとしていて鈍感な凪乃のイメージとは、大きく離れた発言。


見ると、長い髪や目鼻の形はそのままでも、保育園の頃よりも当然ながら身長は伸びて、顔つきも少しづつ大人へと近づいている。


毎日一緒にいたから気づけなかったが、凪乃は精神面でもまた成長していたのだ。


凪乃はマウンドの莉里を見る。


何が面白いのか、彼女は舌なめずりをしながら不気味な笑顔で俺たちのやりとりを眺めている。


「この打席、絶対打つから」


見てわかるほどの闘志を燃やし、凪乃はバッターボックスへと向かっていく。


久々に感じる凪乃の頼もしさの裏に、俺は一抹の不安を覚える。


ここでもし完膚なきまでに打ち取られたら、それこそ凪乃は立ち直れなくなるんじゃないか………?



そんな緊張感漂う打席の初球は、ボール球の速球だった。


凪乃は見逃して、ワンボール。


そして二球目。


クセの強い、緩やかに斜め方向へ曲がるボールを、凪乃は振りに行く。


だが、タイミングが合わず、バットは空を切る。


その時、葵が動いた。


姿勢を低くして、全速力で二塁へと疾走する。


盗塁だ。


キャッチャーは慌てて二塁へ送球をするが、葵の速さが勝り、球よりワンテンポ早く葵が先にセカンドに滑り込む。


セーフ。


この見事な盗塁に、カルムズのベンチは湧き上がった。


「さすがだな!もっと早くあいつの足を使えばよかった!」


監督もようやく表情に光が差してきた。


対して、莉里は怒りを隠そうともせず、不機嫌そうな顔を見せる。


「……………」


凪乃は再び構えるが、莉里はむすっとしたまま、セカンドの葵を睨みつけている。


牽制と呼ぶにはかなり長い間だ。


やがて、莉里は投げる。


外角高めのストレート。


これを凪乃は振りにいったが、打球は後方へ飛びファール。


これでワンボールツーストライク。


そして四球目。


ゆるいナチュラルスライダーが来る。


その時、また莉里が動き出した。


「おい、待てっ………!!」


リードが甘く初動も遅い。


その上あのキャッチャーの肩なら、三塁への盗塁は難しい。


それはやりすぎだ…………!!


その時、凪乃のバットが動いた。


身体を逸らすようにして内角のボール球に合わせ、足を踏み込む。


骨盤の捻りから上半身、腕、そしてバットへと力を伝える、綺麗なスウィング。


そのバットは白球を叩きつけ、レフト方向へと飛んでいく。


その打球は鋭く飛び、ファールのラインギリギリのところ、最短距離で、柵を超えた。


ホームランだ。


「やったぞ!!」


監督はガッツポーズで叫び、メンバーたちも立ち上がって声を上げる。


凪乃も久しぶりに屈託ない笑顔を見せて、ダイヤモンドを回る。


その中心、マウンドで莉里は崩れ落ちた。


3対3。


これで、ゲームは振り出しに戻ったわけだ。


凪乃がホームベースを踏んだ時、莉里はすくっと立ち上がった。


「たまたま………!たまたま当たったくせに!!」


凪乃に指を差し、莉里は大声で喚く。


ファイターズのチームメイトが寄ってきて止めようとするが、莉里の感情は収まらず罵詈雑言を言い散らす。


それが数分続いた挙句。


ファイターズは、投手の交代が告げられたのだった。





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