第二十六話 少年期(小学5年生) その19
地区大会準決勝。
カルムズとファイターズの試合は、いよいよ佳境を迎えていた。
7回裏、カルムズの攻撃で凪乃がホームランを放ち、3対3の同点にまで試合を引き戻した。
そして、ここで相手ピッチャーの莉里は降板。
二番手のピッチャーは比較的長身の6年生の子だった。
うちの二番打者は、この子に三球目でピッチャーゴロに打ち取られることになる。
そして、チェンジ。
「相手の投手、どう思います?」
葵がこちらに聞いてくる。
代走で葵は出場したため、打者として対峙することになる。
「いいピッチャーだと思うよ。球速も出てるし」
今季の地区大会でファイターズは、これまでこの投手が先発として出ていたはずだ。
正直なところ、準決勝にこの子がエースとして出てきても全然不自然じゃない。
だが、この子がもし先発だったら、この試合はここまで混戦にはもつれ込まなかっただろう。
こればかりは、向こうの監督が一枚上手だったのだろう。
8回表、俺はマウンドに上がる。
正直なところ、俺は少しばかり疲労を感じ始めていた。
腕や肩のだるさや、胸から全身に広がるような倦怠感。
投球数が重なってきたことが一番の原因だろうが、精神面でも、準決勝のプレッシャーに加えて、莉里にホームランを打たれたショックもあって、疲労が出たに違いない。
思い返せば、俺は技術の習得に躍起になっていて、それほど基礎練習に時間をかけてこなかった。
試合で登板する機会も監督によって減らされていたから、本番で疲労を感じたことがなかったし、そこの重要性をあまり意識してこなかったのだ。
これは、完全に予想外だった。
あと二回。
自分の身体が保ってくれるだろうか。
キャッチャーの子は、低めの場所に全力のストレートの指示を出したが、俺はそれに首を振る。
そして、外角ギリギリのスローボールの指示がきたところで、俺は頷く。
腕をゆっくりと振り上げて、投げる。
あえて、指示よりも甘めコースに寄せる。
すかさず、相手バッターは当てに行った。
バットが金属音を打ち鳴らすが、当たりどころが悪く、三塁手の真ん前へ転がった。
捕球して一塁に送り、アウト。
それを見て、俺は胸を撫で下ろす。
当たりどころによってはヒットになる可能性も十分にある際どい球だったが、それも仕方ない。
同点で延長まで視野に入っている中、替えの投手もいない状況だ。
俺は残りのイニングで全てを全力で投球することができない。
だからこそ、打たせて取る作戦で行かなければならないのだ。
そのようにして、俺は八回の守備を、三者凡退で抑えたのだった。
***
そして、そこからは長い投手戦が始まった。
相手のピッチャーは当初の見立て通りそれなりの腕をしていて、8回からいきなり打てるような相手でもなかった。
その中でも俺はツーベースヒットを放ったが、それを後続が点にはつなげられずにチェンジ。
次の回では葵、凪乃がツーアウトから続けてヒットを出すものの、それも二番打者があっけなくフライをあげて無得点に終わった。
だが、ファイターズの攻撃も、同様に得点には結び付かなかった。
俺は打たせて取るという作戦にシフトしてからも凡打を積み重ねていったが、その中でもヒットがちょくちょくと出るようになった。
特に、九回表ではワンナウトランナー2塁というピンチまで作ってしまった。
それもなんとか切り抜けはしたものの、俺の精神的疲労をさらに積み上げることとなった。
正直言って、かなり疲労がきている今も、目に見えるほどコントロールは落ちてはいない。
だが、いくら小学生でもそこは全国区レベルのチームとあって、流石に球速が下がればうまく合わせてくる子も出てきていた。
そうして、気付けば延長十一回まできていた。
「七海さん!頑張ってください!」
葵がガッツポーズを作ってから、俺の背中を叩く。
凪乃も同様に俺の背に触れて、応援の言葉を口にする。
「七海、任せたぞ」
監督も、それに続くように、俺の背を叩いて鼓舞する。
そのようにして、俺はチームメイトたちに応援をされてマウンドに立った。
そう。
それだけみんなに心配されるほどに、俺は見て明らかに疲弊をしていた。
肩は力無く下がり、身体はフラフラと揺れないために保つことで必死だった。
キャッチャーは、内角高めのボールのサイン。
俺は頷き、大きく振りかぶって一球を投じる。
打者は見逃し、ストライク。
「……………」
返球を受け取り、俺は再度サインを待つ。
正直言って、ストライクを取れてももう気持ちとしては苦しかった。
打たせて、アウトを取らなければ、もう体力が保たない。
だが、せっかく取れたのだから、できる限りそれも活かしていくのがいいのか?
………いけない。
うまく思考がまとまらない。
次に投げたのは、ストライクゾーンギリギリのスローボールだった。
相手は見逃すが、そこは審判がストライクの判定を出す。
これで、ノーボールツーストライク。
俺は呼吸を整えて、キャッチャーのサインを待つ。
そして出たサインは、外角高めの全力ストレート。
「……………」
少し迷ったが、俺は頷く。
これ以上思い切り投げて、体力を消耗したくはない。
だが、この状況なら、俺がキャッチャーだったとしても似たような指示を出していたことだろう。
俺はゆっくりとしたワインドアップから、思い切り腕を振り一球を投じる。
打者は慌てて振りにいくが、球一つ半ほどバットがずれて、球はキャッチャーミットへと収まった。
「バッターアウト!」
三振に打ち取り、まずはワンアウト。
胸を撫で下ろすが、すぐにまた次の打者がバッターボックスに立つ。
キャッチャーから一球外すボール球のサインがきたが、俺は首を振る。
最短で仕留めたい。
結局俺は、外角の緩めの球を投げた。
詰まった打球のでやすいコースだ。
そこで、狙い通り打者は打ちに行く。
カキン、と高い金属音。
球は三遊間、サード寄りへ飛んでいく。
葵は打球を追いかけ、軌道の正面までいち早く駆けつける。
「あっ………!!」
だがその時、打球が斜め左方向へ跳ねた。
イレギュラーバウンドだ。
葵は持ち前の反射神経で、対応しようとするが、反応が遅れて捕球が間に合わない。
そのまま打球は、サードを抜けてレフトへと流れていった。
フェアだ。
一塁にランナーがたどり着く。
「タイム!」
その時、審判が一時休止を告げた。
俺は真っ先に、葵の元に駆け寄る。
「すみません、こんなタイミングに……………」
今にも泣き出しそうな葵の肩を、俺はポンと叩く。
「仕方がないさ。試合も後半になれば、グラウンドも荒れてイレギュラーが出てくる。ミスはどうしたって起こってくるよ」
「でも…………」
「悲しんでも仕方がないよ。今はまだ試合中なんだから」
言ったのは、意外にも凪乃だった。
「凪乃さん…………」
「悔しいと思うのなら、プレイで取り返そう?」
「………はい!」
再び、葵の目に光が灯る。
監督はそのやり取りを見たからか、何も言わずにベンチへ帰っていった。
凪乃があんなに厳しいことを言うなんて、おそらく初めてのことだろう。
これまでなら、真っ先に慰めにやりに行くような子だった。
凪乃は変わったのか、あるいはこの試合への執念か。
俺も、へこたれてはいられない。
続くバッターも、俺は同じ外角のコースで攻める。
先ほどと同じようにバッターは打ちにくるが、今度は狙い通りバットの先に球が当たる。
詰まった打球は俺の方へと転がってくる。
難なく捕球して二塁へと送り、そのまま一塁へと送球。
「アウト!」
ダブルプレーでスリーアウト。
チェンジだ。
俺はようやく安堵の息を漏らす。
なんとか乗り切れたか………。
ベンチまで辿り着くと、力なく俺はどしりと座り込む。
身体の疲労はもう限界に近かった。
次の回が来たら……………。
俺は、きっと保たない。
そうして迎えた、11回裏のカルムズの攻撃。
打者は、葵だった。
葵の目に先ほどの弱さはない。
凪乃の声かけのおかげだろう。
打席に立ち、バットを構える。
一ヶ月前と比べたら、随分と様になったなと感じる。
そうして相手ピッチャーが投げたのは、内角のストレートだった。
厳しいコースだ。
一球、葵は見逃す。
そして次に投げられたのは、一球外した外角のボール球。
その時、葵の身体が動く。
思わず、俺は身体を前に乗り出す。
違うんだ、葵!
その球は、手を出しちゃいけないんだ………!
だが、次の行動は、俺の予想に反するものだった。
葵はバットを寝かせて、右手をバット中央に添える。
身体を伸ばして、外角の球の軌道上へ、バットの芯を移動させる。
バントだ。
球はバットに軽く弾かれ、三塁線ギリギリ内側へ転がっていく。
キャッチャーはマスクを外し、球を追いかけて捕球する。
そして一塁へと送球する。
だがそのタイミングは遅く、葵がスライディングで一塁に辿り着いてからワンテンポ遅れて、一塁へ届いた。
セーフだ。
「やったな葵!!」
ベンチが沸き立つ。
ノーアウトでサヨナラのランナーが出た。
もうここで決めないと、後がない。
そうして、凪乃へと、打順が回ってくる。
「……………」
凪乃が闘志みなぎった目をしていたのは、言うまでもない。
打席に立つ凪乃は、もはや普段のおっとりさすら感じさせない、プライドの威圧を放っていた。
初球、その威圧に負けたのか、ピッチャーは大きく球を外してしまう。
続く二球目も、ボール球が出る。
その二球目が投げられた瞬間、葵が走り出した。
盗塁だ。
キャッチャーは二塁へ送球するが、間に合わない。
ノーアウト2塁。
これで、一打サヨナラの場面になった。
「……………」
ピッチャーは緊張の色を隠せずにいる。
三球目に投げた球は、鋭いストレートだった。
その時、凪乃が動く。
その動きに、俺は葵の時に続いて再び驚かされた。
なぜなら、凪乃が選んだのもまた、バットを寝かせた、バントの構えだったのだ。
凪乃のバットは綺麗に球を捉えて、一塁線へ球を転がせる。
キャッチャーは一塁に送球して、アウトを取る。
その間に、葵は二塁から三塁へと進塁する。
「……………」
俺は監督の方をチラリとみる。
腕を組み、ただ一点、凪乃の方を見ていた。
監督からは、バントの指示は出ていなかった。
凪乃があの場面に打席に立てば、監督は絶対にバントの指示なんて出さない。
凪乃のバッティングを信頼しているからだ。
自ら選択して、凪乃はバントを選んだのだ。
チームの勝利を優先して。
監督は二番打者が打席に立つと、サインを出す。
打者は頷き、バントの構えを取った。
そして、監督は葵にも、バントの後走るようにサインを送る。
スクイズだ。
――――――――――――
【スクイズ】
野球における戦術のひとつ。三塁に走者がいる場面で、打者がバントをして走者をホームに生還させるプレーを指す。
――――――――――――
ピッチャーも当然それはわかっているが、この状況ではできる限りバントが失敗するように投げる他には何もできない。
それから投手は二球外してくるが、その次に投げられた球を、打者はコツンと当てる。
その瞬間、葵は走り出す。
球はピッチャーの正面に転がる。
捕球して、ホームベースへ送球。
ほぼ同時に、凪乃はヘッドスライディングでホームベースに飛び込む。
「……………」
審判は、両腕を真横に振った。
セーフ。
「勝ったぞ…………ッ!!」
俺たちは飛び上がって腕を振り上げる。
ようやく、勝てた。
これで、俺たちは決勝に行ける。
延長11回にも及ぶ長い戦いは、3対4の接戦の末、カルムズの勝利で幕を閉じたのだった。
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