七海くんはモテにスキルを全振りしたのに、甲子園に出たいようです。

夏目夏樹

第一話 生まれ変われることになった


 周囲の壁をロッカーに囲われた、野球部の暗い部室。


 その中で、俺は痛みに耐えながら倒れうずくまっていた。

 

 苦痛に悶える俺を、土汚れのついたユニフォーム姿の男たちが囲んでいる。


 「おい、こいつ漏らしてるぞ」


 見上げると、男たちは皆サディスティックな笑みを浮かべている。


 「おい、お前なにか言うことはないのかよ」


 男の一人に、俺は腹部を蹴り上げられる。


 「…………ッ!!」


 苦しい呻き声が口から漏れ出す。それを見て、周囲は愉悦の笑い声をあげる。


 私立狩間学園野球部。甲子園常連の名門と知られるこの野球部は、今となっては珍しいほどの縦社会だった。


 俺はこの学園に推薦で入学し、それ以降も実力を伸ばして、1年生ながら三番手の投手として抜擢された。


 一見華々しくも見える学園生活だったが、実際のところは、地獄のようなものだった。


 県外から来た俺は寮の中で生活することとなったが、俺は先輩たちから毎日ゴミのように扱われていた。


 雑用や小間使いはもちろん、先輩の機嫌の悪い時にはサンドバッグにもなっていた。


 そして、監督の怒号が飛んだ日などは、こうして全員の矛先が俺に向くのだ。


 「おい、部室の床を汚してんだぞ。謝れよ!」


 俺がうずくまっているところに、蹴りが入れられる。


 絶対に顔は傷つけない。見えるところにアザを作らないのだ。


 「なんとか言えよ!」


 また蹴り上げられる。俺は、声にならない声をあげる。


 痛い。苦しい。


 次第に、意識が薄らいでいく。


 どうしてこんなことになったんだ。


 どうして。


 甲子園に出たかった。


 そして、プロ入りの夢に触れたかった。


 ただ、それだけのことだったのに。


 最後の記憶は、耐えられないほどの苦痛と、ぼやけた視界に映る男たちの姿だった。



   ***



 再び目が覚めた時、そこは白い部屋だった。


 俺は飛び跳ねるように起き上がり、身体をまさぐる。


 不思議と、痛みはない。袖をめくってみても、アザひとつなかった。


 「ケガはないわ。あなたの生前の最も自然だった記憶が、今の姿に反映されているの」


 声がする方を振り向くと、そこには羽の生えた女の子がいた。


 「天使………?」


 「そう。察しがいいのね」


 女の子は言葉少なに言った。


 彼女は裸足の白いワンピース姿で、おまけに頭の上に光の輪っかまで付いていた。


 察しが悪い人間でもわかる。誰がどう見ても天使だ。


 「そう、私は天使よ。名はセラフィム。上級三天使にして天界十二大天使の筆頭。火を自在に操ることから熾天使とも呼ばれているわ」


 彼女はそう言って長い髪を手で払いなびかせる。


 「まぁ、嘘だけれど」


 嘘なんかい。


 まぁ、天使にしたって、天界十二大天使の筆頭だなんだという天使が、わざわざこんな俺の前に現れるなんて少し信じがたい話だ。


 セラフィムは、嘘をついたというのに堂々として腕を組んでいる。


 天使というのは、考えていることがわからない。


 いや、あるいは天使の中でもこの天使だけがそうなのかもしれないけれど。


 突然のことに俺は状況が理解できず、左右を見回す。


 「まぁ、そう戸惑わないで。天使の小粋なジョークよ」彼女は微笑みながら言った。「訂正するわ。私はレシーヌよ」

 

 「え、名前から嘘なの!?」


 流石にそこまでは予想していなかった。


 目の前の天使、セラフィムもといレシーヌは、指をパチリと鳴らす。


 すると目の前に木製の椅子が現れ、レシーヌは座るように手で促した。


 「まぁ、落ち着いて話をしましょう」


 指示されるまま俺が椅子に腰を下ろすと、彼女は少し俺に近づいた。


 「聞きたいことはある?」


 「天使がいるということは」と恐る恐る俺は聞いた。「俺は死んだんですか?」


 「ええ。綺麗に、完全に死んだわ」


 俺は呆然とする。


 そうか。


 あのいじめに耐えきれず、衰弱死してしまったのだろう。


 自分が死んだというのは、どこか不思議な気持ちだった。


 もちろん悔しさもあったが、もういじめを受けなくていい、あの苦しい日々から解放されたと思うと、いくらか安らいだ気持ちになる。


 だが、かといってずっとこの部屋にとどまっているというわけではないのだろう。

 

 「これから俺はどうなるんです?」


 問いかけると、レシーヌは途端に神妙な面持ちに変わった。


 「死者が行く道は3つあるわ。一つは天国へ行き、神と共に悠久の時を過ごす。もう一つは地獄へ行き、罪が償われるまであらゆる苦を身に受ける。そのどちらでもない者は、みんな現世に戻されて新たな人生を始めることになる」


 「それは俺が選べるんですか?」


 「まさか。そうしたらみんな天国を選ぶに決まってるじゃない。天国に行けるのは、あくまでそれに見合うだけの徳を現世で積んだ者だけよ。あなたは早死にしたことを除けば、徳を積むことも罪を犯すこともないごくごく平凡な人生だったから、天国にも地獄にも行けないわ」


 天使に平凡な人生と言われるのはなんだか微妙な気持ちだったが、まぁ否定することもできまい。


 「ということは、現世をもう一度やり直すってことですね」


 「ええ。輪廻転生。それは天国か地獄かの道が確定するまで続けられるわ」


 また一生をやり直す。


 途端に、あの部室でのシーンがフラッシュバックする。


 死ぬ直前だけじゃない。毎日のように囲まれ、殴られ、人格を否定され、酷い仕打ちを受けてきた。


 もう、苦しいのを繰り返すのは嫌だった。


 「まぁ安心しなさい。今回については、特典があるわ」


 「特典?」


 彼女は頷く。


 「前世で徳を積んだり、逆に理不尽なほど過度な苦を味わった者については、生まれ変わった際に特典を得ることができるの。そうじゃないとフェアじゃないでしょう?あなたは、若くして結構むごたらしい形で死んじゃったから、それなりの特典ポイントがあるわ。これだけあれば、それなりに恵まれた状況から人生をリスタートすることができるわ」


 特典。聞いただけでは、どうにもイメージしづらかった。


 それを察したのか、レシーヌはこちらに微笑みかける。


 「そうね、いくつか例を出しましょう。例えば、アイドル顔負けの完璧な容姿で生まれるとか」


 「そんなことできるんですか!?」


 「ええ。もし生きてる最中に事故に遭って顔がへちゃむくれになっちゃったとしても、そこは保証外だけど」


 前世では容姿までごくごく平凡だったからな。それはひどく魅力的な話だ。


 「あるいは、資産家や石油王といった家の子どもに生まれることもできるわ」


 「生まれた時からお金持ちですか!?」


 「そうよ。ただ時が経って事業が失敗して破産しちゃう可能性も、一応あるけれど」


 平凡な家だったし、子どもの頃から野球漬けだったから、贅沢なんてほとんどできなかった。これも、夢のような話だった。


 「あとはそうね、オリンピックに出場できるだけの運動能力や、高明な学者に匹敵するだけの知力を付与することもできる」


 「本当ですか?」


 「ええ。事故で半身不随になったり頭がパッパラパーになっても、責任は取れ………」


 「期待持たせてから落とすのやめてもらっていいですか!?」


 なにを怒っているの?とでも言うように、レシーヌは首を傾げる。


 この天使、本当に読めない。


 いや、読めないというよりも、単に性格が悪いだけなのかもしれない。


 「ちなみに、その特典って俺が選ぶことができるんですか?」


 「ええ。特典ポイントの範囲内なら」


 彼女はパチンと指を鳴らす。すると、なにもない空間から水色の半透明なウィンドウ画面が現れた。


 その左上には、白い文字で「लाभ अंक:320」と書かれている。


 「この呪文みたいなのはなんですか?」


 「ネパール語で『特典ポイント』を表しているわ」


 「なんでネパール語なんです?」


 「興味あるかと思って」


 「………このタイミングでネパールに興味持つってあります?」


 俺の反応を見て、彼女は不服そうに指を振る。すると、ネパール語は日本語に変換された。


 特典か、と俺は考える。


 どうしたものか。


 特典がない状態というのは、逆を言えば前世で俺が生まれた状態とほぼ同じと言える。


 生まれ変わるにしても、今の記憶は維持しておいたままにおきたいという思いはあった。


 留めておきたい記憶が特別あるわけじゃない。


 ただ、すべてを忘れるのが怖いというのがあった。


 それに、たった15年分の記憶だが、それが役に立つこともあるかもしれない。


 「とりあえず、現在の記憶を維持したまま生まれ変わることはできます?」


 「お安い御用よ」


 特典スキル:記憶引き継ぎ 追加


 左上の特典ポイントを見る。残り280。


 「あとはどう?何か叶えたいことはある?」


 「そうだなぁ………」


 なんでもいいと言われると、逆に迷ってしまう。


 そう、夕飯にしたってそうだ。母親から「今日の晩ご飯なにが食べたい?」と言われると、途端に迷ってしまう。


 そういう場合、「ハンバーグとぶり大根ならどっちがいい?」とか、「洋食と中華だったらどっちの気分?」とかそういう質問の方がありがたかったりする。


 世のお母さん方も、是非ともそうやって質問していただきたいものだ。


 「広すぎると、逆に答えが出にくいですね」


 「優柔不断ね。じゃあ、いい感じの例を出してあげるわ」


 レシーヌは人差し指をピンと立てる。


 「超絶イケメンの無能か、壮絶ブサイクな天才、どっちに生まれたい?」


 「なにそのカレー味のう○こみたいな二択」


 しかも全然いい感じの人生じゃないじゃん。


 やはりダメだ。この天使は信用ならない。


 自分で考えないと。


 俺があれこれと考えていると、痺れを切らしたレシーヌが口を挟んだ。


 「それほど悩むことでもないでしょ?どんな答えを出したって、前よりはいいスタートを切れるんだから」


 「でも、これで人生が決まるし………」


 「死んでここに来た人の多くは、前世でやり残したことや、叶えたかった夢について悔いるわ。あなたにしたって、叶えたかった願いが、きっと胸の内にあるはずよ」


 叶えたかった、願い。


 言われて、ハッとする。


 子どもの頃からの夢。


 野球に触れたのは、父親の影響だった。


 最初は嫌々キャッチボールに付き合わされていた。


 硬くて痛い軟球を投げられるのが嫌で、いつも休日の昼は父親から隠れていた。


 でも、初めて球場でプロ野球の試合を見たあの時、全てが変わった。


 幼かった俺の心が、感動で震え上がった。


 もちろん、キャッチボールしかしたことのない当時の俺に、選手たちのプレーの良し悪しなどわからない。


 俺が震えたのは、アリーナ席から遥か遠くのグラウンドに立つ、たった20人ちょっとの豆粒みたいな男たちの一挙動に、数万の観客が歓声を上げ、怒号を吐き、心を揺さぶられていたことだった。


 それ以来、ずっと、あの白球を追いかけてきた。


 小学生も、中学生も、そして死んでしまった高校の頃だって。


 努力でこれまでレギュラーを勝ち取ってきたが、正直なところ才能は、あまりなかったかもしれない。


 でも俺は、心から野球が好きだった。


 そうだ。


 思い出した。


 俺は、生まれてこのかた、ずっとどっぷり野球漬けだったじゃないか……。


 「………ありました、夢」


 俺はまっすぐ、目の前の天使を見た。


 「決まったのね?」


 俺は頷く。


 もう、迷いは消えた。


 途端、心の霧が消え去り、清々しいまでに晴れ渡った。


 俺の、夢。


 俺は、力強く口を開き、言い放った。

 

 「俺を、超モテモテの、イケメン男子にしてくださいっっ!!!」


 「わかったわ!!」


 レシーヌは勢いよく腕を振ると同時に、画面に文字が追加される。


 特典スキル:魅了(チャーム) 追加


 パラメータ:魅力 向上


 白い空間に、巨大な扉が出現する。


 「扉を開けば次の人生が始まるわ!いってらっしゃい!」


 俺は頷き、期待を膨らませながら、扉へと向かっていく。


 俺は、モテモテの来世を歩むんだ……!!


 ここから、俺の新たな人生が始まった。

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七海くんはモテにスキルを全振りしたのに、甲子園に出たいようです。 夏目夏樹 @natsumenatsuki

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