第十三話 少年期(小学5年生) その6
俺と夏鈴、それに葵は、遠坂家の屋内練習場へ来ていた。
「うわぁ、すごい……」
葵は圧倒された様子で息を漏らした。
豪邸もさることながら、おおよそ個人宅には存在しない、このだだっ広い屋内練習場に葵は驚きを隠せない様子だった。
「ここ、本当にあの遠坂選手の家なんですか?」
「ああ」
葵が物心ついた時には、遠坂臙士は既に引退をしていたから、おそらく彼の現役生活については何一つ知らないだろう。
だが、今もなおニュース番組のコメンテーター、時にバラエティ番組にも出演している彼は、葵にとってはきらびやかな有名人なのだった。
「今日は随分と賑やかだねぇ」
そうこうしていると、濱北さんが俺たちの元にやってきた。
奥の方を見ると、倉庫から出されたであろう道具やら消耗品が広がっている。
備品の整備をしていたのだろう。
「この可愛らしいお嬢ちゃん達は誰なんだい?」
「こっちはクラスの友達です。で、こいつなんですけど………」
俺は葵の腕を掴んで濱北さんの前に出る。
「この子、めっちゃ才能あるんです。大会までに鍛えてください」
「めっちゃ才能あるったって………」
濱北さんは苦笑いにも似た困り顔を浮かべる。
何が言いたいかは、聞かずともわかった。
確かに才能あるやつを連れてこいと言ったが、こんな小柄な女の子じゃ即戦力にはならないぞ?、と。
「大丈夫です」
断言する俺に負けたのか、濱北さんは近くにあったグローブを取った。
「まぁ、せっかく連れてきたんだ。その才能を見てみようか。君、今から動ける?」
「は、はいっ!」
半ば戸惑いながらも、葵はハキハキと返事をする。
「じゃあ、スカートで動くのもあれだから、とりあえず着替えようか。うちのチームのユニフォームがあるはずだから」
葵は濱北さんに連れられ、そのまま用具室の方へ消えていった。
それを見守ると、俺はリュックを下ろしてストレッチを始める。
終わると、グローブをはめて、棚の軟式球を手に取った。
ちょうど、向こうでは着替え終わった葵が濱北さんとアップを始めたところだった。
「あの子の動き、見ないの?」
ブルペンに上がろうとする俺に、夏鈴が言った。
「お前が才能あるって言ったんだから、見るまでもないだろう。俺が見たところで実力が変わるわけでもないし」
「でも、気になりそうなところだと思うけれど」
確かに、気にならないと言えば嘘にはなる。
だが、それよりも俺は1分でも長く練習をし続けなければならない。
何せ、俺はあいつと違って身体的な才能に恵まれていないのだから。
「貴方って、そういうところ冷めてるのね」
夏鈴もリュックを下ろし、小学生用のグローブを手に取った。
「ねぇ、どうせだし、久しぶりにキャッチボール、する?」
「もう保育園の頃とは違うから、ケガするぞ」
「手加減してくれればいいじゃない」
「仕方がないなぁ」
俺は夏鈴と一定の距離を取る。
夏鈴は拙そうにグローブを構え、そこに右手を添える。
いつもの澄ました表情とは打って変わって、あからさまに不安そうだ。
怖いならやらなけりゃいいのに。
「ほら、まずは下投げから行くぞ」
「か、かかってきなさい」
俺はふわりと、山なりの球を投げる。
その球の軌道を、夏鈴はまるで空飛ぶカモメを眺めるみたくぼんやりと見上げる。
おい、早く構えろよ。
一拍子遅れて夏鈴は動き始め、腕を斜め上にかかげる。
「ほ、ほいっ」
すっとんきょうな声をあげて、ボールをグローブですくいとった。
「と、取れたわ!」
夏鈴は歓喜の声を上げるが、そのキャッチした姿は、まるで新種のジョジョ立ちのようだった。
どうやったらそうなるんだよ。
「天は二物を与えず、ってことか」
「何か言った?」
「感心してたところだよ」
夏鈴は今度はこちらへ投げ返そうと、たどたどしく右腕を振る。
だが、どうしてそうなったのか、それも右足を前に踏み出すような格好で、ちょうど初めてボールを持たされた5歳児のようだった。
昔、あれだけ教えたのにな。
それから数分ほどキャッチボールを続けたが、どれだけアドバイスをしても毛ほどの変化も見られなかった。
「もうさ、お前のキャッチしてるポーズを撮り溜めて写真集にしないか?」
「どこにニーズがあるのよ」
「少なくとも俺にはあるぞ。へこんだ夜に見たら、なんだか元気をもらえそうだ」
世の中には運動神経がないせいで、こんなに面白いポーズでしかボールが捕れない奴がいるんだなって。
「ま、まぁ、私の写真で元気が出るって言うのなら………」
夏鈴は少し顔を赤くして、そっぽを向く。
うむ。
何か盛大に勘違いをしてそうだな。
そんなこんなで俺たちがキャッチボールを楽しんでいると、濱北さんと葵がこちらにやってきた。
ユニフォームを着た葵は後ろ髪を高めに一つでまとめていて、いかにも野球少女といったスポーティな風貌だった。
そして、それもそれで可愛らしい。
将来、やっぱり美人になることだろう。
「建人の見立て通りの子だったよ」
濱北さんは深く感心したように言った。
「正直、お前や凪乃以来の才能を見た気がするよ。足の速さがずば抜けているのもそうだが、反射神経がすごい。お父さんとキャッチボールをしたことがある程度の野球経験なのに、ショートバウンドまで捕れるんだ」
そりゃすごい。
俺もちょっと見てみたかったな。
「今度の大会の戦力になりそうですか?」
「もちろんだとも!この子なら、鍛えれば1番の遊撃手だって任せられる」
初心者の葵が、何年も野球を続けてきた少年たちを差し置いて即レギュラー入りをする。
これが才能の力なのだ。
葵を引っ張ってきて誇らしく感じる一方、底冷えするような恐怖すら俺は覚えた。
それからは正式な入団の手続きと書類の話が濱北さんからあり、今日のところはそれで帰ることになった。
その帰り道、邸宅から門までの長い道を歩いていると、門の向こうから赤いフェラーリが入ってきた。
フェラーリはゆっくりとこちらに近づいてきて、俺たちの横で停まった。
「監督」
ウィンドウが降りて、サングラスをかけた遠坂監督が顔を見せた。
「七海、練習の帰りか」
「はい」
「そこにいるのは、夏鈴ちゃんか?随分大きくなったな」
「ご無沙汰してます」
夏鈴は丁寧に頭を下げる。
挨拶もそこそこに、監督は俺の方を向き直る。
「七海、来週の土日、練習試合するぞ」
「久々ですね。相手はどこです?」
「八王子オリオンズ」
「えっ、あの優勝チームですか?」
八王子オリオンズは、西東京の少年野球チームで、全国大会の常連だった。
これまで試合をしたことがないチームだった。
「大会前のいい練習になるだろう。先発は凪乃、その後お前で、ちょうど半々になるように使っていくからな」
これまでにない、勝ちにいくオーダーだ。
前に話していた通りだった。
全国大会に向けて、監督も本気ということだろう。
「そんなわけだから、来週は練習しすぎるなよ」
それだけ言い残して、フェラーリは車庫の方へと走り去ってしまった。
「ねぇ、その八王子のとこって、結構強いの?」
「今年の出来はわかんないけど、去年は確かベスト4まで行ったはずだ」
トーナメントだから時の運もあるが、それでも実力はかなりのものだろう。
「私も出られるんですか?」
「いや、流石に一週間じゃろくに野球の動きも覚えられないだろう。出られて代走要員かな」
「そうですか………」
相手は全国区のチームだ。代走で出られるとしても、9回のピンチの場面くらいだろう。
葵は少しだけしょんぼりするが、すぐに顔を上げる。
「わ、私も、早く上手くなって、七海さんの力になります………!!」
俺は笑顔を見せて頷く。
嬉しいことを言ってくれたものだった。
俺と凪乃、それに葵がいれば、本当に全国大会が現実に見えてくる。
そして、スカウトの目に止まれば、Uー12の世界大会の強化選手にも選ばれることができるだろう。
そのための肩慣らしとしての、練習試合。
やってやろうじゃないか。
そんな熱い気持ちを抱えて、俺は夏鈴たちと、帰路を歩くのだった。
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