第十一話 少年期(小学5年生) その5


世の中には、理不尽というものが存在する。


いや、考えてみれば、そんなものばかりなのかもしれない。


生まれた時から金持ちの奴もいれば、授業を聞いてるだけでテストで満点を取る奴もいる。


自然に会話しただけでモテる奴もいれば、人気者になる奴もいる。


俺の横に座っている彼女にしても、世の中が産んだその理不尽の一人だった。


「じゅ、14.2秒……だと……?」


火照ったように赤い顔のまま、彼女はポニーテールを振り頷いた。


この14.2秒というのは、目隠しストップウォッチ15秒当てゲームの記録ではない。


100m走のタイムだ。


「俺の中学の時のタイムよりも早いぞ………」


「私は50m走でもそのくらいだったわ………」


いや、いくらなんでもそれは遅すぎだろう。


「ちゅうがく………?」


ポニーテールの少女が不思議そうに首を傾げる。


いけないいけない。


夏鈴といると、どうしても気が緩んでしまう。


今は2限目が終わった中休み。人気のない屋上前の階段で、俺を挟むように夏鈴とその女の子とで座り、話し合っていた。


彼女は、昨日夏鈴と一緒にスカウトした女の子だった。


放課後はタイミングが合わず鉢合わせることができなかったため、今日になって4年の教室を突撃して、引っ張り出してきた次第だ。


話を聞いたところ、彼女の名前は涼川葵(すずかわ あおい)といって、今は陸上を習っているようだった。


長いまつ毛に白い肌、それにパッチリとした愛らしい目元。4年生でまだ幼さの残る顔立ちではあったが、将来美人になることは容易に想像できた。


「昨日聞いたけど、本当に一緒に野球をしてくれるのか?」


彼女はコクリと頷く。


「でも、陸上もやってるんだろう?辞めちゃうのか?」


「ううん。陸上の練習、土曜日だけだから」


頬はまだ赤いが、少しづつ緊張は取れてきている感じがする。


カルムズの一番長く本格的な練習日も土曜日だが、まぁそこは仕方がないだろう。


俺と濱北さんがついて平日に練習するだけでも十分に伸びるはずだ。


夏鈴は俺越しにジィッと葵を見ていたが、表情は明るくなかった。


「どうしたんだ?」


「いえ。本当にこの子に野球をさせちゃっていいのかなって」


「どうしてだ?適正はあるんだろう?」


「ええ。でも、この子は今やってる陸上でも十分に才能を発揮できる。この子なら十分国内のトップを目指せるわ」


確かに、小四で14秒台を出せるなら、普通に全国レベルの逸材だ。


才能に溢れているが故に、一つの選択によって、自分だけでなくそのスポーツ全体もの運命を変えてしまうことになるのだ。


俺が、そんな選択を変えてしまっていいのか………?


考え込んでいると、葵が俺のジーンズの太ももをツンツンとつついた。


「私、七海くんに初めて会った時に、もう決めたの」


「えっ?」


「私、七海さんと野球がしたい!」


赤らんだ顔を近づけ、葵はハッキリとそう言った。


純粋すぎる目の輝きが眩しい。


それは熱烈な告白に近いもので、その姿に俺も夏鈴も伝染したように顔が熱くなった。


俺は夏鈴と顔を見合わせる。


「ま、まぁ、彼女がいいって言うのなら、いいんじゃない………?」


「ああ、そうだな…………」


ともかく、これでとんでもない戦力ができたわけだ。


打撃はともかく、代走としては無類の力を発揮してくれることだろう。


それこそ、少年野球であれば、塁にさえ出れば、ソロホームランが確約されたようなものだ。


これは、面白いことになってきたぞ…………!!


「それじゃあ、正式な入部の書類とかは今度渡すから、とりあえず今日一緒に練習場の下見に行く?」


「えっ、いいの?」


「もちろん」


葵はぱあっと顔を明るくする。


子どもらしくてとても可愛いな。


「じゃあ、私も行くわ」


「えっ、お前も来るのか?」


「仕方ないでしょう。貴方、最近野球の練習ばかりで付き合い悪いんだから」


確かに、最近はめっきり一緒にどこかに行くということもなくなっていたな。


夏鈴はそつなく人付き合いをしているけど特定の友達はいないみたいだし、寂しいんだろうな。


「じゃあ、帰りにカフェとかでも寄るか」


「いいわ」


満足気に口角を上げる夏鈴。


ご機嫌が取れたと安堵したのも束の間、彼女は耳元でこう囁いた。


「あの子も一緒とか言ったらぶっ飛ばすからね」


「あはは……………も、もちろん…………」


背筋に戦慄が走ったのは、言うまでもない。


こいつ、普通に怖いこと言うんだな。


そしてさらに怖いところが、俺はそのカフェにも普通に葵も誘おうと思っていたところだった。


女心がわからないというのはとても難儀なのだなと、俺は痛感したのだった。

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