第三話 幼少期(5歳児クラス) その2

 「……………」


 園内では元気一杯の男の子たちが鬼ごっこで走り回っていたが、俺の周りは緊張に満ちた静けさに包まれていた。


 俺と凪乃がキャッチボールする周囲を、女児たちが取り囲んでいるのだ。


 「……………ジーーーーっ」


 周囲からの視線が熱い。


 いや、熱いのはいつものことだったが、別の意味でも緊張感をみなぎらせていた。


 彼女たちは、ボール拾いなのだ。


 「ななみくん、いくよー」


 凪乃は相変わらずの綺麗な投球フォームで、俺に速球を投げる。


 俺は左手のグローブで、それを捕った。


 周囲は、うまく捕球されるたびに落胆の顔を見せる。


 そう。


 彼女たちは、俺に渡すことで関わろうとしているのだ。


 凪乃とキャッチボールを始めた当初、周囲は「ボールがぶつかるのが怖い」と言って近づこうとはしなかった。


 だが、ある時誰かが、受け損なったボールを拾って俺に渡せば、ごく自然に俺と関われることに気づいたのだ。


 それからは、今のようなキャッチボールする2人に対してボール拾いが十数名いるという、不可思議な状態が続いている。


 ちなみに、この輪の外には、キャッチボールに勤しむ女児が3ペアほどいた。


 こちらは、望み薄なボール拾いよりも、俺とキャッチボールができるようになれるよう、特訓をしている子達だった。


 ともあれ、これほど大規模にキャッチボールがされていることもあって、園内のボールは20個に増え、園児用のサイズのグローブも購入されることになった。


 今では、そんなキャッチボールブームにほだされて、男の子たちもキャッチボールを始め出すという、なかなかにカオスな事態となっていた。


 「あっ………」


 そんなボール拾いたちが見守る中凪乃が取り損ね、グローブに弾かれたボールは地面に転がった。

 

 その瞬間、女児たちは巨大な雪崩のように、ボールに押し寄せる。


 その中を制した女児(ももかちゃん)が、近くにいる凪乃を素通りして俺の元にボールを渡しにくる。


 「あ、ありがとう………」


 ももかちゃんはとびきりの笑顔を見せて、手を振り、またボール拾いに戻っていく。


 そんなももかちゃんの後ろ姿を眺めながら、俺は思う。


 これはなんだか、すごいことになってしまったな……………。

 

 そんなこんなで午前中の保育時間は終わり、昼食。


 昼食の際の席は幸いにも決まっているため、俺の元へ雪崩のように押し寄せることはない。


 いつものように俺の左右を囲むゆりちゃんとここなちゃんの話を聞く心づもりをしていたが、給食が運ばれてきても、ここなちゃんは現れなかった。


 「あなたが、噂の七海くんね」


 そう言ってここなちゃんの席に代わりに座ったのは、ツインテールの見慣れない女の子だった。


 「君は………?」


 「朝、自己紹介をしたのだけれどね。ほら、今日からこの保育園に転入になったって」


 「あぁ…そういえば……」


 確かに、そんな話をしていたような気もする。


 保育園の先生の話は大半聞き流しているから、あんまり覚えていないんだよな。


 「ということは、この席に座ったのは………」


 「先生が、あなたの隣に座ってって言ったのよ」


 彼女の肩の向こうで、ここなちゃんが保育士さんに抱きかかえられながら泣いているのが見えた。


 なるほど。


 最近ここなちゃんは俺にべったりだったから、先生が意図的に離したんだな。


 手を合わせて、みんなでいただきますをする。気づけば、ここなちゃんは俺から遠く端っこの席に移されていた。


 「私は結城夏鈴(ゆうき かりん)」


 そう言って、彼女はツインテールの長い髪をさらりと払う。


 「後で、少し話せる?」


 「なんだよ。もう告白するのか?」


 「するわけないでしょう!どれだけ自惚れているのよ」


 自惚れというか、経験則なんだけどな。


 「じゃあおままごとか?別にいいけど、俺がお父さんになると、お母さんが10人くらい住んでる、なかなかに複雑な家庭環境になるぞ」


 「一夫多妻制なの!?」


 ほう、保育園児なのに難しい言葉を知ってるな。


 「私がしたいのは、至って普通の話よ」


 「普通の話?」


 そんなことを言われたのは、初めてのことだった。女の子が相手の場合、大抵は遊びに誘われるかデートまがいのことをさせられるし、男の子だったとしても遊びか、好きなアニメや戦隊モノの話に興じるくらいしかない。


 そもそも、保育園児に取っての「普通の話」ってなんなんだ?


 「ちょっとまって!」


 言い出したのは、斜め前の席にいたあんなちゃんだった。


 「きょうのお昼からは、わたしとあそぶやくそくだったでしょ?」


 「あ、そうだっけ?」


 俺はポケットからスケジュール帳(先々月、母親にねだって買ってもらったのだ。遊びの誘いが多すぎるから)を取り出して、中身を確認する。


 うん、確かに、あんなちゃんの予約が入っていた。


 「私、3ヶ月も待ったんだから」


 「えっ、予約の取れないレストラン……………?」


 この状況に慣れてない夏鈴は、なかなかに引いている。


 いや、違うんだ、と俺は言い訳したい気になる。


 流石に3ヶ月先まで予約が埋まってるわけじゃない。あんなちゃんは賢いから、1、2週間の約束を取り合うのではなく、もっと先の約束をポコポコと入れてくるのだ。


 「それで、あんなちゃんはどんな遊びがしたいんだっけ?」


 「カフェ屋さんごっこ!」


 カフェごっこか。


 店員の俺に注文したいがために長蛇の列(無限ループ)ができ、まるで一人で昼間の牛丼屋で働かされてるような錯覚を覚える、あの地獄のような遊びだよな。


 うむ、実にいい提案だ(皮肉)。


 「それでね、私が店長さんをするの!」


 「えっ?」


 大体は俺に店長をさせて、あれこれ注文をしまくる流れだろう?


 なぜそんなことを。


 「でね、私が副店長さん!二人は夫婦なの!」


 「……………っ!!」


 瞬間、周囲の女子たちのギラリと殺気だった視線があんなちゃんを襲う。


 エリート呪術師でも出すことはできないであろう、その死の匂いのする邪気にも、あんなちゃんは気にするそぶりも見せない。


 なるほど。大物だなあんなちゃん。


 「いいわね、私、それ入るわ」


 言ったのは、夏鈴だった。


 「いいのか?これは遊びという名の、遊びではない何かだぞ」


 「構わないわ」


 「最悪死人が出るぞ」


 「えっ、そんなに?」


 ああ。俺が過労死する形でな。


 「さぁ、もうすぐお昼ごはんの時間が終わりますよー」


 保育士のお姉さん(ゆりこ先生)が早く食べるように促す。


 時計を見ると、ごちそうさまの5分前だった。


 俺の給食プレートは、まだ一口も手が付けられていない。


 お昼ごはんの後の忙しいごっこ遊びのことを憂いながら、この五分間、俺は急足で飯を口にかき込むのだった。

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