南北、道の駅にて

 北海道、中山峠の頂点にある道の駅『望羊中山』。

 望洋でも茫洋でもなく、望羊だ。

 道は除雪されているが、周囲の野原、そして眼前に美しくそびえる羊蹄山はまだまだ雪深い。


 ロマンは、運転席から降りると、ブルンと身震いし、上体を腕で抱えながら周囲を見まわす。

 札幌近郊での荷下ろしと荷受けを終え、苫小牧まで少し遠回りだが、この道の駅に寄った。ジンと待ち合わせをしている。彼は、たまたま仕事で近くの酪農場に来ているのだ。


 軽トラを降りてきたブルーのツナギの男性が手を振っている。ラナは手を振り替えし、小走りで近寄る。


「やあ、久しぶり。こっちはまだまだ寒いだろ」

「久しぶり。といっても、おととい、ゲームに一緒に入ったけどね」

「あはは、そうだった」


 ロマンは、ジンが乗っていた軽トラを眺める。泥だらけ。長靴や何か荷物が入っている段ボールが二個、それブルーシートが積んである。


「これで牛とか豚とか運ぶの?」

「これでは運ばないな。たまーに、師匠が荷台の上に子牛を載せて現地手術することもあるけどね」

「牛の手術台か……今回の仕事って、牛の治療とか?」

「いや、俺ひとりだから、牛の健康観察と飼料の調査」

「調査?」

「うん、師匠の先生は、牛や豚の栄養指導もやっているからね」

「動物が健康に育つために、餌から面倒みなくちゃいけないのね」

「ああ、健康で美味い肉」

「やっぱり行き着くとこはそこなのね」

「ハハハ。あ、そうだ。時間、あんまりないんだよね?」

「そうね、三、四十分位」

「じゃあ、寒いし、中に入って何か食べよう」

「うん」



 一方その頃。


 滋賀県蒲生郡、名神インターチェンジそばの道の駅『かがみの里』。

 リョウは運転席を降りる。春の日射しは結構強い。上着を脱いで周囲を見まわすと、赤いキッチンカーの脇で手を振る男性を見つけた。


 リョウが手を上げるとスタスタと寄ってきた。

「よお、久しぶりだな」

「そうね、元気してた? それより、あの車、何?」

「ああ、炊き出し用のキッチンカーだ」

「やっぱ、赤か」

「ん?」

「いや、独りごと。で、何がつくれるの?」

「大勢の人たちに沢山作るから、カレーとか、豚汁とか」

「そう。でも、あの車じゃ食材とか器とか運びきれないんじゃない?」

 リョウの元夫、ケンスケは、キッチンカーの隣りを指さす。1t程度の小型のトラックが停まっている。キャビンからボディまで、全部赤い。運転席から誰か手を振った。

 「アイツが荷物を積んでいる。炊き出しの時は、だいたいアイツとコンビだ」

 アイツがトラックを指すのか、運転席の男を指すのか、リョウにはよくわからなかった。


「そんなことより、あまり時間ないんだろ。何か食わないか?」

「そうね……でもあの人はいいの?」

 リョウは赤トラの運転席を見やる。

「ああ、アイツはしばらく寝てる。深夜から材料の仕込みやっていたからな」

「わかった。三、四十分位なら大丈夫」



 中山峠、望羊中山の名物は、何と言っても『あげいも』だ。甘い衣を着けたジャガイモがまるまる揚げてあり、それが太い串に刺さっている。ロマンは、一串買ってイモ一個だけもらえればいいよとジンに言ったが、いや絶対後悔するからと二串買って、一串を彼女に指し出した。


 ヤケドしないように少し囓って驚いた。衣も甘いが、イモも甘い。あげいも初体験のロマンだが、ジンの忠告により丸々一串食べることができ、感謝した。

 ちょっとスパイシーな『中山チキン』も美味い。これは鶏肉の味がしっかりついていて、東京の唐揚げとはひと味違う。こっちは、ロマンとジンとでハンブンコして味わった。




 滋賀の道の駅『かがみの里』のレストランは十一時から営業開始で、まだ開いていない。野菜や特産品などの売り場は朝から賑わっている。一角にパン屋さんがあり、そこから香ばしいいい匂いが漂っている。


「ここで買って、外で食べるか」

 リョウはケンスケの提案に従い、並んでいるパンを見て回る。

 リョウが選んだのは、白ネギフランスぱん、ケンスケはエビカツバーガーと、うし丸パン。『うし丸』とは、この道の駅のキャラクターらしい。ここで牛若丸が元服したとの言い伝えに因んでいる。


 自販機でリョウはカフェオレをケンスケはブラックコーヒーを買い、外の木製のテーブル席に座った。白ネギフランスぱんは、ご当地の田舎みそと白ネギ、フランスパンという食材の組み合わせだが、意外とマッチしている。『うし丸パン』は、かわいい牛のキャラクターの顔になっていて、ミムにお土産に買っていったら喜びそうだが、残念ながらリョウが東京に戻れるのは明日だ。



 道の駅の屋内に入ると暖房がしっかりと効いていて、寒さで縮こまった体が伸びるようだった。


「仕事、忙しい?」

 ジンが尋ねる。

「うん、人がまた外出するようになってから仕事増えたし、車両の整備も手伝ってるし……ジンは?」

「そうだね、今出産のピークだから、ちょっと忙しいかな。夜中の呼び出しもあるし。でもまだまだ助手みたいなもんだから、師匠に比べると大したことないかな」

「師匠って……尊敬しているのね」

「ああ、治療も研究もバリバリやってるし、畜産大学の非常勤講師もやっていて、北海道の酪農に欠かせない人だと思う」

 先輩のことを熱く語る獣医の見習いが、ロマンには微笑ましかった。


「マロン、じゃなくてロマン。君はトラックの仕事をずっと続けるの?」

「そうね。しんどいこともあるけど、わりと自分のペースで色々な所にいけて面白いし。当分やってるかな。仕事仲間もできて、楽しいし」

「そう、なんだ……」

 ジンが少し残念そうな表情をしたのをロマンは見逃さなかった。

「どうしたの?」

「い、いや……君がこっちに来てくれるとうれしいな、と思って」


 ロマンは、ジンの目を見つめる。

 慌ててジンが目をそらす。


「それって、プロポーズかしら?」

「い、いや! そんな大げさなもんじゃなくて、ただの願望」


 願望とプロポーズの違いがロマンにはわからなかったが、『ぜひとも』という強い意思表示ではないと受け取った。


「……それに、その時は、ちゃんとするから」

 ジンは照れながら、ぼそっと言った。

「ありがとう。そうね……今のところ、やっぱりこの仕事、続けたい。そのうち、こっちに来て、道内を走り回るのいいかもね」

「うん……そうなるといいなって、思う」


 ジンは『中山チキン』の最後の一個を平らげ、ペットボトルの緑茶を飲み干した。そして意を決したように立ち上がる。


「フェリーの時間もあるし、そろそろ行こうか」

 二人は、別々の車に乗り、出発する。


「気をつけて」

「ロマンこそ」




 外のテーブル席に、適温の春風がそよぐ。


「炊き出しの仕事って、どこでやってるの?」

 ケンスケがパンのうし丸とにらめっこして口を開けた瞬間、リョウが聞いてきた。少し囓ってもぐもぐしながら答える。

「大阪市内の公園とか。災害があったら、そっちにも派遣されるんだけど、この仕事始めてから、まだないな」

「NPOってよくわかんないんだけど、ちゃんと食べていけるの?」

「ああ、俺たちスタッフは給料を貰えてるよ。多いか少ないかは別として」

「炊き出しの仕事は忙しい?」

「そうだな、最近失業者増えてるみたいだし。若い人も結構増えている」

「明日は、我が身ね」

「それって、俺のことか?」

「いや、そういう意味じゃなくてさ……今やってる仕事、急にできなくなっちまうことってあるんだろうなって……肝に銘じておこうと」


 ケンスケはコーヒーを一口すすって娘のことを聞いた。


「ミムは元気にしてるか?」

「うん、とっても。最近体力もついてきたので、ジジもババも持て余し気味かな。大きくなったよ……てか、スマホで時々写真送ってやってんじゃん。


「ああ、そうだな」

 少し寂しそうに見えるケンスケにリョウはフォローする。


「いつでもミムに会いに来ればいいじゃん。全然構わないよ」

「ああ、サンキュー。でもなかなかそっちに行く時間が作れないから」

「とか言って、久々に会ったミムがどんな反応するか、不安なんじゃない?」

 リョウはニヤリとする。


「なことない……でも、どうだろ? やっぱ、やな顔されるかな?」

「さあ、それはわからないな。何せ、レストランの仕事辞めて、妻と娘を捨てて、好きなこと始めちゃった訳だし」

「それは、お前の私情が入ってないか?」

「はは。……でも、時間見つけてミムに会ってやんな」

「わかった。ところで、お前は今の仕事、ずっと続けんのか?」




 リョウは、田舎味噌味のフランスパンの最後の一口を食べ、カフェオレを飲んでしばらく黙っていた。今の仕事を続けるか、やめるかなんて考えたことがなかったからだ。

「何言ってんのよ。食ってかなきゃだし。悪いけど、養育費出してくれてるのはいいけど、雀の涙だし」

「それを言うな」


「ウチのジジババも若くないし、当分続けるだろうね。あんたこそ、どうなのよ?」

「まだ先のことは考えてない」

「そうだろな。そんなところ、全然変わってないね」

「ああ、別れた原因もそれだって言いたいんだろ」


 リョウは、元夫に以前のような威勢のよさがないのが気になった。

「なんかあんたさ、元気なくない? ……さてはフラれたとか?」


 ケンスケは、コーヒーを吹き出しそうになって慌てて否定した。

「何言ってんだよ……そ、そろそろ時間だろ」



「ああ、そうだな」

 リョウは、そのリアクションを楽しみながら席を立った。


 二人は大型トラック、キッチンカーとそれぞれの車に戻る。

 ケンスケは、隣りの赤い小型トラックの窓をコンコンと叩いた。


「お待たせ。行くぞ」

「おお、ノブナガ、やっと戻ったか」


 その会話を聞いてリョウはびっくりした。


 マジでノブナガって呼ばれてんのか!

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