夕映えの秘密基地
ラナは、ご機嫌である。
午前の積み荷作業はキツかったが、今日の仕事はリョウとツーマン、つまり運転を交代しながらの仕事だ。
助手席で、リョウの運転テクニックや仕事ぶりを間近に見ることができる。
リョウは不機嫌である。
今日の仕事が今一つ不可解だからだ。西多摩にある配送センターまで荷積みに向かい、所定のバース(積み下ろしスペース)にトラックをつけた。扉を開け、今日運ぶ荷物を確かめる。
荷物は全て『キルティングあて布』か、運送用毛布で梱包されている。一見、引っ越し荷物の山のように見えるが、リョウの会社では引っ越しの運搬サービスはやっていない。
荷物は一つひとつ不定形なので、積み込みは台車を使った手積みになる。中型車がいっぱいになり、荷物の固定にも時間がかかった。
「リョウ先輩、何かお手伝いすることはありませんか?」
会社の駐車場を出発してから、ラナは十回ほど聞いてくる。
「いや運転交代するまで楽にしていていいよ。着いたら荷下ろし大変だし。」
そうは言われても、ラナは交代制での仕事は初めてで、運転していないと手持無沙汰だ。
やることが無いと、申し訳なくソワソワしてしまう。
仕方がないから、リョウの運転姿をじっと見つめる。
視線を感じて、リョウはオホンと咳払いをする。なんか照れるし、やりにくい。
「だいたいその、『先輩』と呼ぶのやめてくれ。今まで通り、リョウでいいよ。」
「いや、実際大きいトラックの先輩だし、頼りにしてますし。」
何か調子狂う。ラナはと言えば、ご機嫌だ。
そんな二人と謎の荷物を載せて、中型トラックは東名から小田原厚木道路、そして西湘バイパスを通り、国道135号線に出た。相模湾を左手に見ながら、快調に海沿いの国道を進む。
135号沿いにある道の駅、伊藤マリンタウンで食事休憩をとる。浜焼きの店でリョウはひもの定食を、ラナは金目鯛ホイル焼き定食を頼む。
配送先は、もう目と鼻の先だ。指定時間まで、まだ時間があったので、レジャー施設のような道の駅をぐるりと回って腹ごなしをし、体をほぐす。シーサイドスパがあったが、流石に入浴している時間はない。
リョウが不可解に思っていることが、もう一つある。
カーナビ―に指定の住所を入れても、目的地のマップには建物らしいものが見当たらない。
着いたらココに電話してくれと、携帯番号は聞いている。
実際、配達の指定場所についてみると。
そこは空き地だった。もっと詳しく言うと、少し海側に丸く出っ張った場所に広大な公園があり、指定の場所は、その公園に隣接している。空き地といっても、地面は一面柔らかい緑色の芝生で、公園の一部のようにも見える。だれかが定期的に手入れをしているのだろう。道路脇に白地に赤文字で『管理地』と書かれた看板が立っている。その看板が玉に瑕だが、ライトブルーの海とライトグリーンの芝が美しく目に優しい。
でも、人は誰もいない。荷物を降ろすような場所もない。
リョウがスマホで指定の番号に電話をかける。
呼び出し音が七回鳴ったところで、『もしもし』と通話の相手が出た。女性の声だ。
「あのー、荷物をお届けに上がった者ですが・・・」
リョウが訝しげに、現地に着いたことを伝える。
「あ、ごめんなさい。まだ家が着いてないみたいね。もうすぐだと思うんで、待っててくださる?」
「い、『家が』ですか?」
「ええ、私たちも、もうすぐ着きますから。」
若い女性の声がそう答えると、電話が切れた。
「リョウ先輩、どうしたんですか?」
「だからセンパイいうな。年を感じる。」
「わ、わかった。リョウ、どうしたの?」
「なんかさー、ヘンなんだよなー。家が着くとか着かないとか。」
「家が?」
空き地脇の道路でリョウとラナが途方に暮れていると、バラバラバラバラ、と何かが近づいてくる音が聞こえてきた。
最初は聞こえるか聞こえないか。その音は次第に大きくなり、やがて轟音になる。
リョウとラナがたまらず耳を押さえたその瞬間、太陽の陽射しが飛行物体に遮られた。
ヘリだ。しかも、とてつもなくデカい。前後に大きなプロペラが付いている、災害時のニュースで見るようなヤツだ。
しかも、何か大きな『物』をぶら下げている。
「これかー!」
リョウとラナはポカンと口を開けて空を見上げる。
ヘリがぶら下げているのは『家』だ。平屋で小さいが、ログハウス風で煙突の付いた家。
その大きな荷物が、地面に近づいて来たとき。
パラパラと十名ほどの人々が駆け寄ってきた。
建築現場でみかけるような作業服姿が半数、後の半分は・・・ダークスーツ、黒ハットに黒いサングラスの男たち。
ヘリの轟音にかき消されて気づかなかったのか、国道沿いの空きスペースには、黒塗りの車が二台と軽トラックが二台停まっていた。
こいつら、ヤバい奴らかも知れんとリョウもラナも本能的に身の危険を感じたが、動けなかった。
怖くて足がすくんでいるというわけではない。
いったいこの後どうなるのか? という好奇心が恐怖に勝ったのだ。
ヘリのローターが吹き下ろす風で、短い芝が波打っているが、よくよく見ると、地面には土台のようなものが見え、配管が何本か突き出している。
作業服の男達が、吊り下げられゆっくり降りてくるログハウスの縁を掴む。ダークスーツ男の一人が、無線機のようなものでヘリに指示を出しているようだ。
家は無事に土台の上に乗り、作業服の男たちが固定と配管のつなぎ合わせにとりかかる。実に手際がいい。
ヘリは爆音とともに上昇し、ゆっくりと去っていった。
その成り行きを呆然と見守っていたリョウとラナの元に、ダークスーツ男四人が駆け寄ってくる。
二人の女性ドライバーは身構える。
「大変お待たせいたしました。荷物はこちらで運び込みますので、トラックをこの辺までバックで入れて、荷を降ろすのだけ手伝ってもらえますでしょうか?」
メン・イン・ブラックは、帽子をとり、慇懃に頭を下げる。
「わ、わかった。」
ラナはパワーゲートを操作し、リョウは荷物をそれに載せ、地面まで運ぶ。するとメン・イン・ブラックが抱えて芝生の上をログハウスめがけて走っていく。ベッドのような大物は、二人がかりで持っていく。
バンボディ(貨物スペース)があっという間に空になったかと思うと、用済みになった毛布やキルティングが丁寧に畳まれて戻ってきた。
室内の工事を終えたらしい作業服の男たちは、どこからか取り出したのか、芝刈り機とスコップで、ログハウスと国道までの簡単な歩道をつくった。
今できたばかりの歩道の先に目を遣ると、さらに一台、車が増えていた。でかい。いかつい。
「お、ハマー! これ新車じゃね? いったいどうやって手に入れたんだ。」
リョウが一度乗ってみたいと思っていたSUV車だ。
運転席からモスグリーンのリゾートワンピース姿の女性が降りてきた。彼女は助手席にまわり、ドアをあける。男性が降りてくる。こちらはTシャツにボロボロのデニムという、ラフなスタイルだ。
女性が後部のドアを開け、荷物を取り出そうとすると、メン・イン・ブラックが慌てて駆け寄り、後部座席やスペースから荷を降ろす。
大型のスーツケースが二台と、何やらスーパーで買い込んだらしい、多数のレジ袋に入ったもの。
メン・イン・ブラックが荷物をログハウスに運んでいる最中、若い男女は、リョウとラナに近づいて来た。
二人はお揃いのラウンドフレームでライトブラウンのサングラスをかけている。
女性はリョウと同じくらい、二十代半ばか。
男性は・・・もっと若く見える。ひょっとして十代? やや俯き気味だが、リョウもラナも、はて、どこかで見たことがある顔だなと思った。
「あなたが電話をくれた運転手さんね。お待たせして悪かったわね。」
「・・・いいえ、みなさんが手伝ってくれたので、あっという間に荷下ろしは終わりましたよ。」
ラナはこの女性が荷受主であることに気づき、「一応お願いします」と言って受領書を手渡し、サインをもらった。
メン・イン・ブラックと作業服の男性たちがログハウスから出てきた。
「お嬢様、一通り作業は終わりましたが・・・いいんですか、夜とか物騒じゃ・・・」
「大丈夫よ、この子がいるんだし。」
女性はにっこりを笑い、その視線を向けられた男の子は恥ずかしそうに下を向いた。
「ではみなさん、本当にご苦労様でした。心から感謝してます。」
メン・イン・ブラックは、男の子の反応に、より一層不安を募らせたようだが、女性が追い立てるように手を振ったので、仕方なく車に戻っていった。
「あ、スコップをひとつ、置いていってちょうだい。それから、この場所はくれぐれもパパには。」
みなまで言わなくてもわかるわよね、と女性はそこで言葉を切った。
ラナとリョウと男の子の傍に戻ってきた女性は、ログハウスを指した。
「さあ、せっかくだし、お茶でも飲んでいって。」
女性は、男の子の肩に手を当て、二人のドライバーの先を歩いた。
ログハウスに調和する木製のテーブルの上には、紅茶のセットとポットが置かれ、ジャーにはお湯も沸いているようだ。
つい数時間前までは、芝生の空き地だったのに、男たちの仕事っぷりは、アッパレお見事、というしかない。
アールグレイとクッキーをいただながら、リョウとラナは、いろいろと聞きたいことを聞いていいのか迷っていた。
「何かご質問でもおあり?」
「あ、あの、この家はいったい・・・」
「そうよね。いきなり空から家が現れたらびっくりするわよね。」
ワンピース姿の女性はひと口紅茶を啜ると軽く微笑んだ。
「これはね、ドラマの撮影用に頼まれたセットなの。」
いやいや、電気も水道もちゃんと工事しているし、生活用品もいっぱい買い込んでいるみたいだし、そんなことはないでしょ、とリョウとラナはアイコンタクトして会話した。
その様子を見ていた女性はティーカップをソーサに戻すと、手の甲で口を押さえて笑った。
「ホホホ、そんなこと言っても信じないわよね。」
女性は、男の子を見やると真実を語り始めた。
「実はね、この子をさらって、家出してきちゃった。」
「え!」「え!」
リョウは紅茶を吹きそうになり、ラナはクッキーを喉に詰まらせそうになった。
「あ、なんか誤解してるかもだけど、この子、もう二十歳(はたち)よ・・・だから正確に言うと『駆け落ち』ね。」
『家つきの家出』だとか、駆け落ちだとか・・・聞いたことがないと、ラナは頭が混乱してきた。
「あの、なんでまた駆け落ちなんてしたんですか?」
リョウが恐る恐る聞く。
「私がね、この子と結婚したいって言ったらパパが許してくれなかったの。」
ラナは、その女性の大胆さに驚きつつ、聞く。
「理由は・・・まだ若いから、ですか?」
男の子は下を向く。
「いえ・・・パパ、この子に跡取りになってくれたら結婚を許してあげてもいいっていうんだけど。」
「お父様はどのような仕事をされているんですか?」
とラナ。
「全国でリゾートホテルを経営しているの。実は、この土地もパパの会社の所有地。」
その会社の名前は、リョウもラナも知っている。テレビでも、素敵な宿とサービスがちょくちょく紹介されていた。
「でも、まだまだ若いし、お家を継ぐ決心なんて、なかなかできないよね。」
リョウがチラと男の子を見やる。そういえば、ここに来てから、この子がしゃべった記憶がない。
「この子ね、役者の卵なんだけど、どうしても続けたいって・・・私も応援したいの。」
役者の卵を応援する女性、なんかアルアルの話だ。でもスケールが大きすぎる。
リョウとラナは話の筋がだいたい見えてきたので、そろそろお暇しようと再びアイコンタクトした。
「そうですか。うまくいくといいですね・・・ごちそうさまでした。折角の新居で、お二人の邪魔をしても悪いので、そろそろ失礼します・・・お幸せに。」
二人は立ち上がり、丁寧にお辞儀した。
「あ、ありがとうございます。」
男の子が顔を上げて、初めて言葉を発した。
ログハウスの外まで二人が見送りに出てくれた。
女性は、なぜかスコップを手に持っている。
「それ、どうするんですか?」
ラナがスコップを指さす。
「あ、これね、パパが強引に連れ戻しに来たときのために、罠。落とし穴を掘っておくの。」
リョウが絶句する。
トラックに向かいながら振り返る。
夕日で黄金色に輝く海を背景に、芝生の上で手をつないで見送る二人。
スコップ付きだが、なかなか絵になる。
そういえば、ご両人とも、なかなかの美形だ。
二人がトラックに乗り込んでエンジンをかけると、女性はワンピース姿のままで、せっかく作業服の男性が整備した歩道に、スコップで穴を掘り始めた。
それから三か月後。
ちょっとしたニュースがメディアを賑わせた。
愛の逃避行と噂されていたアイドルグループの男性が公の場に姿を現した。
記者会見が開かれ、男性は婚約したこと、そしてアイドルを続けながらもリゾートビジネスの経営者の後を継ぐことを発表した。
金屏風を背にしたその男の子の隣りには、もちろんあの女性がぴったりと寄り添い、さらにその隣には松葉杖を手にした彼女の父親が、嬉しそうな、怒っているような、複雑な表情で座っていた。
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