二度寝の秘訣

 野菜売り場の主任となり、シフトは朝番・中番が多くなった。


 特に残業がなければ、十六時に退社。

 朝の荷受けや陳列や、パート・アルバイトさんの管理等の業務が増え、仕事を上がる頃には、慣れない作業で身も心もクタクタだ。

 アパートに戻ると、シャワーを浴び、勤務先のスーパーで買った中華惣菜と炒飯を食べ、ベッドに倒れ込む。本当はこのタイミングで寝ない方がいいのだが。


 夜の十時に目が覚める。最近はいつもこんな感じ。さて、ここからが問題だ。


 オプション①:そのまま二度寝する

 オプション②:家で本を読んだり音楽を聞いて、眠くなったら寝る

 オプション③:スポーツジムなどに通う

 オプション④:夜の町の散歩などに出かける


 早朝出勤の生活が始まったばかりなので、いまひとつペースがつかめない。


 出社時間は六時。朝のことを考えると、当分オプション①②あたりが無難だろうと思っていたけど、大間違いだった。

 夕方早い時間から熟睡してしまい、中途半端な時間に目が覚める。そこから寝直そうにも、なかなか寝付けない。


 今朝は、ポカをやらかしてしまった。

 夕べも十時くらいに一度目が覚めた。仕方がないのでベッドから降りずに、スマホでゲームをしたり、縦スクのマンガをペラペラめくっていた。そのうち眠くなるだろうと油断していたが、スマホの時計は深夜二時。あせると余計に眠れない。ウィスキーをストレートで一口だけ飲む。ここでようやく眠くなる。


 で、気づくと朝の五時四十五分。スマホのアラームはとっくに終了。

 慌てて着替え、身仕度をして家を飛び出る。

 六時十五分頃に店に着き、搬入口に回る。


 あちゃー。


 既に2トントラックは扉が開けられ、カゴが何台か降ろされている。


 茶色いフレームのメガネをかけた女性ドライバーがカゴに手をかけ、佇んでいる。


「す、すみませーん。すぐ開けます! 」

「おはようございます。よろしくお願いします。」


 彼女は、待たされた不満をおくびにも出さず、帽子のつばを掴み、お辞儀をする。

 僕は通勤バッグから搬入口の鍵を取り出し、ドアを開け、シャッターの開閉ボタンを押す。


 細身のドライバーは、野菜の段ボールが綺麗に積まれたカゴを次々と倉庫やバックヤードに運び込み、所定の場所に降ろす。

 伝票を受け取ると、彼女は早々に次の配送先に向かったようだ。私は、パート社員と一緒に店頭陳列の遅れを取り戻すのに必死で、ろくにお詫びもお礼も言えないままだった。


 今朝の二の舞は繰り返すまい。

 その夜から生活パターンを変えることにした。散歩に出かけ、適度に体を動かそう。一時間ほど出かけていても、朝の五時まで十分睡眠時間をとれる。


 二月は外を徘徊、いや散歩するのには不向きな季節だが、今年の冬は暖かいので何とかなるだろう。


 ダウンジャケットにデニムパンツというラフな格好でアパートのドアを開けた。ほど近くにある児童公園でブランコに座り、軽く揺らす。三日月に微かに雲がかかっている。ブランコのチェーンから手を伝って冷たさが体に入り込んでくる。さすがに真冬の公園は寒いか。何十年かぶりにブランコから慎重に立ち飛びを試み、無事に着地して、公園の出入り口に向かう。


 住宅街を歩いていると、いつの間にか、道の両側に店舗が並び始める。私鉄の経堂駅に繋がっている商店街だ。

 前方左手に、小さな電飾看板が見える。全体が白地の行燈で、


「スナック 涙花 2F」


 と細い黒文字で書かれている。


 そのシンプルな看板に、何か惹かれるものがあった。まだ十時半。少し体が冷えたので、焼酎のお湯割りでも一杯飲ませてもらって帰ろうか。

 この町に越してきて五年も経つが、特になじみの店があるわけでもない。ここらで開拓しておいてもいいだろう。

 そのスナックが入っている建物は、三階建ての小さなビルで、エレベーターは無く、やや急な階段を上がる。

 ちょっと勇気を出して、白いドアを開ける。


「いらっしゃいませ。」


 栗色の髪を肩まで下ろした女性が愛想よく迎え入れ、カウンターの左端に案内する。普段着のようなカジュアルな服装だ。僕が店に入った時、一瞬、彼女がハッと表情を変えたようにも見えたが、気のせいか。


 少し遅れて、もう一人の女性からも、いらっしゃいと声がかかる。

 睫毛の長い目元が、二人とも何となく似ている。母娘のチーママとママだろうか。


 カウンター席には先客が二人。

 その向こうでは、背を向けて男性が作業をしている。想像するに、ママの旦那様か。


 「いらっしゃいませ、何をお飲みになりますか?」

 冷えた手に、手渡された熱々のおしぼりが心地いい。


 「焼酎の種類は何でもいいんですが、お湯割りをもらえますか?」

 「はい、ただいま。」


 ママ(多分)がカウンターの反対側から

「ボトル入れます? その方がお得よ。」

 と声をかけてきたが、いや、たまたま通りがかってお邪魔したので今日は単品で、とお願いした。


 店内を見回すと、内装は白が基調で、カウンターやテーブルはライトブラウン。品がいい。カウンターには「祝五周年」と札の立った胡蝶蘭が置かれていて、店の雰囲気に見事に調和している。


 五周年、僕がこの町の来た時くらいから、この店があるのか。

 この道はよく通るのに、不覚にもまったく気づかなかった。。


「ルカちゃん、お願い。」

「はい。お待たせしました。」

 チーママ(多分)はカウンターに用意されたお湯割りとミックスナッツの小皿を持って僕の前に並べた。


 ルカさんというのか。店の名前と一緒だな、と思いつつ、お湯割りをいただく。冷えた体中に熱い液体が滲みわたる。


「お客さんは、この辺りの方ですか?」

 ルカさんが尋ねる。

「ええ、歩いて五分くらい。すみません、今まで来たことなくて。」

「いえいえ、何も謝らなくても。よろしかったらご贔屓にしてくださいね。」

 そう言って、長い睫毛と美しい瞳でニコッと微笑む。

 営業スマイルとは知りながら、ドキドキする。


 この店に来た理由として・・・

 夕方から熟睡して中途半端な時間に目が覚めてしまったこと

 少し体を疲れさせてから二度寝しようとしていること

 今朝は失敗してしまい、人に迷惑かけたこと

 ・・・などなどをざっくばらんに話した。


「そうですよね、二度寝って難しいですよね。わたしも次の日、朝が早いときに限って、夜中に目が覚めてしまって。時々困っています・・・なんか、さっと寝られる秘訣、ありますかね?」


「呼吸をゆっくりするのがいいみたいですよ。」

「ゆっくり?」

「ええ、深呼吸とは違って、ただ呼吸のテンポを落とすだけ。それで眠れても眠れなくても気にしないで、って思っていると、ほんとにいつの間にか寝ちゃうんです。」

「いいですね。さっそく今夜試してみます。」

「息を吸う時と吐く時の変わり目に、少し間を空けるのがいいみたい。」


 などと話していると、酒も進む、お湯割りをもう一杯頼む。

 ルカさんは聞き上手で、話しやすい。


「ルカちゃん、そろそろじゃない?」

 ママが声をかける。

「うん、そうだね。」


 ルカさんは僕に向き直る。

「ごめんなさい、そろそろ上がる時間なので、この辺で失礼します。」


「それは、残念・・・そうだ、最後に一杯いかがですか? ごちそうしますよ。」

 調子に乗り過ぎた。

「あ、いえ、職業柄、今夜は飲めないので・・・ありがとうございます。」


「?」


「お客様も、明日の朝早いようですので、ほどほどになさってね。」


 ルカさんは一礼してバックヤードに引っ込む。

 ママが少しの間、僕の相手をしてくれたが、夜の徘徊に出た目的を思い出し、お勘定をお願いした。


 アパートに戻ると、再びシャワーを浴び、歯を磨き、ベッドに横になった。


 ゆっくりとした呼吸、か。


 暗闇の中で、呼吸にだけ集中し、テンポを落ち着かせる。

 暗闇の中に、栗色の髪で長い睫毛のルカさんの残像が浮かぶ。


 いかんいかん、呼吸に集中、集中・・・


 そうこうしているうちに、僕の意識は遠のいていった。




 翌朝。


 お陰でアラームに頼ることなく、五時少し前に起床。目覚めも悪くない。


 簡単な朝飯と身仕度を済ませ、出勤する。



 スーパーの搬入口のシャッターを開け、入り口付近を整頓する。

 2トントラックがバックでゆっくり近づいてくる。


 「おはようございます!」

 茶ブチ眼鏡のドライバーが元気に挨拶し、運転席から降りてくる。

 後部ドアを手際よく開け、カゴ積みした荷物をどんどん運び出す。


 今日は、僕もその作業に加わり、店内に運び入れる。


 後部ドアを閉め終わった彼女にサインした伝票を渡す。

 彼女が帽子をとり、深々とお辞儀をしようとした瞬間。


 はずみで、かけていた眼鏡が床に転がった。同時に結んでいた髪も解けた。


 「あっ。」

 慌てて眼鏡を拾い上げ、僕を見あげたその姿は・・・


 栗色の肩まで伸びた髪と、睫毛の長い美しい瞳。


 僕は、唖然とする。


 「ひ、ひよっとして、夕べの!?」

 ばつが悪そうに照れ笑いする、ルカさん。


 「気づくの、今頃ですか?」



 僕は誓う。


 続けよう、ゆっくり呼吸と、

 夜の徘徊。

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