悩みの集荷センター

「わー! 今までルカがメガネ外したところ、見たことなかったけど、マジ美人さんだねえ。」

「うんうん、特に長い睫毛が素敵。」


 カウンター越しに、ルカが髪を降ろしてコンタクトレンズ着用の「お店モード」で佇んでいる。

 レイの言葉を聞いて幾分頬を赤らめた。

 

 レイとラナは、二人のオフの前日、誘い合わせてスナック「涙花」にお邪魔している。


「よしてよ。褒め殺ししたって、お代はちゃんといただきますから。」

「いや、マジな話。仕事中、なんでメガネをかけているか、わかったよ。コンタクトだと男どもが言い寄ってきて、職場でも配達先でも、仕事にならないもんね。」


「あら、レイだって、こうやって髪降ろしてると可愛いと思うわ。」

 カウンター席でレイの隣りに座っているラナが、レイの髪をいじる。

「いやー、帽子かぶってるとボク、男っぽいでしょ。こないだもタクシーの運転手さんに間違えられちゃってさー。へこむんだよねー。」

「へー、レイはそんなこと気にしてないと思ってた。」

 スナック涙花オリジナルのオレンジベースのカクテルをレイに手渡しながらルカが合いの手を入れる。

「そんなことないよー。」

「自分のこと、ボクって言ってるしねー。」

「これでもボクにとっては悩みの種なんだけど。」


「悩みか・・・」

 ラナがライム酎ハイに口をつけながら、ぽそっとつぶやく。



「ママ、悩み聞いてくれる?」

 カウンター席の向こうから、タイムリーなキーワードが聞こえてきた。三十代と見られる、白のワイシャツにネクタイ姿の男性がウイスキーのロックのグラスを揺らしている。

 カウンターで向かい合うのは、キミエママ。ルカのママであり、この『スナック涙花』のママだ。


 レイとラナは、二人の会話に耳を傾ける。


「聞くだけでいいなら、どうぞどうぞ。」

「・・・転職しようかどうか、迷っていて。」

「あら、いい会社にお勤めなのに。どうして?」

「そう。給料とか職場の環境とか、全然文句はないんだけど・・・何年も内勤の仕事やっていると、ずっとこれつづけていくのかなあって、最近思うようになって。」

「何か新しくやりたいことがあるのね。」

「そう。いわゆるスタートアップなんだけど、スキマ時間できるバイトのマッチングサービスをやっている会社があって、そこから誘われているんだ。」

「詳しいことはよくわからないけど。面白そうね。でも何で悩んでいるのかしら?」

「うん、仕事自体は将来性があって、面白そうなんだけど、給料は確実に下がるし、その会社に馴染めるかどうか。」

「もう心づもりはできてるみたいだけど、奥さんには相談してあるの?」

「そこなんだよね。そろそろ子供欲しいね、そのためにもう少し大きな家に引っ越したいねとか話していた矢先なので・・・何となく相談しづらくて。」

「でも、奥さんに相談してみないことには、始まらないんじゃないの?」

「そうなんだけど、切り出すタイミングがつかめなくて。」

「じゃあ、今度奥さん、ここに連れて来なさいよ。日頃のお礼と感謝を込めて、ということで。」

「それはいいかも。ママ、協力してくれる?」

「私は何も言わないわ。」

「え、そんな・・・心細いなあ。」

「だって、二人の問題だもの。そうね、心の中でしっかり応援するわ。」

「・・・そうだね。ママ、ありがとう。」


 その男性は、スーツの上着を着てお勘定を済ませると、笑顔でママに挨拶をして店を出て行った。


 キミエママは、男性が座っていたカウンターの周りを片づけると、ルカの隣りに並んだ。二人並ぶと美しい目元がそっくりだ。


「いらっしゃい。お二人にはいつもルカがお世話になってるわね。」

「いえ、お世話になってるのはこっちの方です。」

 と手を振って否定するラナ。


「でも、ママさん、すごいねえ。聞き耳たてちゃって、ごめんなさいだけど・・・あの男の人、随分悩んでたのに何かスッキリして帰っていったよ。」

 レイがしきりに感心する。


「スナックは、悩みや愚痴を聞いてあげる場所でもあるからねえ。」

「なんか悩みを聞くコツでもあるんですか?」

 ラナがキミエママに、空いたグラスを渡しながら尋ねる。


「そうねえ・・・あなたたちの仕事になぞらえて話すと、ここは『悩みの集荷センター』ってとこかな。」

「なんか面白そう!」

 レイとラナは同時に身を乗り出す。


「まずはね。悩みという荷物を受け取るの。丁寧にね。」

「うんうん。」とレイ。

「丁寧に、っていうのがポイントですね。」とラナ。


「でも、集荷所で荷物を受け取ったら、どこかに配送するよね。悩みはどうするのかしら。」

 母に質問するルカ。


「大きくは二つかしら。」

「「「二つ?」」」

 三人が声を揃える。


「そう。一つは、一旦預かって、保管してあげる。」

「おー、うまいことおっしゃる。」とレイ。


「具体的にどういうこと?」と娘のルカ。


 キミエママは続ける。

「だいたいね、何を悩んでいるかよりも『悩んでいること』自体が問題なの。それに囚われて、考えたり、行動することができなくなってしまう。だから、じっくり悩みを聞いて、『大変ね、しばらくその悩み、預かってあげるわ』と言うの。そうすると不思議なことに、『心の荷物』が降りて、考え始めたり、できることをやってみよう、っていう気になるのよね。で、しばらくしてお店にやって来たら、『あの時の悩みどうしました?』って返してあげるの。その時には大概、解決に向けて、いい方に進んでいる。」


「なるほど、悩みは聞いてあげるだけも効果あるって、よく言うものね。参考になるわ。今度試してみよう。」とルカ。

「ふふ。十年早いわ。」と余裕を見せるキミエママ。


 興味津々で尋ねるラナ。

「で、もう一つは、どんなことでしょうか?」


「そうね。一旦梱包を解いて、中を見せて包み直して、その場で返す。」

「またまたうまいことを! ・・・でも、どういうことかな。」

 レイにはいまいちピンと来ていない。


「これは、自分の中である程度答えが見つかっている場合ね。聞いた悩みの中から、あなたはこうしたいのね、と言ってあげて、さらにそれを後押しできそうなことを付け加えるの。」


「もしかして、さっき話していた男の人は、こっちのパターンですか? 」

 ラナは先ほどのキミエママとネクタイの男性の会話を思い出す。

「その通り。あの方は、すでに転職することを心の中で決めている。でも、それを前に進めるためには、まず奥さんに相談しなくてはならない。そのきっかけが掴めなくて悩んでいたと思うの。だから、このお店で奥さんに相談することを持ちかけてみたの・・・相談の場をこのお店にしたら、儲かるしね。」


「・・・さすが商売上手。」ルカが半分感心し、半分あきれる。

「いやあ、面白い話、聞かせたもらっちゃった。」とレイ。


 ラナは、少し考えている様子だったが、やがて口を開く。

「あの、キミエママさん、私の悩み、聞いてもらってもいいですか?」

「ええ、お話して気が楽になるなら。どんなこと?」


「私のお家、花屋をやっているんですが。」

「そうだったわね。綺麗なお花をありがとう。」

 ラナが配達した胡蝶蘭は、まだまだ花をつけていて店内を華やかに演出している。


「最近両親がですね、花屋を継いでくれないかって言ってきたんです。」

「え、トラックの運転、辞めちゃうってこと?」レイが心配そうに聞く。

「ううん、すぐにってことではないんだけど、そろそろ考えておいてくれって。」

「そうよね、そう言われるといろいろ気になって思い悩んじゃうよね。」

 キミエママがラナの心配事を受け止める。


「でも、継ぐにしても、まだ先の話なんでしょう? 」

「はい、両親はまだそんなに齢じゃないし、元気ですし。」

「じゃあ、もう少し気楽に、気長に構えようか。ママがその悩み、預かっておいてあげるからさ。」

「はい、ありがとうございます・・・何かそう言っていただけると、少し気が軽くなった気がします。」

「そうでしょ。そうすると、あれやこれや考えたり、調べたりできるようになる。」

「はい、そんな気がしてきました。」

「彼氏見つけて結婚して、旦那に花屋押しつけて、じゃなくて継いでもらってもいいしね!」

 レイが面白半分に茶々を入れ、ルカからカウンター越しに睨まれる。


「でもね、一番大事なことはね。」

 ママがラナに新しいお酒を渡しながら話す。


「自分はどうしたいか? まず、これを思い描くことかな。」

「自分はどうしたいか・・・・ですか。」

「そう。で、そのためにどうすればいいかを考える。」


 ラナは、イメージする。リョウやロマンのように、大きなトラックに乗って、遠い地を地平線の向こうまで旅する自分の姿を。


「でもママさん、このお店初めて五年って聞いてるけど、お悩み相談、もっと年季が入ってるみたい。お店始める前、何かやっていたのかな?」

 レイの質問が、遠い目をしていたラナを現実に引き戻す。


「相談ってほどのことではないわ。夫がウジウジグチグチ悩みを口にするタイプでね。長年それに付き合ってたら、悩みを聞くコツを習得したみたい。」

 キミエママが笑いながら答える。


「今、僕のこと、何か言った?」


 カウンターの向こう側で洗い物をしていたルカパパがこっちを見た。

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