小憎らしくて、むかついて、そして。

 夕方までかかって、山のような伝票整理を終えたルカは、デスクにゴンと顎をついて、ご機嫌斜めオーラを放出していた。

 年度末の事務作業に追われ、この一週間、トラックの仕事から遠ざかっている。夜は実家のスナックを手伝い、昼は事務所に籠もって伝票処理。

 春風がそよぎ、桜の花びらが舞う、いい季節なのに。


 その日の朝、点呼のために事務所に寄ったレイに、そのことを愚痴ったら……

「それは可愛そうだね。じゃあ、代わりにボクが春のドライブを満喫してあげるからね」

 と、にこやかに手を振って事務所を出て行った。


 そういうとこだよ、レイ。小憎らしいなあ、もう。


 今朝のやりとりを思い出していたら、ガチャっとドアが開き、乗務終了の点呼を受けに来たドライバーが入ってきた。レイだ。



「あ、ルカ、お疲れ様。ちょっと待っててね」

 点呼を受けて事務スペースに戻ってきたレイが再びルカに寄ってきた。


「ねえねえ、ルカにいいもの見せてあげるから、ちょっと来て」

 レイはルカの手を取り、トラックの駐車場に引っ張っていく。


 さっきまでレイが運転していた4トン車の前にルカを連れてきた。


「そのまま。そこにいてね」

 と言って、レイは洗車用の水道蛇口が並んでいるコーナーに向かった。 彼女は高圧洗浄のホースを持ち、蛇口をひねる。

 白い霧状の水が勢いよく吹き出した。レイは、トラックの天井に狙いを定め、蛇口をひねって、水の勢いを増した。


 何が起こったかというと……


 トラックの天井に乗っていた、多量の桜の花びらが、水しぶきとともに舞い降りてくる。その下には、ルカが佇んでいた。

 ルカは、水しぶきとともに大量の桜の花びらを浴び、それが体中にまとわりついた。制服はずぶ濡れになり、桜の花びらが付着し、全身が薄ピンクに染まった。通りがかった社員達は、気の毒がったり、面白がったりして見ている。


「ありゃりゃ、ちょっと計画と違ったな」

「レイ、あなた、今日どこ行ってたのよ、お花見でもしてたの!?」

「いやいや、桜の木がある、お客さんの倉庫の駐車場に車を停めただけ」

 レイの目論見では、わずかな水しぶきを上げながらも、ハラハラと舞い降りる、桜の花びらの雪を堪能してもらえるはずだった。


「ごめんごめん、花びら星人になっちゃったね」

 謝りながらも、レイは悪びれる様子もない。


 ……そういうとこだよ、レイ。ムカつくなあ、もう。


 

 花びらまみれになったルカは、身じろぎもせず、レイをにらみつける。

 タオルを差し出しながら、レイは提案する。


「じゃあ、行こっか?」

「行こっかって、こんなズブ濡れでどこに行くのよ?」

「お風呂。スーパー銭湯。着替えはボクのを貸したげるよ」


 なんかよくわからないが、このまま濡れ鼠のままでいるわけにもいかなので、その提案に応じることにした。


 レイから借りた服(トレーナーとジャージーだが)に着替え、打刻する。


 外に出ると、スーパーカブに跨がってレイが待っていた。

「ハイ、被って」ピンク色のヘルメットを手渡される。

「あの、このバイクって二人乗りOKなの?」

「うん、125CCだから、問題なし」


 ルカがバイクに跨がり、レイの上半身に腕を回すと、ゆっくりとカブが走り出した。


 そういえば、この辺にスーパー銭湯なんてあったかしら、とルカは不審に思った。

「ねえ、レイ、どこまで行くの?」

 とルカが尋ねる。


「どこまでも!」

 とレイがかっこつけて応える。


 カブは運送会社の近くの住宅街の中を五分ほど走り、その外れで停まった。

 目の前にあるのは、年季の入った木造の大きな建物、銭湯だ。入り口には『桜乃湯』と描かれた暖簾がかかっている


「ここ? スーパー銭湯じゃないと思うけど」 

「ううん、『スーパーな』銭湯だから、スーパー銭湯ダヨ」

 レイはニヤリと笑った。


「まずは、コインランドリー」

 レイに言われるがままに持参してきた、ずぶ濡れの制服を洗濯~乾燥までワンストップでやってくれる洗濯機に放り込む。ところでこの制服、丸洗いしたり乾燥機にかけたりしても問題ないんだろうか?


「下着は?」

「いや……下着はさすがにちょっと」

 ルカはバッグに入れた小物入れの袋をちらっと見やる。


「せっかくだから洗っちゃおうよ」

「流石にダメ。泥棒されたらどうすんのよ」

「じゃあ、そのままノーパンでいるの?」


 実は、ルカはノーパンで会社を出たのは初めてだ。いや、誰だってそんな経験していないだろう。スースーして心細い。


「この後、コンビニ寄って」

 わかったとレイはニタニタ笑う。


 レイの言う、スーパーな「銭湯」の暖簾をくぐる。

 券売機で入浴券とタオルレンタル券を買い、番台に渡す。


 脱衣所にはお年寄りだけでなく、結構若い女性や外国人もいる。

 浴室の扉を開け、湯気でモウモウとしている中をレイと一緒に洗い場に進む。


 眼前には。


 タイル貼りの大きな浴槽があり、その背後には、銭湯ならではの壁画が……

 春霞に煙る桜並木が絵の下半分を覆い、その彼方に富士山がそびえていた。七合目くらいまで、雪が残っている。


 これは見事。きれい。


 ルカは絵に見とれながら、そそくさと体を洗い、湯船に浸かる。

 まだ肌寒い外気の中で水を浴びて、体が冷え切っていたが、じんじん痺れるように体が温まってくる。


「ね、なかなかいいもんでしょ。冨士をバックに、桜花爛漫」

「ほんと……って、あなた、ここに来るまで計画に盛り込んでたってこと?」

「いやいや、コレは偶然。花びら星人を助けてあげる羽目になっちゃから」


 ……そういうとこだよ、レイ。愛おしいなあ、もう。


「桜が見られて、ほんとよかった。レイ、ありがとね」

「ぜんぜん」


 『桜に冨士』を背景に、ルカとレイはゆったりと湯に浸かった。


 お約束のフルーツ牛乳を飲んでると、レイがもうひとつ提案してきた。

「ねえ、明日も事務仕事でしょ? ボクはオフだから、今日ウチに泊まんない? 制服も洗濯して乾くだろうし」


 ルカは少しだけ考える。

「いい提案ね。でも下着がないし……」

「じゃあ、部屋に着いたら、ボクのパンツ、貸してあげるよ」


「……コンビニ寄って」

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