ママのおっぱい自慢
ラベンダーの香り。子供用のシャンプーでも、こんなにいい匂いがするのか。自分が子供の頃、どんなシャンプーを使っていたっけ。
リョウは娘の髪を洗いながら思った。
もっと小さい頃、この子はシャワーをかけるとすごく嫌がっていたのに、最近では目をつぶって気持ちよさそうにしている。
娘と自分の洗髪とトリートメントを終え、湯に浸かる。
ミムは『泡がぶくぶくでいい匂い』の入浴剤が好きだ。これもまたラベンダーの香りがする。
以前は二人で湯舟に浸かっても、ゆったりと入れたが、今は少し窮屈になったように感じる。
「ママのおっぱい、やっぱり、おっきくてカッコいいね」
そう言ってミムは母親の胸をちょんとつつく。
「こらこら、そんなこと外で言っちゃだめだぞ」
「えへへ。保育所のマキちゃんに、もう言っちゃった」
リョウは手で水鉄砲をつくって、ミムの顔に水をかける。
ミムはキャアっと叫びながらも、嬉しそうにしている。
今夜は、月に何度かの、母娘が二人でいられる貴重な時間。
ミム、バーバ、ジージ、そしてリョウの四人でのんびりと夕ご飯を食べ、のんびりと湯に浸かる。
本当は自分でできるのに、風呂から上がるとミムは母親にバスタオルで拭いてもらった。
ドライヤーをかけてあげると、やはり目をつぶって温風を浴び、気持ちよさそうにしている。
少し栗色がかった、柔らかい髪質。自分のそれとは違う。別れた夫の髪に似ているなとリョウは思った。
この日ばかりはと娘をアマアマに甘えさせる。それは娘のためでもあり、自分のためでもあり。
ミムがもう少し小さい頃。
泊りがけの仕事で夜中に運転していると、携帯に電話がかかってきたり、LINEにメッセージが入っていたりしていた。差出人は、リョウの母親の名前だが、犯人はミム。寂しくなると、『バーバ』のスマホを拝借して連絡をとってくる。今どきの子供は、電話のかけ方も、LINEの使い方も見様見真似で覚えてしまう。
それに気づいたバーバは、ミムにちょっときつめに言い聞かせたらしい。『ママは今運転中なんだから、だめだよ。事故を起こして帰って来れなかったらどうするの』と。それを聞き、ミムは怖くなって大泣きしたらしい。
それ以来、電話もLINEも来なくなった。すごく我慢してるんだろう。
「ママ、必ずおみやげ、買ってきてね」
リョウが泊りがけに仕事に出かけるとき、ミムは必ずそう言って送り出す。多分、遠くにいても自分のことを気にかけていて欲しいからだ、そして無事に帰ってきて欲しいからだとリョウは理解している。
長距離の仕事の後は、たいてい夜遅くなるので、ミムはバーバと一緒の布団の中で寝ている。
だからお土産は、そっと枕元に置いておく。
今夜は、すでにミムはリョウのベッドに潜り込んでいる。リョウが寝支度を調えていると、布団から顔を出し、『はやくはやく』と急かす。
リョウがベッドに入ると、ミムはくっついてきて、リョウの腕の中にすっぽり収まる。
やわらかく、暖かい。ラベンダーのいい匂いもする。フワフワの栗毛が頬にあたり、くすぐったい。
今はまだ寒いから心地いいけど、夏になったら、ちょっと困るかな。
もう少し小さい時は、この体勢のままオネショされたこともあったけど、今はもう大丈夫だろう。
「あのね、こないだ、ママの夢みたんだ」
「へえ、どんな夢?」
「ミムがね、魔法使いになって、ホウキに乗って、お仕事してるママを探しにいくの」
「え?」
リョウは驚く。最近、トラックで仮眠をしている時、そんな夢を見たような気がする。
「なんで、魔法使いさんになったのかな?」
「うーん、なんでだろ……そうだ、思い出した。ママをお風呂に入れてあげるの」
「え!」
リョウはさらに驚く。夢の中で、リョウは魔女っ子のミムから、ラベンダーの香りがする入浴剤を受け取ったのだ。
「ミムは、どんな魔法使いさんなのかな?」
「えーっと、『サキュバス』の魔法使い」
なに! 確か、サキュバスって、エロい魔物じゃなかったっけ?
「その魔法使いさん、どこで覚えてきたの?」
「保育所。友達が言ってた」
保育所、大丈夫か?
「……で、何でママをお風呂に入れてくれたのかな?」
「だって、トラックに乗ってると、お風呂に入れないでしょ。って、バーバが言ってた」
「あはは、大丈夫だよ。今はね、車の駐車場に、お風呂やシャワーもついてるし、温泉だってあるんだよ」
「えー、そうなの! ミムも、おんせん、行ってみたい」
「そうだね。今度お休みの日行ってみようか?」
「うんうん」
これは、近所のスーパー銭湯でごまかしちゃいけないやつだ、とリョウは感じた。
「夜中にホウキで飛び回っていると、危ないから、なるべくお布団で寝ていて欲しいな」
「へーきだよ。ミム、お空飛ぶの、じょうずだもん」
「そう、今度、ママも乗せてくれるかな」
「うーん、ちょっと重いかな」
「なんだと!」
ミムをぎゅっと抱きしめる。
そのままにしていると、寝息が聞こえてきた。
窮屈じゃないのだろうか。
リョウは、腕の力を緩め、ささやく。
おやすみ。ミム。
体も、髪も、パジャマも、フワフワで柔らかく暖かい。
それを腕の中で感じながら、リョウにも睡魔が襲ってくる……
気がつくと、ミムは、月夜の星空をバックに、ホウキに乗って飛んでいた。どうなっているのかわからないけど、リョウも空を飛んで娘を追いかけている。
はやく連れ戻さないと。
ミムは『夢魔』の世界に入り込んでしまう。もう少しで追いつく。リョウは懸命に腕を伸ばす。
リョウはそこで目が覚める。
ちょっと怖い夢だ。
何か、スース―する……腕の中にいたはずの娘の姿が無い。
慌てて飛び起きる。
ミムは?
ドアがガチャリと開いて、ミムがベッドの上に飛び乗ってきた。
リョウは、その重さを布団の上に感じた。それが嬉しかった。
「ママ、いつまで寝てるの? はやくごはん食べて、保育所、行こうよ」
ミムはもう着替えている。
スマホの時計を見ると、七時半。もうこんな時間? そんなにいっぱい寝たのか?
リョウはベッドから降りると、ミムを抱き上げ、居間に向かった。
リョウが娘をのんびりと保育所に送り迎えできる日も限られている。月に三、四日くらいか。
ミムと手をつないだまま保育所の門をくぐり、子供を送りに来たお父さんやお母さんと挨拶をしながら、すれ違う。すでに庭を元気に走り回ったり、ジャングルジムで遊んでいる子も大勢いる。
その中に、ひとりの女の子を見つけ、ミムは大きな声であいさつする。
「マキちゃーん、おはよう!」
マキちゃんは、大きく左右に手を振って答える。
「おはよう、ミムちゃん。今日は、オッパイがカッコいいママといっしょなんだ!」
子供達と遊んでいた保育士の先生方が、それに反応し、一斉にこちらを振り向く。
子供達が両手を前に突き出して駆け寄ってくる。
咄嗟にリョウは胸の前で両腕をクロスさせ、ガードした。
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