第10話 幻聴が聞こえる


 吾輩はカフェ店主である。

 客はまだいない。

 前世の文豪にちなんだ自虐ネタを考えながら、俺は黒板にメニューを書いていた。


 メニュー


  水    ……200ゲト

  氷水   ……250ゲト

  コーヒー ……300ゲト


 今日も変わらぬカフェ・ダガールの鉄板メニューである。

 今日こそお客が来るかもしれない。

 頼むから来てくれと俺は念じる。

 今のところ俺の収入はシュナの宿泊費だけだ。

 金には困っていないが、これではまるでシュナのヒモではないか!

 堕聖女に食わせてもらうなんて、俺のプライドが許さない。

 今日こそ現状を打破するのだ。


 そんな俺の願いが通じたのだろうか?

 昼前に慌ただしく扉が開き、商人風の男が入ってきた。

 まさか、ついにお客がやってきたのか⁉

 俺は身を固くする。

 魔界の悪魔と対峙したときでもここまでの緊張はなかった。


「すまないが、ここで休ませてもらえないだろうか? 仲間がサンドスコーピオンに刺されたんだ」


 ふむ、客というわけではないようだ。

 だが、困ったときはお互い様だ。


「かまわないから連れてきてやんな」


 サンドスコーピオンはゴーダ砂漠に住むサソリのことだ。

 魔物ではないのだが、その毒は強力である。

 場合によっては命を落とすこともあるほどだった。


「マスター、この辺に治癒士か医者はいないだろうか?」


 マスターと呼ばれてつい顔がにやけてしまう。

 おいおい、カフェっぽくなってきたじゃねえか。

 だが、困ったな。

 ダガール村に医者はいない……って、うちにはアイツがいるじゃないか!


「治癒士なら二階で寝ているぜ。目つきは悪いが腕は確かだ」

「ありがたい!」


 俺は商人たちを二階に案内した。


「シュナ、客だ!」


 間が悪いとはこのことだ。

 勢いよく開けた扉の向こうには着替え中のシュナがいた。

 今日の下着はミントグリーンの上下ですか……。


「い……」

「い……?」

「インペリアルファイヤァアアアアアアア!」


 一点に収束する魔力が紅蓮の炎を解き放つ前に俺は前に出た。


魔流環まりゅうかん!」


 魔剣ヒュードルのつかを前に出し、そこから俺の魔力をシュナにぶつける。

 シュナの魔力波はこれにより乱れ、魔法の発動が遅れるのだ。

 言ってみれば一種のジャミングであり、対魔法戦闘における俺の奥の手でもあった。

 俺はそのまま高速で踏み込み、床に頭をつけた。

 いわゆる、ダイビング土下座である。


「すみませんでしたぁああああああ!」

「…………」

「だが聞いてくれ。急患が来ているんだ。サンドスコーピオンに刺されてひどい状態なんだ。至急診てやってくれ!」

「わかった……。わかったから、さっさと部屋から出ていけぇええええ!」

「おう!」


 廊下に出ると商人たちは心配そうにこちらを窺っていた。


「安心しな、診てくれるそうだから」

「なんかすみません、俺たちのせいで……」

「いいってことよ。相手が強力すぎて魔力の半分を失っただけだ。じゃあ俺は下にいるから」


 みんなを二階に残して店に戻った。


 しばらくすると、シュナと一緒に商人たちが戻ってきた。

 サソリに刺されて血の気を失っていた男もすっかり元気を取り戻している。


「先生のおかげですっかりよくなりました。ありがとうございます」

「うん……」

「それで、治療費はいかほどでしょうか?」

「……じゃあ、6000ゲト」


 標準的な値段だ。

 とくにボッタクリということもない。

 商人たちも喜んでいる。

 金を受け取ったシュナがそれをそのままこちらに渡してきた。


「ん、宿泊費」


 迷宮探索を手伝ってもらっているので、金はもう要らないと言ったのだが、シュナは宿泊費を払い続けている。

 それがシュナの流儀らしい。

 俺としてはヒモのようで嫌なのだが、シュナは頑として受け付けない。


「治療に時間がかかったな。シュナだったら一瞬で治せるだろう?」

「わかってないなあ。それだとありがたみがないでしょう? 治療には演出も大事なの。それに、噂が立っても困るのよ」


 そういえばこいつは家出娘だったな。

 そろそろ詳しい話を聞いてもいい頃合いか。


「シュナはガーナ神殿から来たんだな?」

「お察しのとおりよ」


 ガーナ神殿は聖女の育成機関だ。

 聖女というのは神殿のシンボル的存在で、教皇について全国を旅してまわる。

 慈愛の神ユーラの化身であり、アイドル的な存在でもあった。

 シェナがアイドルねえ……。

 ぜんぜん似合わねえ!

 それに聖女だなんて気苦労も多そうだ。

 コイツが逃げ出すのも無理はないか……。


「シュナも苦労しているんだな」

「そういうことよ」


 二人で話していたら商人たちが声をかけてきた。


「マスター、一息つきたいのでコーヒーをくれ。三人前だ」

「え……」


 コーヒーをくれ、コーヒーをくれ、コーヒーをくれ

 どこからか幻聴が聞える……。

 

「しっかりしなさい、バカ! ジンはカフェの店主でしょ!」


 そうだった!

 ついにこのときがやってきたか。

 初めての客、初めてのオーダー、まさに感無量だ。


「オーダー入ります。コ、コーヒー三つ……グスッ」

「この人、何で泣いているんだ?」

「気にしないで、ただのバカだから」


 俺は真心を込めてコーヒーを淹れた。

 迷宮で手に入れたレシピに従って、豆と水を量り、温度も計測する。

 じいさんの代から使っている細口のポットで湯を注ぐと店の中にふくよかな香りが広がった。


「ど、どうぞ」


 商人たちはカップを手に取って口をつける。

 俺とシュナはその一挙手一投足を見守った。


「そんなに見られると飲みにくいんだけどな」

「これは失礼」


 気を紛らわすために俺はコーヒーサーバーを洗った。

 頼みもしないのにシュナはそれを拭いていく。

 きっとシュナも緊張しているのだろう。

 やがてコーヒーを飲み終わった商人たちが席を立った。


「ごちそうさん、美味しかったよ」

「あ、ありがとうございました!」


 ドアベルを鳴らして商人たちは去っていった。

 俺とシュナはカウンターに並べられた900ゲトを見つめて感慨に耽る。


「美味しかったってよ!」

「やっぱり私は何をやらしても才能があるね」

「シュナはなにもしてねえだろう?」

「コーヒーサーバーを拭いたじゃない!」

「そういえば、そうか」


 うん、マイナス24なのによく割らなかったな。

 カフェ・ダガールはついに初めての客を迎えたぞ。

 手応えはじゅうぶんだ。

 この調子で繁盛させるぜ!

 深奥のベヒーモスを倒したときより、俺の心は充実していた。

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