第32話 ブンガヤパイン
翌朝、トーラはすっかり元気を取り戻していた。
さすがは巨人族の回復力だ。
玄関口に立つトーラの姿に怪我の名残はない。
「ずいぶんと世話になっちまったね。この借りは必ず返すよ」
「いいってことさ。またお客を紹介してくれ」
トーラはじっと俺を見つめる。
「危ないねえ……。ジンの背がもう少し高かったら……、いや、私がもう少し小さかったら惚れちまっているところだよ」
「そうかい? お世辞でも悪い気はしねえな」
トーラは大きく手を振って去っていった。
あいつが元気になってほっとしたぜ。
だが、問題がすべて片付いたわけではない。
シュナは今朝も不機嫌なままだった。
さて、どうしたものか……。
「店を開けるには少し早い。シュナ、迷宮へ行かないか?」
「ん……」
昨日のように断られるかと思ったが、シュナは同意してくれた。
ただ、普段よりずっと口数は少ないままだったが。
迷宮レベル:71
迷宮タイプ:森
中途半端に高いレベルである。
「このままいくか、それとも入りなおして142にするか?」
「どっちでもいいわ」
機嫌は完全には直っていないようでシュナの態度は少しだけ投げやりだ。
けっきょく、入り直すこともなく俺たちはレベル71の迷宮に臨んだ。
森タイプの迷宮では魔物も含めて食材となるものの出現が多い。
だが今日はそういったものを一つも見つけられないまま迷宮の奥地までやってきた。
俺たちを出迎えたのは一本の巨木だ。
木の高さは一〇〇メートルを超える。
「おいおい、まさか世界樹だなんていうんじゃないだろうな?」
「何をバカなことを。私も見たわけじゃないけど世界樹は広葉樹よ。これは針葉樹じゃない」
「うん、チクチクする」
目の前の大木は松のような針葉樹である。
「おそらくこれはブンガヤパインね」
「聞いたことがねえなあ」
「本来は北方の山脈地帯に生える松の仲間ね。地竜が好んでこの実を食べるそうよ」
聖女候補だっただけのことはあってシュナは博識だ。
「実ってこれのことか?」
俺は地面に落ちていた松かさを持ち上げた。
俺の顔二個分より大きい。
「きっとそれね。皮をむけば五十個くらいの種子が入っているはずよ」
「食用になるんだよな?」
「ドラゴンが好んで食べるくらいよ。ブンガヤの実は健康にとてもいいの」
常連のじいさんたちが喜びそうだから、持って帰るとしよう。
持参した麻袋にブンガヤパインの実を詰めていると大きな足音が響いて地竜が現れた。
体高は三メートルくらいで一般的なドラゴンよりは小型だ。
前世でみた恐竜映画にこんなやつがいたな。
自分の食料を奪われて怒っているのだろう、歯をむき出しにして威嚇してくる。
「こいつは食えるのか?」
「無理。血に毒があるわ。魔法薬の材料にはなるけどね」
食えないやつに用はない。
俺の頭にかぶりついてきたところをヒュードルの一閃で首を落とした。
「ずいぶんとあっけなかったな」
「…………」
やれやれ、まだ機嫌は悪いままか。
出現した宝箱にはレシピが入っていた。
ブンガヤパインの実を使ったタルトの作り方だ。
そういえば前世で松の実のタルトを食べたことがあったような気がする。
詳細までは思い出せないけど美味だったはずだ。
きっとあれに似た感じになるのだろう。
宝箱にはアーモンドプードルをはじめとした他の材料や器具も入っていたので、すぐにでも作れそうだ。
「この金属のお皿はなに?」
「タルト型だ。帰ったら美味しいブンガヤタルトを作ってやるぞ」
「ふーん……」
シュナにいつもの元気はないままだった。
その日の午後ディランがやってきた。
約束どおり遊びにやってきたそうだ。
仕事にも慣れたのだろう、ターバンを頭に巻きラクダに乗った交易商人姿が板についていた。
「部屋はあるんだよな? 今夜は泊めてもらうから一緒に飲み明かそうぜ!」
「おう、大歓迎だ。夜はとっておきの酒を出してやるから楽しみに待っていろ」
裏に埋めてある秘蔵のネクタルを掘り起こすとしよう。
日も暮れて常連客達が去ると、俺とシュナとディランは店で夕食にした。
本日のメニューは大ムカデの炒め物とブンガヤパインの実のローストだ。
ブンガヤパインは思ったとおり常連のじいさんたちの心を射止めていた。
これを食べると動悸や息切れがすっと収まるらしい。
「都で売ったら大儲けできそうなくいもんだな」
ボリボリとブンガヤを噛みしめながらディランがうなずいている。
「どうだ、商売の方は?」
「ベンガルンで仕入れた香辛料が良い値で売れたよ。俺も数年で大商人の仲間入りかもな」
交易商人の利ザヤは大きいが、それだけにリスクもでかい。
言ってみれば己の命をベットして行う賭け事みたいなものだ。
どんなに優秀なやつでも常に勝ち続けることは不可能だ。
「足元をすくわれるなよ」
「わかっている、それでも迷宮の奥地よりはマシさ」
音もなくフォークを置いたシュナが立ち上がった。
「ごちそうさま」
部屋へ引き上げようとするシュナにディランが声をかける。
「もう寝るのかい?」
「アンタたちの邪魔はしたくないから」
シュナは軽く手を振って二階へ上がっていってしまった。
ディランはいぶかし気に俺を見つめる。
「シュナとなにかあったのか?」
「いや、思い当たることはあるが、俺の気のせいかもしれないし……」
俺はトーラが怪我をした日のことを話した。
「あれからずっとあんな感じなんだ」
「そりゃあジンが悪い」
「トーラを放っておいたら死んでいたぞ」
「人命救助は尊いさ、命が二束三文でやり取りされるこんなクソみたいな世の中でもな。俺が言っていっているのはお前のアフターフォローのまずさだよ」
「…………」
「そもそもジンとシュナはどうなっているんだ?」
「どうと言われても困る」
シュナはもう俺の生活の一部になりつつある。
シュナの前なら俺はありのままの自分でいられる。
俺がどんな戦い方をしてもシュナなら怖がらない。
俺にはそれが心地よいのだ。
そして俺は知っている。
眉間にどれだけ深いしわを刻んでいようとも、シュナのまなざしの奥はいつだって優しいのだ。
「ジン、まだエスメラに未練があるのか?」
「それはない」
それだけは断言できた。
ここへ来た当初はエスメラを思い出すこともあったが、最近ではほとんどない。
思い出したとしても、頭の隅をかすめる程度だ。
「だったらどうして? ジンはシュナのことが……。まあいい、人のことをとやかく言うのは主義に反する」
ディランは首を振って、ネクタルのグラスに口をつけた。
俺が踏み込めない理由は単純だ。
もしシュナがここを出ていくようなことがあれば、今度こそ立ち直れないかもしれない、そう考えているからだ。
国いちばんの剣士なんて言われていても、中身はこんなもんである。
「戦闘時のメンタルはバカみたいに強いくせに、女が相手になるとどうしてこうも弱くなるかね?」
ブンガヤの実をポリポリ噛みながらディランがため息をつく。
「理由は簡単だ。俺が剣をふることしか知らねえバカだからだ」
「剣の天才がどうしてカフェなんかやっているんだよ?」
「剣の天才でいることが嫌になったからだ」
「ちがいねえ……」
俺とディランは同時にコップのネクタルを飲み干した。
二人とも飲みすぎだった。
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