第31話 叫び


 カフェ・ダガールまで戻ってくると、シュナがカウンターにポツンと座っていた。

 先ほどまでたくさんいた客は一人もいなくなっている。

 店主が消えて、みんな帰ってしまったのだろう。


「何があったの?」


 シュナは俺の腕の中のトーラを素早く観察した。


「トーラが魔物に襲われたんだ。そのうえで砂漠に置き去りにされた。放っておくこともできないから迎えに行ってきた」

「処置は?」

「万能薬を一本飲ませた。それだけじゃ足りなそうだったから傷薬も塗ってある。傷が開かないように包帯も巻いた」

「包帯も?」


 シュナは厳しい目でトーラに巻かれた包帯を確認していく。

 これでも叩き上げのSランク冒険者だ。

 応急処置くらいはばっちりできるぞ。

 俺の処置は及第点だったようで、シュナは文句をつけなかった。


「二階で休ませるよ。ベッドは少々小さいだろうがな」


 トーラを抱いたままだったので狭い階段を上るのには苦労した。

 それでも何とか担ぎ上げ、ゲストルームのベッドにソファーを継ぎ足して寝かせる。

 シュナは付いてきて、黙ってその様子を眺めた。


「痛むところはないか?」


 トーラは疲れ切っていたけど強がってみせた。


「男にベッドまで運ばれたのは初めての経験だよ。想像以上に悪くないもんだね」

「後で飯を届ける。それまでは眠ってな」

「ああ、そうさせてもらうよ……」


 俺とシュナが扉を締め切る前には、もうトーラの寝息が聞こえていた。



 一階に降りてきた俺はシュナに提案した。


「迷宮へ行こうぜ。トーラに精のつくものを食べさせてやりたいから」

「……私は止めとく」


 シュナはそっけない。

 眉間のしわはなかったけど、無表情で感情は読み取れなかった。


「どうした、具合でも悪いのか?」

「少し疲れたの」


 村人の怪我がひどかったのだろうか?

 治療でシュナが魔力を使いつくすこともないだろうが……。


「わかった、シュナの分も食材を調達してくるさ。休んでいてくれ」


 なんとなく不機嫌なシュナを置いて一人で迷宮へ向かった。



 迷宮レベル:12

 迷宮タイプ:洞窟


 シュナの協力がなくても余裕で攻略できるレベルだった。

 ここなら利き手を一切使わなくてもボスを倒せるだろう。

 ただ、少しだけ落ち着かなかった。

 考えてみれば、この迷宮に一人で入るのは初めてのことだ。

 じいさんの遺言書を読み、最初にここへやってきたときから俺の横にはシュナがいた。

 誰もいない右側がぽっかりと空いた穴のように感じられる。

 そこはかとない寂しさを感じたが、シュナの不在をねじ伏せるように俺は通路の真ん中を歩いた。

 幅は五メートルほどの洞窟だった。

 壁には等間隔に松明がともっていたが、道は緩やかなカーブを描いているので先がどうなっているかはわからない。

 魔物の気配を探りながら、普段と変わらない歩調で歩いていく。


 ひょっとして、俺がトーラに優しくしたからシュナは嫉妬した?


「そんなことあるわけないか」


 迷宮に集中していない自分に腹が立って、落ちている小石を蹴った。

 強めに蹴ったせいで石は飛ばず、砂になって消えていく。

 化け物がなにを感傷に浸っているのか、と自嘲めいた笑いが込み上げた。

 少し落ち着こう。

 何か食材を得て、美味いものを作って食わせてやればシュナの機嫌も直るだろう。

 都合のいいことに魔物の群れがやってきたようだ。


「よう、歓迎するぜ。ちょっとざらついた気分なんだ」


 俺は巨大な螻蛄おけらの群れにそう告げた。

 体長は八〇センチほどもあり、ギーギーと嫌な声で威嚇してくる。

 横穴を掘って出てきたのだろう、気が付くと螻蛄は俺の後ろにもいた。


「挟み撃ちとは知恵がまわるじゃねえか!」


 だが、虫の策略など知るもんか。

 敵が前にいればそれを斬り、後ろにいればまたそれを斬るだけだ。

 魔剣ヒュードルを抜いてまずは前方の群れを、続いて後ろにいた群れを斬った。

 時間にして十秒もかからない。

 体を動かしたおかげでシュナのことを少しだけ忘れられた。


「おかげでちったぁ落ち着けたよ。感謝するぜ」


 魔物の亡骸に軽く手を振って先を進んだ。


 洞窟にはキノコが点在していた。

 こいつの名前はナムトゥール茸。

 都の中央迷宮の奥地にも生えていたので俺でも知っている。

 長期遠征ではおなじみの迷宮飯の定番だ。

 栄養は少ないらしいが、たき火で焙っただけでも美味しく食べられる。

 地上では高級食材として高値で取引されることもあるくらいだ。

 これを持って帰って料理すればシュナもトーラも喜んでくれるだろう。

 見つけるたびにナムトゥール茸を摘みつつ、迷宮の奥を目指した。


 ここのボスは体長が四メートルもある巨大なムカデだった。

 顎のところにある牙から猛毒を分泌することで有名だ。

 噛まれると強烈な痛みが全身を縛り、体が硬直して死に至ることもある。

 だがそれも、噛まれればの話だ。

 一刀のもとに斬り倒して戦闘は終了した。


 宝箱にはムカデを使ったレシピが乗っていた。

 毒を心配したけど、加熱すれば分解されると書いてある。

 きちんと下処理をすれば、この大ムカデは濃厚なロブスターのような味になるそうだ。

 となれば、ナムトゥール茸と大ムカデのクリームシチューなんてどうだろう?

 少しだけ復活したやる気を胸に抱いて、俺は大ムカデを担いで洞窟を引き返した。



 保存しやすいように大ムカデをぶつ切りにした。

 今日使わない分は氷冷魔法で冷凍しておく。

 ダガール村は海から離れているので海老は珍しい。

 常連の爺さんたちに食わせれば喜んでくれるだろう。

 と言っても、こいつは海老ではなくて大ムカデだけどな。

 食品偽装表示はよくないから、メニューにはしっかり『エビ風シチュー』と書いておこう。

 ぶつ切りにした大ムカデをよく洗ってから鍋で茹でた。

 たっぷりの水やお湯を使うのは砂漠では贅沢な調理法だ。

 水魔法が使えるやつの特権ともいえる。

 だが、しっかり水洗いした方が臭みは抜けるらしい。

 手を抜かずに下処理を淡々とこなしていく。

 やがて鍋の中の身は白くしまり、殻は青と赤に染まった。

 これを取り出して殻をむく。

 なるほど、ぷりぷりの身は海老にそっくりだ。

 軽く塩をふって味をみたが、濃厚なうま味はロブスター以上だった。


「こいつは期待以上だな」


 下処理が終わった大ムカデに玉ねぎやニンニクを加えて炒めていく。

 そこに野菜とナムトゥール茸を入れて、小麦粉を振りかけてさらに炒める。

 粉っぽさがなくなるまで炒めたら、テトランドンの骨から取ったスープを入れて煮込むだけだ。

 煮込みにはもちろん勝利の電鍋を使うぞ。

 これはもう、優勝を通り越して圧勝のシチューができるに違いない。

 完成したシチューの味見をすると、実に美味しくできていた。

 さっそく皿に盛り、トーラの部屋を訪ねた。

 寝ているかと思ったがトーラは目を覚ましていた。


「飯を食うかい?」

「さっきからいい匂いが二階まで漂っていたんだ。お腹ぐうぐう鳴いているよ」

「そいつはちょうどよかった」


 サイドテーブルの上に俺はシチューを置いた。


「かまうことはねえから、そのままベッドで食いな」

「悪いけどそうさせてもらうかねえ」

「なんなら食べさせてやってもいいんだぜ?」

「そいつは遠慮しておくよ。シュナに怒られちまうからね」


 そんな心配はいらないと口から出そうになったが、俺は言葉を飲み込んだ。

 じっさいのところシュナが何を考えているかはわからないのだ。

 トーラはシチューを一口食べて絶賛する。


「こんな美味いシチューは初めてだよ。これはエビかい?」

「いや、大ムカデとナムトゥール茸のシチューだ」

「大ムカデ! あいつがこんなに美味いとは知らなかった」


 ムカデに対する忌避感はないようで、トーラはお皿のシチューをすべて腹に納めた。


「ふぅ、おかげで人心地ついたよ」

「まだお代わりはあるぜ」

「もうじゅうぶんいただいた。少し休ませてもらうさ」

「ああ、そうするといい」


 皿を片付けていると、横になったトーラがぽつりと聞いてきた。


「ジンとシュナはどういう関係?」

「シュナはうちの居候だ。あれは図々しいから一生うちにいるかもな」


 シュナがいつまでここにいるかはわからない。

 だが、ずっとここにいてもいいと俺は思っている。


「そうかい……」


 トーラはもそもそとベッドの中で動いてため息をついた。


「ここはあたしには狭すぎるね……。明日には出発するよ」

「おいおい、慌てなくてもいいだろう?」

「なーに、ハーフとはいえあたしも巨人族さ。回復力だって並じゃないんだよ」


 そういうとトーラは毛布をかぶって横を向いた。

 俺は空いた皿を持ってゲストルームを後にした。


 ***


 ジンが入ってきたときからシュナは壁に耳をつけて隣の部屋の様子を窺った。

 シュナの部屋はトーラが運ばれた部屋の隣だったのだ。

 我ながら幼稚で恥ずかしいことをするという自覚はあったが、シュナは聞き耳を立てることをやめられなかった。

 ジンがトーラを抱き上げているのをみたときの衝撃をシュナは忘れられなかった。

 心臓がぎゅっと締め付けられるような思いだったのだ。

 事実、トーラは大けがをしていた。

 二人の間に何かあったとは考えにくい。

 それはわかっていても嫉妬の炎はくすぶり続ける。

 トーラは大けがを負ったというのに、私は本当に嫌な女だ。

 隣の部屋で息を殺しながら二人の仲が進展しないように願う自分が嫌だった。

 ジンがトーラの部屋から出る音を聞いて、シュナは自分のベッドに飛び込んだ。

 すぐにジンの声がドアの外から聞こえた。


「シュナ、飯ができたぞ。食べよう」


 シュナは毛布をかぶって顔を隠した。

 いま自分がどんな顔をしているかはわからない。

 でも、拗ねている自分はいつも以上に醜いだろう、そう確信していたのだ。


「シュナ? 開けるぞ」


 ジンが入ってきた気配がしたがシュナは寝たふりを続けた。

 鍵をかけておかなかった自分を恨んだが後の祭りだ。


「なんだ、寝ていたのか……」


 そっと扉を閉める音、続いて階段を軋ませてジンが下りていくのがわかった。

 ばかぁああああああああああ!

 シュナは心の中で叫ぶ。

 それはジンに対する怒りであり、うまくいかない世の中への怒りであり、成長できない自分への怒りでもあった。

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