第30話 ゴーマの大岩に向かって飛べ
シュナがいない午後だった。
村に怪我人が出たとのことでシュナは治療に出かけている。
なんでも建築現場で事故があったらしい。
ぶつくさ文句を言っていたが、シュナは手早く荷物をまとめると砂の上を走っていった。
帰ってきたらあいつの好きな甘いアイスオレでも作ってやるとしよう。
そんなわけで俺は一人で店を切り盛りしていた。
こんなときに限って交易商人の団体が来ていて、かなり忙しい。
「アイスコーヒーの方はどちらですか?」
「こっちだ、こっち!」
「ミルクティーはまだかい?」
「もう少々お待ちください」
一人で二十人以上のお客を裁くのは骨が折れる。
いっそ無影脚でも使おうかと考えてしまうくらいだ。
店の床が傷むからやらないけどな。
次のオーダーに取り掛かっていると商人たちの会話が聞こえてきた。
「あいつ、どうなったかな……?」
「案内人のことか? そりゃあ、もう今頃は……」
商人たちは飲み物に口をつけて黙り込む。
俺はいやな予感がして声をかけた。
「なにかあったんですか?」
「いや、ちょっとな……」
交易商人たちの歯切れは悪い。
「案内人がどうとか言っていましたよね」
「ここに来る手前で魔物の群れに襲われたんだ。何とか撃退できたんだが、案内人が深手を負った」
「その案内人は?」
「動けなくなってしまったから置いてきたよ」
「…………」
俺の視線にいたたまれなくなったのか、他の交易商人が言い訳をする。
「仕方がなかったんだ。治癒師はいないし、薬も尽きていた。それに案内人は大きすぎて運ぶことはできなかったんだよ。半巨人だったんだよ、彼女は」
半巨人というのはハーフの巨人族に対する蔑称だ。
巨人族のハーフで彼女? 俺の中で不安が大きくなった。
「俺たちだって損害を受けているんだぜ。本当のことをいえば案内はスツールまでだったんだ。まだ道の途中だよ。まあ、砂漠を越えられたからいいけどさ」
「その護衛の名前は?」
「たしか、トーラと名乗っていたな」
心配は的中だった。
トーラは一度カフェ・ダガールに来てから、何度もこの店を旅人に紹介してくれている気のいい案内人だった。
「トーラはどこにいる?」
「あんた、知り合いかい?」
「トーラはどこにいると聞いている」
「ゴ、ゴーマの大岩の方向だ」
ここから徒歩で三時間の距離だ。
ヒュードルを最高速度で飛ばせば十五分で着くだろう。
「おーい、ミルクティーはまだかい?」
最前の客が聞いてきたが、そんな余裕はなかった。
「悪いが今日はもう店じまいだ、あとは勝手にやってくれ」
俺は手早く荷物をまとめる。
「おい、俺たちはまだ来たばかりだぜ」
「…………」
剣を抜いて床に投げると客は一斉に押し黙った。
俺は浮いているヒュードルに飛び乗る。
「すまねえ」
一言だけ言い置いて砂の海へと躍りだした。
太陽はだいぶ西に傾いていたが、俺は夕暮れを歓迎した。
灼熱の中にいるより、傷ついたトーラにとってはいくらかマシだろう。
だが、急がなくてはならない。
月のない夜の砂漠は暗闇に包まれる。
そうなればトーラを探し出すのに時間がかかりすぎてしまうからだ。
風が運ぶ砂が口の中でジャリジャリしたが俺は冷静だった。
幾千もの修羅場を潜り抜けてきたのは伊達じゃない。
目的地が近づいてくると、俺はヒュードルの高度を上げた。
空中でのホバリングはできないので、できうる限り速度を落として滑空する。
その状態で周囲を見回すと、砂の中に異物を発見した。
横たわったその姿はいつもよりずっと小さく見えた。
「トーラ、しっかりしろ! 俺だ、ジンが来たぞ!」
ピクリともしないトーラの鼻先に手を当ててみると微かだが呼吸が感じられた。
それにしてもひどいものだ。
トーラは全身傷だらけで衣服は血に染まっている。
これまで生きていられたのは彼女に流れる巨人族の血のおかげだろう。
巨人族はとにかく生命力が強いのだ。
傷をあらためているとトーラが意識を取り戻した。
「あたしゃ夢を見ているのかい? ジンがいるよ……」
「夢じゃねえよ。本物のジンのお出ましだ。まずはこれを飲め」
シュナ特製の万能薬を飲ませた。
大抵の場合はこれ一つで何とかなるのだが、トーラの傷は多すぎた。
しかもこれは一般的な成人男子に処方する量である。
あいにく一瓶しかなく、体の大きなトーラには足りないのだ。
それでも出血はだいぶ治まった。
「あちこちやられているな」
「敵が多かったからね」
頭部、腕、腹、背中、脚、全身が傷だらけだ。
「あいにくだがシュナは留守なんだ。そのかわり傷薬を持ってきた。良く効く薬だから安心してくれ。服を脱がせてもいいか?」
「恥じらっている場合じゃないね。いいから気にしないでやっとくれ」
傷に障らないように慎重に装備を外して服を脱がせると、巨大な乳房がぼろんとこぼれでた。
「すまないねえ、みっともないものを見せちまって」
照れ隠しのようにトーラはへっへっと笑っている。
本当は見られたくなかったろうに……。
俺は彼女の言葉を無視して手当てを続けた。
「傷口を洗うぜ、染みるかもしれないが我慢しろよ」
「…………」
水魔法で傷をよく洗っていく。
万能薬が効いていて血はわずかに滲むだけだ。
背中の傷に乳白色の軟膏を塗りこんでいく。
「っ!」
「しみるのか?」
「少しびっくりしただけさ」
シュナの薬はよく効き傷は見る見るうちに塞がっていった。
「腕が動くようなら、前の傷には自分で塗ってくれ」
傷は胸の上や太ももの付け根のあたりにもあったのだ。
トーラはふらつきながらもしっかりと薬を塗っていた。
軟膏を塗り終わると傷口が開かないように包帯で巻いた。
「まだ痛むところはあるか」
「もう……ない……よ……うぐっ、ぐしゅ……」
トーラの目からとめどなく涙があふれていた。
その気持ちはわからなくもない。
感情の方も瀕死の状態から回復したのだろう。
「みっともないところを見せてごめん。本当は怖くてしかたがなかったんだ。でも……ジンが来てくれて……うぅ……」
トーラにマントをかけてやった。
「同じ状況だったら、俺だって怖くて泣いていたと思うぜ」
「無影のジンが?」
「ここだけの話、俺は案外ビビリなんだ。内緒だぞ」
トーラは力なく笑った。
「動けそうか?」
「ああ、いけると思う」
そう言って立ち上がろうとしたトーラだったが、よろめいて膝をついてしまった。
「血を流しすぎたな」
薬のおかげで傷は塞がっているが、流した血までは戻らない。
「よし俺が運ぶ」
「そんな、無理だよ……」
「照れているのか?」
「ばか! ただ私は大きいから……」
「無影のジンをなめんなよ」
ヒュードルを砂の上に置いてから、トーラの背中と太ももの裏に手を入れて持ち上げた。
その状態で剣に乗る。
ヒュードルは一瞬沈みかけたが、大量の魔力を送ってやると再び浮かび上がった。
「行くぞ」
「うん……」
カフェ・ダガールまでは十五分くらいだ。
俺の魔力もそれくらいならもつだろう。
闇が東の空から侵食して、西の空だけが異様に赤い。
少し強くなった横風を受けながら、俺は家路を急いだ。
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