第15話 マチェドニア


 カフェ・ダガールにも常連客ができた。

 配達のついでにさぼっていくポビックじいさんとその友だち連中だ。

 ジジイどもの目当てはネクタルである。

 ネクタルの水割りが美味くて、じいさんたちは毎日のように来ているのだ。


「天国の味とはまさにこれよ!」


 ポビックじいさんが機嫌よく飲んでいるのはネクタルの水割りだ。

 レシピ通り五〇ミリのネクタルに対して一五〇ミリの水で割っている。

 それなのに味は濃厚、香りは芳醇、しかも心地よい陶酔まで得られというのだから不思議である。

 危ない薬でも入っているんじゃないかと心配になるほどだぞ。

 じいさんたちは二日とあけずにやって来るけど、本当に大丈夫か?

 今のところ中毒や禁断症状はないみたいだが……。

 このネクタルだが、カフェ・ダガールでは一杯八〇〇ゲトで提供している。


「何かつまみになるものはないのか? このカフェは飲み物しかないな」

「うむ、わしも何か食べたい」


 じいさんたちが文句を言っている。

 食べるものねえ……。

 タピオカでは酒に合わないし、アボカドトーストは欠品中だ。

 残っているのはパンだけである。


「パンならあるぞ。ポビックじいさんが持ってきたやつ」

「ただのパンなど食い飽きているからなあ……」


 ヘロッズ食料品店のパンは孫娘のマイネが焼いているそうだ。

 砂漠のパン焼きはちょっと特殊だ。

 専用の窯などはない。

 焼いた炭を砂の上に広げ、中央に窪みを作り、そこでパンを焼くのだ。


「ナッツでもなんでもいい。他にないのか?」

「そうよ、そうよ!」


 じいさんたちとネクタルを飲んでいたシュナまで文句を言ってくる。

 そんなことを言われても、うちにある食材はパンくらいだ。

 あとは、魔物からもぎ取ったニンニクくらいのもの……。


「そうか、あれなら!」


 思い出したのはガーリックトーストの存在だ。

 バターはないけどオリーブオイルは買ってある。

 似たようなものなら俺でも作れるかもしれない。


「ちょっと待っていてくれ」


 パンに切ったニンニクをたっぷりこすりつけて、オリーブオイルを塗って、火炎魔法でこんがりと焼いた。


「しょぼい火炎ね。もっと盛大に燃やしなさいよ」

「酔っ払いのマイナス24は黙ってろ!」


 仕上げに岩塩をふって完成だ。


「お待ちどうさま。ガーリックトースト、カフェ・ダガール風だぜ」


 じいさん連やシュナの反応はよかった。


「美味しいじゃない。ちょっとだけ見直してあげるわ」

「うむ、悪くない。悔い飽きたはずのパンがいいつまみになっとるわい」


 よしよし、さっそくメニューに加えてしまおう。


 ガーリックトースト ……300ゲト


 メニューを書いていると外にキャラバンが到着した。

 新たな客がやってきたか?

 窓から外をのぞくと知った顔がそこにあった。

 店に入ったのは一流の料理人だ。

 前に来たときはレッドムーン王国に行くと言っていたから、その帰り道なのだろう。


「よお、ゴーモのダラじゃなえか」

「ゴージャスモンモランシーのドガだ!」


 そうそう、それだ。

 どこかにある高級レストランらしい。


「よく来たな。入ってコーヒーでも淹れてってくれよ」

「客を顎で使うな!」


 相変わらず不機嫌そうにしているなあ。


「そうだ、思い出したぞ。おまえ、レシピを教えてくれなかっただろ!」

「なっ!」

「タピオカの作り方を教えたら、お礼にスペシャルレシピを教えてくれるって言ったろ? それなのに帰っちまいやがって」

「あんなもの作れるわけがないじゃないか! なにがマイナス六〇度以下で冷凍だ! どうやったら一秒間に十六回も刻めるんだよ!」


 シュナが指先から冷気を迸らせる。


「こうするのよ」


 俺も見本を見せてやる。

 タタタタタタタタタタタタタタタタンッ!


「こうするんだぞ」

「できないよ! できるわけないじゃないかぁああああ!」


 ドガは何を興奮しているんだ?


「おい落ち着けって、なんか飲んでいくか?」


 俺はメニューを指し示した。


 メニュー


 水              ……200ゲト

 氷水             ……250ゲト

 コーヒー           ……300ゲト

 ハチミツ水          ……500ゲト

 スライムタピオカミルクティー ……700ゲト(欠品中)

 ネクタル           ……800ゲト

 ガーリックトースト      ……300ゲト


「タピオカミルクティーはないのか?」

「青いスライムが見つからないんだよ。緑や赤だとどうしても上手くいかないんだ」

「ネクタルというのが増えたようだが」

「飲んでみるか? 成層圏まで飛べるぞ」

「セイソウケン?」

「なんでもない……」


 異世界人は成層圏を知らない。

 俺だってどれくらいの高さにあるかまでは知らない。

 ドガはネクタルをストレートで注文した。

 俺はきっちり五〇ミリを量って小さなグラスで提供する。


「本当に美味いんだろうな?」


 まずは香りを嗅いだドガが目を見開いた。


「まさか……」


 震える指でグラスを口に運び、慎重にその味を確かめる。

 さあ、驚け。

 その香りに、味に!

 ネクタルを飲み下したドガが椅子から飛び上がった。


「なんだ、これは⁉」

「成層圏を突き抜けて月まで行っちまったかい?」


 この世界の月は二つある。

 マナールとカナール。

 伝承では双子の女神が住んでいるそうだ。

 ドガはどっちまで飛んだのだろう?


「これをどこで手に入れたんだ?」

「とある迷宮の奥地さ。並のチームじゃたどり着けない場所だ」


 嘘は言っていない。


「金ならいくらでも払う、ネクタルを譲ってくれ! あるだけ頼む!」


 必死に頼むドガの横でシュナとじいさん連が首を横に振っていた。


「すまねえな、常連たちが許してくれそうもないや」


 ドガはがっくりと肩を落とした。


「ところであの荷物はなんだ?」


 窓からはドガたちの乗ってきたラクダが見えている。

 行くときにはなかった大量の荷物がラクダには積まれていた。


「レッドムーンの国王陛下からいただいたお土産だ」


 さすがは一流シェフだけはある。

 王様からお土産をもらえるとはな。


「高級な布とか、珍しい果物とかをいただいたよ」

「果物だと!」

「私が買い求めたものも交じっているが、それがどうした?」


 果物があればマチェドニアが作れるじゃないか!

 店で出すことはできないだろうが、ずっと食べてみたいと思っていたのだ。

 俺はドガにマチェドニアのレシピを見せた。


「こいつを食べてみたいんだ。ドガ、果物を分けてくれないか?」

「……いいだろう。タピオカの作り方を教えてもらった恩義もある。特別に私が作ってやろうじゃないか」

「おお! お前、性格の悪そうな顔をしているのに本当はいいやつなんだな!」

「失礼なことを言うな!」


 ドガは手持ちの果物から相性のよさそうなものを選んだ。

 イチゴ、スイカ、メロン、チェリーなど、数々のフルーツが選びだされたぞ。

 種やヘタを取り、丁寧に下処理をして、ボールに並べていく。


「砂糖はこれを使ってくれ。ハチミツならここにある」


 天使の涙を砕いたものとキラービーのハチミツを差し出した。

 ドガは指の先にそれらを乗せて味を確かめる。


「まったく、この店の素材はどうなっているのだ? こんないいものをどこで見つけてくる?」

「迷宮の奥地だよ。俺は元冒険者だ」

「なるほど……」


 ドガの料理はよどみなく続いていく。

 頭の中でやることを組み立てつつ動いているのだろう。

 その動きは流麗でさえある。

 一流シェフと呼ばれるだけのことはある。


「よし、できたぞ」


 盛り付けも完璧だった。


「うまそうだな、おい! さっそくいただこうぜ」


 ドガはシュナやじいさん連の分までマチェドニアを作ってくれていた。

 やっぱり悪い奴ではないようだ。

 態度は少々鼻につくけどな。


「…………」


 誰も言葉を発することができないくらい美味かった。

 こんな美味しいスイーツは初めてだ。

 ドガの料理は美味しく、芸術の域にまで高められていた。


「ドガ、お前をなめていたよ。一流シェフはこんな美味いものが作れるんだな」

「たしかに私の腕もあるが、ネクタルの力が大きいのだ。この酒はとんでもない逸品だぞ。王侯貴族ならボトル一本に五〇〇万ゲトだって支払うかもしれない。それくらいすごい酒なんだ」


 前世の記憶にもあるな。

 一本のワインにとんでもない値段がついたというニュースを読んだことがある。

 例えば、ロマネコンコンチャン……?

 なんだか間違っている気がする。


「いいものを食わせてもらったぜ、ありがとな」

「うむ、私もいい体験をさせてもらった」


 帰ろうとするドガにボトルを一本渡した。

 ハーフサイズだから三五〇ミリくらいの大きさだ。


「なんだ、これは?」

「俺からの謝礼だ。ネクタルが入っている」

「なっ!」


 驚いたドガはボトルを落としそうになっている。


「おいおい、もう酔っぱらったのか?」

「う、うるさい。だが、感謝する……」


 両腕で抱えるようにしてボトルを持ち、ドガは店から出ていった。

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