第2話 帰郷


 魔剣ヒュードルは俺の愛刀だ。

 こいつは風竜グラスウィンドを倒したときに、その体内から出てきた。

 全長が一〇〇センチほどの片刃剣である。

 切れ味は言うに及ばず、耐久性も素晴らしい。

 だが、こいつのいちばんの特性は、スケートボードのように所有者を乗せて飛行できることだろう。

 最高速度はおよそ一二〇キロで、五〇メートルくらいの高さま上昇することもできる。

 高い場所からの滑空も可能だ。

 道がないところでも平気で入っていけるから、目的地までほぼ直線距離で行けるところも気に入っていた。

 というわけで、今回の帰郷でも俺はヒュードルを使っている。

 おかげで一日に七時間ほど、距離にして六〇〇キロメートルくらいを進める。

 駅馬車では考えられないスピードだ。

 とはいえ、飛ぶためには大量の魔力を注ぎ込んでやる必要がある。

 スピードや移動高度で変わってくるが、並の魔法使いでは三十分で枯渇するほどの魔力が必要になるのだ。

 二昔前のアメ車くらい燃費は悪い。

 もっとも、俺が保有する魔力は多いので困った経験はない。

 雨に降られることもなかったので、今回の旅も快適だった。

 南下するにしたがって日差しは強くなり、空気が乾いてきた。

 旅も四日目に入り、風景は懐かしい故郷のものになっている。

 俺は速度を落として街道に沿ってのんびりと飛んだ。

 ここは大陸行路の主要街道で交易の商隊がラクダに乗って砂漠を越えようとしている。

 まだ行ったことはないが、砂漠の向こうにはレッドムーンという国があるのだ。

 商人たちはヒュードルに乗った俺を見てぎょっとしていたが、こちらに害意がないことがわかると手を振り返してくれた。


 ダガールが近づいてきた。

 十二年ぶりの故郷に胸がドキドキしている。

 実家は村からだいぶ離れたところに建っている。

 先に村へ寄っていくとしよう。

 建物の鍵はじいさんの幼馴染であるポビックさんが預かってくれているのだ。

 ヒュードルの速度をさらに落とし、ゆるゆると俺はダガールに近づいていく。

 目にする光景は記憶にあるものばかりだ。

 痩せた土地に作られた豆やトウモロコシの畑、砂岩で出来た小さな家々。

 まるで時が止まっているかのような錯覚を覚えるほどだ。

 どこもかしこも見覚えがある。

 あそこは遊び友だちのルガーの家だ。

 俺たちは家の手伝いをさぼってよく一緒に遊んでいたものだ。

 あとで叱られるのはわかっていても、やめられなかった。

 ルガーは村を出て、どこかの街で大工をやっているそうだ。

 お、あっちはマチルダ姉ちゃんの家だったな。

 優しいお姉ちゃんで、誰にでも親切だったのを覚えている。

 すごい美人というわけじゃなかったけど、優しくて、愛嬌があって、おっぱいが大きくて、村の男の子でマチルダ姉ちゃんに胸を焦がさなかった奴は一人もいなかったと思う。

 お、あれはたしか……。

 次から次へと溢れる想い出を噛みしめながら、通りを左へ曲がった。

 俺の記憶が確かならば、あの店はすぐ正面にあるはずだ。

 ヒョードルから降りて刀身を鞘に納めた。

 正面に控える青い商店には『ヘロッズ食料品店』の看板が掲げられている。

 ここが、俺のじいさんの幼馴染であるポビックじいさんが経営する店だ。

 軽い木の扉を押し開けて薄暗い店内に入った。


「いらっしゃい」


 しわがれた小さな声が俺を出迎えた。

 白く薄くなったポビックじいさんの頭髪に時の流れを感じる。

 皺も少し深くなっていたが、商品の砂を祓う姿はまだまだ元気そうだった。


「ポビックじいさん」


 名前を呼ばれて、じいさんはまじまじと俺の顔を見つめた。

 だけど、まだ思い出せないようだ。


「あんたは……」

「俺だ、ジンだよ。ロットンの孫のジン!」


 名を名乗るとポビックじいさんの顔に驚きの表情が表れた。


「こりゃあ驚いた! あの悪タレが帰ってきおったか!」

「じいさん、しばらくだったなあ!」

「よく帰ってきたな、ジン。嬉しいぞ!」


 俺たちは肩を叩き合って再会を喜んだ。



 ポビックじいさんと連れ立って実家まで歩いてきた。

 俺の記憶にあるのより、店はさらに少し古びていた。

 砂漠の風にさらされて極限まで乾いた二階建ての小さな店、ほとんど剥げているクリーム色のペンキ、店の前のひさしが作る濃い陰影まで、すべてが年を取って見えた。


「たまに窓をあけて風はいれているんだがなあ」

「すまねえな、じいさん。いろいろと世話をかけちまったなあ」

「ずいぶんと殊勝なことを言うようになったじゃねえか。ジンも少しは成長したか? ガハハハハハ」


 無影のジンも、ポビックじいさんにとってはただのクソガキなのだろう。

 俺にはそれが心地いい。


「おめえ、どうするんだ? 都で冒険者をやっていたと聞いたが、ここに住むつもりか?」

「ああ、冒険者は引退だ。俺はここでカフェを再開するつもりだよ」


 ポビックじいさんは腕を組んで深くうなずいた。


「それがいい。冒険者なんぞは長く続けられる商売じゃない」

「まあな。どんな人間だって一生戦い続けることは不可能だ……」


 じいさんは俺の背中をバシッと叩いた。


「ここでカフェをやるってんならヘロッズ食料品店の出番だな。協力するから何でも言ってくれ」

「頼りにしているぜ」


 ポビックじいさんは鍵と一緒に一通の封筒を差し出してきた。


「ロットンが死ぬ前に書いたものだ。もしジンがダガールへ帰ってくるのなら渡してほしいと頼まれた」


 物理的に不可能だったので、俺は祖父母の葬式に出ていない。

 当時はまだヒュードルを手に入れてはいなかったのだ。


「じいちゃんの最期はどんなだった?」

「メランダさんを亡くして気落ちしていたよ。後を追うように死んだのは二週間後だったな」


 仲のいい夫婦だったのはたしかだ。

 きっと心の底から信頼しあえていたのだろう。

 ダガールに着いたときからずっとこらえていたのだが、ついに俺の目から涙がこぼれた。

 地面に落ちた雫は乾いた砂に焼かれてすぐにその痕跡を消していく。


「それじゃあ俺はもう行くよ」

「ああ、ありがとな」

「ジンよぉ、お前の帰りをいちばん喜んでいるのはロットンとメランダさんだろうなあ」

「ああ……そうかもな……」


 乾いた砂がとめどなく落ちる俺の涙を吸い続けた。



 気持ちが落ち着くと、俺は掃除に取り掛かった。

 たまにポビックじいさんが手を入れてくれていたけど、積もった埃は大量だ。

 窓を開け、まずは風魔法を駆使して埃を外へ吹き飛ばした。

 お次は拭き掃除だ。

 雑巾やモップは用具箱の中で見つけることができたが、裏の井戸は砂に埋もれていた。

 井戸というのは定期的な手入れが必要なのだ。

 この井戸も祖父母と一緒にその使命を終えてしまったようだ。

 もっとも、水魔法なら使えるから問題はない。

 むしろ井戸で水を汲むより便利なくらいだ。

 店には対面式のキッチンがついている。

 そこには水を溜めておける甕もあったので、必要な分だけ魔法でだしておいた。


「備品はまだ使えそうだな」


 食器類は皿もカップも傷んでいなかった。

 だが魔導コンロは壊れていた。

 なんどスイッチをひねっても火がつかないのだ。

 おそらく経年劣化だろう。

 あらかじめわかっていれば都の道具屋で買ってきたのだが、今さら言っても詮無いことだ。

 とはいえこれも火炎魔法で何とかなる。

 少量の料理なら問題はないはずだ。

 カフェは村はずれにあり、祖父母の代から客は少なかった。

 店を開いたからといって、すぐに大勢の客が訪れることもないだろう。



 あらかた掃除を終えるともう夕方だった。

 砂漠の太陽は地平線を真っ赤に染め、砂丘が鱗のように黒く波打っている。

 窓からぼんやりその景色を眺めていたら店の扉に取りつけてある鐘がなった。

 カランカランとよく響く、銅製の鐘である。

 ちらりと目をやると、年のころは十代後半、長い濃紺の髪をした女が入ってきた。

 目つきの悪い屈折した美少女、それが俺の第一印象だった。


「泊まりたいんですけど」

「泊まりたい? ここはカフェなんだが……」


 女はカウンターの横にかかれた料金表を無言で指し示す。


 宿泊              ……三〇〇〇ゲト

 水(洗顔にも飲料にも使えます) ……三〇〇ゲト


 爺さんの頃には宿屋もやっていた。

 料金表はその名残で、外の看板にも小さく書いてあるのを忘れていた。

 ゲストルームは三部屋ある。


「悪いけど宿屋はもうやっていないんだ」


 女は振り返って外を見た。

 先ほどまで大地を染めていた太陽はすでに砂丘の向こう側だ。

 空には残光がうっすらと残るだけになっている。


「廃業なんだ。カフェは再開する予定だけど」

「でも、部屋はあるのでしょう?」

「あるけど、ここにいるのは俺一人だぜ。あんた怖くないのかい?」


 女は小さく肩をすくめた。

 俺を真っ直ぐ見据える瞳に恐怖の色はまったくない。


「別に怖くないわ。それより、外で寝る方がゾッとする」


「怖くないわ」か……。

 ちょっとだけ古風な喋り方をする少女だ。

 ひょっとするとどこぞのお嬢様かもしれない。

 エレガントさとか、かわいらしさはないけどな。

 どうしてこのガキを泊めてやることにしたのかはよくわからない。

 なんとなれば村の神殿を紹介してやることもできたのだ。

 だが、俺はこの娘を泊めてやることにした。

 下心があったわけじゃない。

 しいて言えば、こいつから俺と同じにおいがしたからだ。

 それは、寂しい化け物のにおいだった。

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