カフェ・ダガール 引退したSランク冒険者は辺境でカフェをはじめました

長野文三郎

第1話 その店の名は


 ことさらに強さを求めたわけじゃなかった。

 ただ生き延びたかっただけだ。

 十五歳のときから魔物が蠢く地下迷宮に潜って探索を続けていた。

 大きな夢があったわけじゃない、ただ生活のためだった。

 だが俺には才能があったようだ。

 気が付けばリングイア王国でいちばんと評判のSランクチームの冒険者となり、国いちばんの剣士とまで呼ばれるようになっていた。

 無影のジン、そんな二つ名までちょうだいしたさ。

 金に困ることはなくなり、かわいい彼女と暮らせるようにもなった。

 バジリスク、サイクロプス、ドラゴン、迷宮の奥地に出現するボスと呼ばれる魔物たちですら、俺は次々と撃破した。

 たぶん、才能が有りすぎたのだろう。

 いつの頃からか、俺の強さは化け物じみてきていた。


 王都の迷宮・地下四十二層。

 Sランク冒険者チーム・キングダムはここのボスである三つ又のドラゴンと戦っていた。

 黄金に輝く巨体、挑むものを圧倒する翼、長く伸びた三本の首には三つの頭が付いており、それぞれ火炎魔法、氷冷魔法、回復魔法を使っている。

 まさにボスらしいボスであった。


「さすがに強えな、あのキングギドラは!」


 俺の言葉を親友のディランが打ち消す。


「アイツの名前はグランツォだ。キングギドラじゃねえ」

「おう、そうだったな……」


 うっすらだが、俺には前世の記憶がある。

 こことはまったく違う世界の日本という国にいた頃の記憶だ。

 だが今はそんなことを気にしている場合ではないか。

 俺はこいつを倒して財宝を手に入れ、愛しいエスメラの元へ帰らなければならない。

 少し戦いに集中しよう。

 キングギド……グランツォの攻撃にガード役の重戦士が跳ね飛ばされた。

 魔法で身体強化し、二トンの攻撃にも耐えられるにもかかわらずだ。

 たまらずにディランが叫ぶ。


「ジン、まだか?」

「そろそろだ……」


 俺は目をつぶって気と魔力を練り上げ攻撃に備える。

 コイツを倒すには俺の必殺技である無影斬を使うしかない。

 だがその発動には少々時間がかかる。

 しっかりと準備をしなければ俺の体がバラバラになりかねない大技なのだ。

 体の中に気と魔力が充実し、すべての準備が整った。

 目を見開けば視野が広くなっていて、どこもかしこもがクリアだ。

 頭の中では戦場が俯瞰図のように見え、敵と味方の位置関係が手に取るように把握できている。

 よし、この状態ならいけるだろう。

 愛剣の柄に手をかけるとディランが叫んだ。


「ジンの用意ができた、みんな退け!」


 グランツォを囲んでいた仲間たちがパッと離れるのと入れ替わりに、俺は前に進み出た。

 三つの頭を持つドラゴンの殺意が凶器のように襲い掛かるが、俺の心は平らかだ。

 明鏡止水、迷いは一切ない。

 踏み込むと同時に抜刀し、敵を斬って、剣を鞘に戻す。

 俺の技は至極単純で、それだけのことでしかない。

 だが速すぎるゆえに、一連の動きを目で追える人間はいない。

 相手が魔物であってもごく少数だろう。

 そこで付いたあだ名が無影のジンである。

 残影すらなく相手を斬ることに由来している。

 俺の愛剣ヒュードルが鞘に戻ると、ドラゴンの頭は三つとも地面に落ちた。

 迷宮の床に重い地響きがこだまする。

 キングギドラは立ったまま絶命していた。

 あ、グランツォか……。


「さすがはジンだぜ! よくやった!」


 ディランが駆け寄って俺の肩を叩く。

 他のメンバーも褒めてくれたが、どこかよそよそしかった。

 きっと、俺のことが怖いのだろう。

 それは俺自身が感じている恐怖でもある。

 俺には才能が有りすぎたのだ。

 戦いの日々の中で自分がますます化け物になっている自覚はある。

 そして、同じ恐怖を恋人のエスメラも感じていたのだろう。


 四十二層の探索から帰ってくると恋人のエスメラが消えていた。

 ダイニングテーブルの上に残された短い手紙が、楽しかった蜜月の終わりを教えてくれた。


 好きな人ができました。普通の人です。


 なんとなくそんな予感はしていたのだ。

 エスメラとは一年近く一緒に過ごしてきたけど、最近は少しだけ避けられているように感じていたから。

 ただ、他の男の影には気づかなかった。

 職業柄、俺は長く家を空ける。

 だがオフのときは朝から晩までエスメラと一緒にいたのだ。

 我ながら鈍いものだと笑えてさえくる。

 俺を捨てた理由もエスメラははっきりと書いていた。


 ジンのことがずっと怖かったの、ごめんなさい。


 暴力はおろか、声を荒げたことすらなかったが、それでもエスメラは俺が怖かったのだ。

 たぶん、俺は強くなりすぎてしまったのだろう。

 人の領域に留まれないほどに。

 そりゃあそうだ、国中の冒険者が手を焼くドラゴンを一太刀で斬り殺す男なんて恐ろしい存在に決まっている。

 エスメラは身の回りの品だけを持って出て行ったようだ。

 金庫の中にはまとまった金があったけど、それは手つかずで残っていた。


「…………」


 崩れ落ちるようにソファーに座り、気を付けて周囲を見回してみる。

 部屋の中はきれいに掃除をしてあった。

 塵なんて一つも落ちていなかったし、どこもかしこも磨き上げられてピカピカに光っている。

 エスメラが自分の痕跡をすべて消し去っていったかのようだ。

 たまたま一緒に来ていたディランが腑抜けた俺に声をかけてきた。

 

「どうする、エスメラを探すか?」


 俺は力なく首を振った。

 探し出してどうなる?

 彼女は出て行ったのだ、その事実は変えられない。

 すべてがどうでもよくなってきた。

 次はガルーダ(巨大な怪鳥)を討伐するなんてリーダーは言っていた。

 成功すれば三年は遊んで暮らせる金が手に入るそうだ。

 だけど、それに何の意味がある。

 虚しく酒におぼれる未来しか見えない。


「おれ、冒険者をやめようかな……」


 吐き出すようにつぶやくと、ディランは呆れ顔になっていた。


「向いてないんだよ」

「いや、お前はSランクチームの、これまたエースアタッカーだぞ。天職じゃねえか」

「まあなあ……。自分で言うのもなんだけど、天才だと思う。努力もしたしな」

「だろう? これまでのキャリアを棒に振らなくてもいいじゃねえか」

「だけどさあ、メンタル的に限界なんだよ。これ以上続けたら、俺さあ……人間じゃなくなっちまう気がするんだ……」


 これは漠然とした予測だけど、俺はまだ強くなれる気がするのだ。

 そうなったとき、俺は人であり続けることができるのだろうか?

 今はこうして一緒にいてくれるディランだって、俺から離れていってしまうかもしれない。


「だけどよお、冒険者をやめてどうするんだ? ジン、戦う以外にお前に何ができる?」


 突如、心の中に風が吹いた。

 それはダガールの熱く乾いた風だった。

 ゴーダ砂漠のほとりにある、ちいさな村ダガールが俺の故郷だ。

 無性に懐かしくなって、気が付いたら涙が出ていた。


「帰る……」

「帰るって、ジンの家はここだろうが」

「いや、ダガールへ帰る」

「ダガールと言えば、ジンの故郷か。だけど家族はもういなかったよな?」


 両親は元々いない。

 俺を育ててくれたじいさんとばあさんも死んでしまった。

 だが、家はそのままになっているはずだ。


「じいさんがやっていたカフェがあるんだ。そこを再開しようかと思うんだ」

「ジンがカフェねえ……」


 ディランは信じられないといった顔をしていたけど、じつは前から考えていたことでもあった。

 三十歳になったら冒険者を引退して、カフェをやろうと計画していたのだ。

 エスメラも賛成してくれたけど、彼女は残りの三年を待てなかったようだ……。

 実を言うと、カフェの経営は俺の前世からの夢でもある。

 俺は日本で脱サラしてカフェを始めようとしていたけど、そうなる前にトラックに轢かれて死んでしまった。

 そんな記憶が残っているなんて、よほど未練を残しているのかな?


「ジン、冷静になって考えろ。料理なんてできるのか?」

「ほとんどできない。だけど、今は自分でも不思議なくらいドライカレーが作りたいんだ」

「ドライカレー? なんだ、そりゃ?」

「スパイスを効かせたキーマカレー、それにはひき肉がたっぷりと入っている。そいつをバターライスの上に盛り、その上に目玉焼きをそえるんだ」

「よくわからんが美味そうだな」

「作り方はぼんやりとしか覚えていない。でもな、俺の魂が囁くんだ」

「魂?」

「ジン、ドライカレーを作れ、ってな」

「お、おう……。大丈夫か?」

「安心してください、正気ですよ」

「なんで、丁寧語? だが、引退というのも悪くないかもな……」


 ディランは戸惑いながらも俺を応援してくれた。


「わかった、ジンがそう決めたのなら俺はとめないよ。リーダーやメンバーたちにも口添えする」

「すまねえな」

「そりゃあジンが抜けるのは痛いが、俺たちも冒険者だ。そのへんは弁えているさ」


 冒険者チームのメンバーは常に入れ替わっている。

 いなくなった奴が戻ってきたり、戻ってきたやつがまた抜けていったり。

 まるで、どこぞのロックバンドのようである。

 うん、日本人のときの記憶がまた強くなったな……。


「いつか必ずお前のカフェへ行くよ」

「おう、ぜひ来てくれ。美味いものをたらふく食わせてやるからさ」

「で、店の名前はなんていうんだい?」


 俺の脳裏に懐かしい店の姿が甦った。

 晴れ渡る青空の下、まばらに生える草木、巻きあがる砂塵、その店の先は不毛の大地だ。

 白熱の光に照らされて、どこまでも続く砂丘が折り重なっている。

 黄色いペンキがはげかけたその店は大陸行路の街道沿いに建っていた。

 看板の文字は俺がガキの頃でさえ薄くなっていたな。

 今となっては、もうかすれて読めないかもしれない。

 だけど、そこにはこう書いてあったはずだ。


「カフェ・ダガール」


 帰ろう、あの場所へ。

 決心が固まると、居ても立っても居られなくなるほどに旅立ちが待ち遠しくなった。

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