ゆらりとした炎(1)


 リュシュカは、大衆居酒屋で管を巻いていた。


「うわあぁん! ひどいよひどいよー!」


 目の前ではクシャドが困った顔をしながらイカのトマト煮込みを小皿によそっていた。


「お前だけは断るって、ひどくない?! 乙女の決死の告白断るならもっと言いようがあるのに……!」


「あの人はリュシーには良くも悪くも正直だからなぁ……意地の張り方も尋常じゃない」


 そう、クラングランは悪く言えばデリカシーがゼロで、良く言えば嘘がない。そして悔しいことにリュシュカはそんなところも好きだった。


「あそこまで頑固だと勝ち目がない……」


「俺はそうとも思わないけどなぁ……」


 気負いない声に顔を上げる。

 クシャドはイカをのせた小皿をリュシュカの前にことりと置いて言う。


「俺がクラングラン様を訪ねた時、あの人はもう最初に会った時とは少し変わっていたんだ」


「どんなふうに?」


「あの人って、すげえあけすけだったろ? それが、なんていうか、そつがなくなっててさ……きちんと感情を抑制して、仕事で必要な嘘なら吐ける人になっていた。まぁ、大人になったんだろうなぁ」


 リュシュカが夜会で感じたわずかな違和感もそこかもしれない。以前と比べて、どことなく落ち着いていた。


「でも、リュシーが来て、久しぶりに見たよ。根はぜんぜん変わってない」


 イカをフォークで刺して口に入れる。イカのお腹には微塵したイカの足とか細かくしたパンとかが入っている。とてもおいしい。無言になってしまった。


「それ、うまいだろ。俺はこれが好きなんだが……あの人と一緒の時には頼まないようにしてて」


「ああ、あの人イカ嫌いだもんね……」


 二人は顔を見合わせて笑った。


「クラングラン様と二人で飲んでた頃……リュシーの話をよくしたよ」


「どんな?」


「なんだったかなあ……大した話じゃないんだが、ちょっと話題に出すだけで、いい顔するんだ。あの人の以前の顔が少しだけ見られたのはいつもリュシーの話をしてる時だった」


 クシャドは少し懐かしむ顔で言う。


「クラングラン様はなんだかんだ、あの頃からいつもリュシーを気にかけていたよ。どこか店に入る時も、安全を確認してからリュシーを入れていたし、少しでも柄の悪いのが来るとすぐに隠すようにしていた」


 リュシュカはなんだか苦しくなって、テーブルに置いた腕に顔を埋めた。


「俺も……本当は最初はリュシーの目玉を狙っていたんだ。でも、少し打ち解けてもあの人はそこだけは隙を与えなかった。全力で守っていた」


「…………うん」


「それは、狙われることのなくなった今も変わっていない。大事にしている」


 共に過ごす未来はなくても、大切にはされているということなんだろう。きっと、大切だからこそ自分と一緒にはいさせたくないのだ。そうなると、大切にされてればされてるほど勝ち目はない。


 リュシュカはしばらくテーブルに突っ伏していた。

 腕から目だけ出してクシャドを見上げる。

 リュシュカは麦酒をレモンソーダで割ったパナシェを飲んでいたが、彼はリュシュカのコップにそっとレモンソーダを足して薄くしていた。


「リュシー、次はどうするんだ?」


 だいぶ薄くされたパナシェを飲み込んではぁ、と息を吐く。


「さすがにもう、伝えたい気持ちは全部ぶつけたからなぁ……」


「え? 諦めるのか?」


「うん。クラングランはわたしが来る前にいろいろ決めちゃってたから……それを覆すのは難しい……というか無理」


「もう一回くらい粘らないのか?」


「……いや……これ以上しつこくして、嫌われたくはないんだ」


「嫌うなんて……」


 クシャドは言いかけてハッとした顔をした。


「……そうだな。悪かった。リュシーも……平気で言ってたわけじゃないもんな……何度も勇気出して……うまくいかなかったら傷つくよな」


 リュシュカは腕に顔を埋めたまま、こくりと頷く。


「わたしはさ……なんでだか小さい頃から、みんなが自分のことを嫌いなんだっていう思い込みがいつも頭の隅にあって……」


「そんなこと……」


 言いかけたクシャドは、「俺も……わかる気がする」と言い直した。

 名字のない子供であったクシャドも、きっと生い立ちや成長過程で彼なりのその感覚を得てしまっている。


「……後見人のところで、たくさんの人に囲まれてよくしてもらえたり、仲良くなっても、どこかそこにいることに罪悪感があったり……この先どこかで周りみんながわたしを嫌って逃げてくんじゃないかって、そんな恐怖がぼんやり、ずっとある」


「……うん」


「最近気づいたんだけど、魔術を使おうとすると、その感覚が強くなる」


 魔術はずっと、使えなかったし、使いたくなかった。使おうと考えるだけで胸にじわりと罪悪感が湧いた。

 よせ。やめろ。、嫌われるぞ。そんな声が聞こえる気がしていた。


「……でも、爺ちゃんだけはいつだって、わたしを嫌ったり逃げたりしないんだ。爺ちゃんは……強くて格好いいから」


 リュシュカは誇らしげに笑った。


「クラングランはさ、爺ちゃんとちょっと似てるから……きっと、勝手に……重ねてしまったんだよね」


「…………」


「でも……クラングランは爺ちゃんじゃない。それだって、知ってたよ。爺ちゃんはずっと前から無条件にわたしと一緒にいてくれる人だったけど……クラングランは、わたしが一緒にいたいと思った人だから」


「うん……」


「……そんなふうに思ったから、自分からついていこうとしたけど……やっぱり拒絶されてしまった」


 クシャドは黙って聞いていた。


「だから、このあたりが限界だ」


 リュシュカはコップの残りを飲み込んで、静かに置いた。


 リュシュカは立ち上がり、クシャドと店を出た。

 外は雨が降っていたが、霧雨といえるやわらかな湿り気でしかない。


「大丈夫か? 酔ってないか?」


「大丈夫。驚くほど酔えなかった」


 クシャドと一緒に城門前まで来たリュシュカはふっと立ち止まる。


「リュシー?」


「……わたし、ラチェスタに諦めることを報告してから戻ることにする」


「それってリュシーの後見人だよな? どこにいるかはわかってるのか?」


「うん、市街のほうだよ。だからここで、大丈夫。クシャド、付き合ってくれてありがとう」


 ラチェスタの居場所は聞いていなかったけれど市街で富裕層向けの宿は限られている。すぐに見つけられるだろう。


「じゃあね」


 リュシュカはクシャドに手を振って歩きだす。

 数歩行ったところでクシャドに呼び止められた。


「リュシー」


 無言で振り返ると、クシャドは近くまで走ってきた。


「……なぁ、エルヴァスカに帰る前にはちゃんと連絡してくれよな」


「え……?」


「リュシーは……急にいなくなりそうだから」


「もちろん。クラングランにも言うし……黙って帰ったりしないよ」


 リュシュカはクシャドに片手を挙げて笑ってみせた。


 あたりは霧雨がけぶっている。

 まだ酒の少し残るふわっとした頭には心地よく感じられた。


 リュシュカはぼんやりと歩き出す。

 今、何時くらいだろう。

 通りには誰もいなかった。いや、いても見えないかもしれない。肌にじっとりとまとわりつく霧雨は視界をぼんやり白く埋めている。


 背後でガラガラン、と何かが落ちて崩れるような音がした。

 振り返ったけれど、やっぱり視界が悪くてよくわからない。


 静けさが戻ってきて、リュシュカは前を向く。

 ラチェスタを訪ねるため、足を早めようとした。


 ──ドン、と体に衝撃が走る。


 リュシュカは突然どこかから出てきた男にあえなく跳ね飛ばされた。


 地面に叩きつけられ、頬がちり、と擦れた。なんとか受け身をとったけれど、衝撃ですぐには起き上がれない。


「さっさと連れていけ」


「んぐ……っ」


 声のしたほうを確認しようとしたけれど、すぐに口と目を塞がれた。


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