小さな集落(1)
翌朝、クラングランの怪我はよくなるどころか発熱してしまった。思えば昨夜から彼はどこかぼんやりしていたし、体も熱かったのだ。
リュシュカはクラングランの枕元に腕をのせて覗き込み。しみじみつぶやく。
「クラングラン、まじで人間だったんだ……怪我するし熱も出るんだ」
「今日は予定通り出るぞ……」
「え? 無茶じゃない?」
クラングランは起き上がって出る準備を始めてしまう。
「これ以上ここにいるのは危ない」
「いや、足は? にんげん?」
「そのまま行くとあるのはフムルという小さな集落だが、小さすぎる村に来た旅人は目立つ。そこは通過して先のゼルツィニで少し休む」
うーん、すごい聞いてないけど大丈夫なんだろうか。そう思って顔を見るとわりと平気そうだった。
それに、いくら言っても聞きそうにないので、結局出発した。
しかし、少し行ってすぐに違和感を覚える。
「クラングラン? どしたの?」
「……何もおかしくないだろ」
「いや、普通に歩いてるじゃないか」
「……普通に歩いていて文句を言われる筋合いはない」
「いや、文句じゃないんだけど……」
クラングランの速度は普通の人間のものだった。
「クラングランが普通に歩くなんておかしいんだって」
驚くほど表情には出てないけど……やっぱり相当しんどいのだろう。ここまでわかりにくいと損をしそうだ。
「普通に歩けてはいるだろ」
「やっぱフムル村に寄っていこう」
「いや、あと半日も歩けばゼルツィニに着くだろう」
「……フムルは、小さいけどいいところだよ」
「知ってるのか?」
「三年くらい前かな……爺ちゃんと来たことあるんだ」
結局、二人はそこに立ち寄ることを決めた。
集落の通用門を入るとすぐに子供たちの笑い声が聞こえてきた。あたりを駆けまわり、大人たちはのんびりと畑仕事をしていた。
「明るい雰囲気の村だな」
「え……うん。でも、前に来たときはもう少し静かな村だったよ」
以前と少し印象が違う。
でも、ここに来たのはリュシュカが十三歳くらいの時のことだ。あの頃、めまぐるしくいろんな場所に行っていたから、別の場所と混同しているかもしれない。それに、暗くなってるならともかく、明るくなってるのだから何も問題はないだろう。
「宿はあるのか?」
「確か一軒だけ……でも、前来たときは、ここのお家に泊めてもらったんだよね」
話していると、二階の窓から顔を覗かせた婦人がびっくりした声を上げる。
「あら? リュシュカちゃん?!」
「ダリア!」
ダリアはすぐに降りてきてくれた。足元には三歳くらいの女の子がいた。にこにこしながら言う。
「また来てくれて嬉しいわ。今日は、ゾマドさんは? お家?」
「……爺ちゃんは先日、百十二歳で大往生しました」
「え? そうなの……あまりにお元気だったから……てっきり……死なないものだと思ってたわ……」
間髪入れずに「わたしもです!」と返す。
ダリアはリュシュカが暗くなりたくないのを察して、微笑んでくれた。
「そちらは恋人?」
「……っ、え? こ、こい?!」
リュシュカが慌てていると、クラングランがしれっと頷いた。
「はい。結婚前に彼女が思い出の場所を見せたいと言うので……少し旅をしているんです」
ダリアには普通に見えたかもしれないが、クラングランは少しふらついていた。少しだけ触れた腕もかなり熱い。
「あの、この人ちょっと体調悪いんで、もしよければ、今日、ここで休ませてもらえませんか」
「あら! もちろんよ! じゃあすぐに部屋を用意しないとね。畑に主人がいるから呼んでくるわ……ちょっとこの子を見ていてくれない?」
「はい。しばらくそこの広場で待ってます」
リュシュカは幼女の手を取り頷いた。人懐っこい子で、目が合うとにこっと笑う。
広場のベンチにクラングランを座らせ、その隣に幼女と座る。中央で子供たちが鬼ごっこをするのを見ながらぼんやりと待っていた。
そこに、少し大きめの青年が来た。十五、六歳だろうか。この村の人間にしてはほんの少し垢抜けている。
彼は子供たちが遊ぶ真ん中をつっきっていこうとしたが、周りを駆ける子供たちを邪魔に思ったのか、舌打ちした。
「どけよチビ」
遊んでる子供をドンと跳ね飛ばす。
跳ね飛ばされた子はビャーと泣いた。そこに、もう少し大きな子が駆け寄ってきて、青年をキッと睨む。
「ちょろちょろしてんなよ。邪魔なんだよ!」
青年は捨て台詞と共にさっさと行ってしまった。
この村は基本驚くほど前と変わらないけど、あんなのは前に来たときにはいなかった。小さな集落とはいえ、少しは人の入れ替わりもあるんだろう。
何人かは幼すぎてリュシュカを覚えていないようだったが、当時十歳前後だった子がリュシュカに気づいてこちらに来てくれた。
「リュシュカじゃないの? 遊びにきてくれたの?」
「うん。ねえ! さっきの、前来たときいなかったんだけど」
一緒に来た子供たちが顔を見合わせて口々に言う。
「アーロンは二年前に親を亡くして都心から来たんだ」
「都会風吹かせて、意地悪いんだよ!」
「みんなあいつ嫌ってるんだ!」
「ああ、そうなんだ。わかる」
情報を得て納得する。ふと見ると、そのアーロンがじっとこちらを睨んでいた。初対面なのに既に敵意丸出し。警戒心剥き出し。普段からこの様子なら、この村に馴染めず、誰も信じられなくなっているのかもしれない。
それにしても子供跳ね飛ばして、腹が立つ奴だ。
リュシュカは思い切り顔を顰めて舌を出した。
「リュシュカ、よせ。お前は何歳なんだ」
隣にいるクラングランが静かに言う。寝てると思ってたのに……。
「リュシュカ! よく来たな!」
声が聞こえてそちらを見ると、ダリアがサムを連れて戻ってきた。
「サムおじさん!」
「元気そうだな」
「サムおじさんも」
「ゾマドのこと聞いたよ……残念だったな……」
「まぁ、寿命ですし……きっと悔いなく生きたと思います」
サムは「違いない」と言って、座ったままのクラングランを見た。
「お連れさん、具合悪いんだって? すぐ中に入んな」
「うん」
部屋に入ると奥の端に長椅子があり、そこに案内される。
「まだ部屋の準備ができていないから、ひとまずそこで休んでくれ」
「……感謝する。リュシュカ、俺は少し眠る」
「うん。なんか欲しいものあったら言ってね」
クラングランは長椅子に横たわると、すぐに眠ってしまった。熱のまま何も大事にせず動いていたのだから、よくなるはずがない。
リュシュカは部屋を見まわした。爺ちゃんと来たときと驚くほど変わっていない。ただ、あの時ダリアのお腹にいた子が三歳になってちょこちょこと歩いているのは明らかな時間の経過だ。
サムが子を見ながらしみじみと言う。
「ちょうどリュシュカが来た日に生まれたんだよな……」
「そうだった」
リュシュカは赤ん坊の産声で目を覚ましたのだ。忘れるはずもない。
「今は三人暮らし?」
「いや……都心にいた姉が夫婦で流行病やっちまって、そこの子の面倒も見てる」
「……それってアーロン?」
「もう会ったのか」
「うん、一目見て嫌な奴だった!」
リュシュカは元気よく感想を伝えた。サムは苦笑いして答える。
「まぁ、あいつも……色々悩んではいるんだろうけどな……最近の言動は目に余って手を焼いてる」
なんとなく部屋を沈黙が過ぎり、ダリアが立ち上がる。
「食事の支度をするわね」
「あ、わたしなんかお手伝いすることある?」
「あら。そしたら、悪いんだけどこれ、ジェシカのところに届けてくれない? サムにはこの子を見ていてもらいたいから」
ダリアが指さすほうを見ると、キャベツが詰まれた籠が置いてあった。
「わかった」
ジェシカの家は確か隣。それくらいなら出てってもクラングランも何も言わないだろう。
しかし隣に行ってキャベツを届けたリュシュカは、爺ちゃんの話でだいぶ引き止められ、お茶までご馳走になり、だいぶ長居してしまった。
戻ると家の前にアーロンがいた。そうか。あいつも今晩一緒なのか。ちょっと嫌だな。客人はこっちだけど。
アーロンはリュシュカに気づくとニヤつきながら近づいてきた。顔を覗き込んでゆっくりと言う。
「お前、一体何者なんだ? ずいぶんと法外な報奨金なんだな」
アーロンはそう言ってニタリと笑った。
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