小さな集落(2)
ダリアとサムの家に戻ると、夕食のいい匂いがしていた。
「ねえ、外でアーロンに会ったんだけど……報奨金がどうのって……聞いてる?」
「……あいつ」
サムが顔色を変えた。ダリアが気まずそうに言う。
「実は……リュシュカちゃんを探してる人がいるみたいでね……二日くらい前に金色の目の子が来たら届けを出せってお達しがきてたの」
「え……そうだったの? 誰が探してるの?」
「それがよくわからないんだけど……エルヴァスカの王国騎士団みたいなの。今も北の街道あたりにテントを張っているのよ」
「あー……誰だかわからないけどその筋かあ」
「何があったの?」
「色々あって、わたしは今、命とか目玉とか狙われてるんだ……」
「まぁ……それなら遠慮しないで。この村の人間はあなたを売ったりしないわよ」
「でも……かくまうことでの危険はないの?」
サムがきっぱりとした口調で答える。
「命の危険があるのはリュシュカのほうなんだろ? それに、危険があろうがなかろうが……この村の人間は皆ゾマドにお世話になっている」
「お世話って前に来たとき、爺ちゃんなんかしたの?」
「ああ、リュシュカちゃんは知らなかったのね。ゾマドさんらしいわ」
ダリアは頷いて言う。
「あの頃、山間部から定期的に来て好き放題する山賊に村を荒らされていて、村中ピリピリしていたのよ」
「え……」
確かに、リュシュカの記憶では村の空気はどことなく陰鬱だった。村の器物は壊れているものも多かった。あれは古くてボロいんじゃなくて、壊されていたのかもしれない。
山賊は夜に来ることが多く、子供は皆家の中に隠されていたため、話を聞くこともなかった。ただ、よく知らなくとも大人のピリピリした空気は伝播する。なんとなく暗い顔で大人たちが厳しいと愚痴る姿はよく見ていた。
「ゾマドが行って……一晩で山賊を壊滅させてくれた。それでこの村に平和が戻ったんだ」
サムがそう言って、ダリアは足元にいた子供を抱き上げた。
「それにこの子が生まれたのも、ゾマドさんが来ていた晩で……」
「それは覚えてるよ。朝方に産まれたんだよね」
ダリアが前日の朝から苦しそうにしていたのも覚えている。
「ゾマドはわざわざゼルツィニのほうまで、評判の産婆さんを呼びにいってくれたんだ」
「帰りは馬に乗って……ものすごい速さで連れてきてくれたの。難産だったから……すごく助かったの」
「知らなかった……」
「村を出るときには復興資金まで置いていってくれたのよ。何から何まで……本当にお世話になったし、この子が今元気にしてるのもあの方のおかげなのよ」
ここにいた一週間ほどの日々、リュシュカは昼間は村の子供と遊んでいたし、夜は早々と寝ていた。
爺ちゃんは大人同士で酒を飲みながら遅くまで起きているようだったが、そんなのはよくあることなのでさほど気にしていなかった。
リュシュカにとってこの村は、よく遊び、よく食べ、よく眠り、楽しく過ごして出ていっただけの村だ。
しかし、爺ちゃんはリュシュカの知らぬ間に、山賊の根城まで行って壊滅させ、お産の手助けをして金まで置いていっていたらしい。
その時、外で何か揉めるような声がして、サムが外に出ていった。すぐに戻ってきたときには血相を変えていた。
「すまない。すぐにここを出たほうがいい」
「え? え? 何があったの?」
「リュシュカがいることを、アーロンが昼に勝手に届けていたらしい。もう、ここに向かっている」
「あ、あんのやろう〜」
悪態をつきながらもクラングランを起こしにいく。その体は熱い。熱が上がっているようだった。
「クラングラン、ごめん、動ける?」
「ああ、大丈夫だ」
クラングランの目はうつろで、見るからにぐらんぐらんしている。
二人はサムに先導されて、来たときとは別の通用門に向かった。
「来たら、お前たちはクフタ方面に逃げたって言っとくからな」
「助かる。ありがとう」
反対方面に追ってくれるならば、だいぶ時間がかせげる。
村の通用門に誰かがいるのが見えた。アーロンだった。
話すことはない。そのまま行こうとすると、アーロンが前を塞ぐ。
「ここは通さねえよ」
「あんたはなんのために人を売ったの」
「こんなつまんねえ村にいつまでもいたくねえんだよ。あんたを探してる奴らに突き出して俺がここを出るための軍資金にする」
うぬう。腹が立つ奴だ。
「ほら、戻って待ってろよ」
アーロンはニヤニヤしながらクラングランの肩をドン、と押した。
だいぶ熱が高いクラングランはそれだけでふらついたが、朦朧とした目のまま、腰の剣にそっと手を添える。
「……っ、クラングラン、こいつは腹立つ奴だけど、山賊じゃないんだから……剣は駄目だよ」
「……それくらいわかってる」
無意識だったのか、クラングランが剣の柄から手を離した。ぼうっとしてる。
「………………素手ならいいのか?」
「う、うん」
「ただ、今……熱でうまく手加減できる自信がない」
「そこ自信持って! 君はやればできる子だよ!」
「うーん……力加減が……殺さなければ多少腕とか足とか折れてもいいか?」
「いいわけないじゃん! なに山に住む怪物みたいなこと言ってるの!」
サムが前に出てきて、アーロンの頭をボカッと殴った。
「あだッ!」
「このクソガキが! お前がのうのうとこの村で過ごせてるのも、ゾマドの世話があったからなんだぞ!」
「叔父さん……なんだよ! あんたも……俺が出てけばいいと思ってんだろ!」
「お前に出てってほしいのはお前が我儘なクソガキだからだ! いつまで経っても自分の状況を認めようともせず八つ当たりばかりしやがって……!」
サムはまた、容赦なくベシッと殴る。アーロンはじんわり涙目になった。
「だいたい、本気で出ていきたいなら金くらい自分で稼げ!」
ド正論! リュシュカは心中拍手をした……つもりだったが、気づけば実際に割れんばかりの拍手をしていた。アーロンにキッと睨まれてようやく気づき、自分の手を見つめて頭を掻いた。
サムがぼそっと付け加える。
「……それまではちゃんと面倒みてやるからよ」
「…………っ」
アーロンは唇を噛んで黙った。サムはため息混じりに続ける。
「誰もお前のことを邪魔だなんて思っちゃいねえよ……もう少し、周りを信用しろよ……もうガキじゃねえんだから」
サムがお説教をしながらリュシュカに手で「行け」と合図を送ってきたので、そっと抜け出した。
「なんか……あのムカつく奴、大丈夫そうだね」
サムに叱られていた時のアーロンの顔は完全に子供だった。
「なんかこう……大人に叱られて安心してたみたいな……ってあれ? クラングラン?」
クラングランはフラフラしながらも迷いなく険しい原生林のほうに向かっている。
「クラングランさん、そっち、道じゃないよ?」
「馬鹿が騎士団に報告したからこのあたりの街道にいたらあっという間につかまるだろ。こっちを抜けたほうが早い」
「いやね、クラングラン……ちょっと思っていたんだけど、あんたはたぶん滅多に怪我をしないよね?」
「そうだな。軽い擦り傷ならともかく……これくらいの怪我もほぼなかった。熱を出したのも……記憶にある分では今回が初めてだ」
「うん、だから怪我をしている自覚が薄い。動きが患部に乱暴なの。もっと、自分に優しく」
「大丈夫だ。そこまでヤワじゃない」
傾斜があり、クラングランはかなりの下方にある岩場にあっという間に降りていった。
そして──
リュシュカは悶絶して足首を押さえているクラングランを呆れた顔で見た。
そろりと追いかけて降りて、肩をぽんぽんと叩く。
クラングランはすっくと起き上がると、ふらふらと歩き出した。物を言うのもしんどそうだ。
しかし熱だろうが、クラングランの体内にある方位磁針はかなり強固だった。これはもはや特殊体質といえるんじゃないだろうか。それから、状況に合わせて可能なルートを見つけるのが異様に上手い。
ゆっくりとはいえ強引に直進していると、森の出口が見えてきた。
しかし、クラングランは森を出る前に岩場と樹の隙間の陰に入り倒れた。
「悪い。熱が上がっている。今夜はここで休む」
「大丈夫なの?」
「大丈夫だ。もうすぐ治る予感がある」
「熱も怪我もほぼ初めてなのにそんなのわかる?!」
クラングランが倒れたまま目を閉じたので、リュシュカはあたりに散らばる小枝を集め、小さな火を焚いた。心配したところでここまで来てしまうと村にも戻れないしクラングランを運べるような腕力もない。仕方ないのでせめて場所を整えることにしたのだ。
体にそうっと自分の外套を掛けてやると、眠っていたと思っていたクラングランがぽつりとこぼす。
「ゾマドが……俺くらいの歳の頃は、どんなだったんだろうな」
「え? それは……どんなだろね」
リュシュカとて、百を超えてからの彼しか知らない。
「俺は……あの人と比べると、だいぶ情けないな……」
「もしかして爺ちゃんが村を助けてたっていう話聞いてたの? でも、爺ちゃんは人外だから」
「……同じ人間だ」
クラングランはそう言って、黙り込む。
まあ、確かに同じ人
ぱちぱちと火が爆ぜる、その炎をじっと見つめる。
「あのね、遺書で読んだんだけど……爺ちゃんは、二十四と三十七のときに二度、不幸な事故で妻子をなくしてるんだって」
「……事故?」
「細かいことは書いてないけど……どちらの時も仕事で遠方にいたみたい。だから、それからもう所帯は持たないと決めて公言していたし、実際にそれを貫いていた」
クラングランは黙って聞いていた。合間にぱちぱちと火が爆ぜる音がしている。
「だから百を超えて、自分にしか手に負えない子供を引き取るってなった時、ほかのものは全部捨てたんだって」
「それで……辺境で片時も離れず、お前を成長させることに尽力したわけだな」
「うん……」
その通りだ。リュシュカはそのことを以前よりもずっと強く実感している。爺ちゃんは、リュシュカのためだけを考えて生きてくれていた。
「でも、爺ちゃんは完璧じゃない。爺ちゃんはクラングランの何倍も生きてる……きっと、間違ったり、駄目だったこともたくさんあるよ……」
クラングランは横たわったまま、炎を見ながら黙って聞いていた。
その顔を見つめていると瞳が閉じていき、やがて眠ってしまう。
リュシュカはその作り物のような顔をしばらく眺めていたが、ふいに自分も眠くなり、眠ってしまった。
***
明け方にクラングランが起きる気配で目を覚ます。見ると、顔色がだいぶよくなっていた。
「大丈夫?」
「ああ、すっかり熱が引いた。ゼルツィニに向かおう」
そう言ってリュシュカも通れそうな経路を探し、さっさと進んでいく。
速い。もうわりといつも通りに思える。
「あの……クラングラン、ゼルツィニでは予定通り休もうね」
クラングランはけろりと返してくる。
「必要ない。もう足の痛みもない」
どういう体の仕組みしてんだこいつ。やっぱ人外だ。
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