ルノイ(3)
雨上がりで眩しい露店街の片隅で、リュシュカは小太りの男と話し込んでいた。傍には腰の曲がった老人がいる。
「え、そうなんだ! すごい! 本当にこれで、本当にお爺ちゃんの病気治る?」
「もちろんですとも! 南方の洞窟でしか採れない希少な薬草を煎じておりますから。先日お買い上げくださった方も……」
「ええー! 見せて見せて」
龍のような特徴的な形の黒い草だ。確かにあまりそこらには生えてない。
「でもこれ、ただの野草だよね!」
リュシュカの大きな声に通りすがる人たちがふっとこちらに目を止めていく。
「……お嬢さん、馬鹿なことを大声で言わないでくださいますか? 素人にはわからない……」
「だってこれクロガメソウじゃない。確かに希少だし、普通にしてたらあまり馴染みのない草だけど、うちの裏山にもちょっと生えてたもん。毒じゃないけど飲んでも消化がちょっとよくなるくらいじゃないの?」
リュシュカと一緒に話を聞いていた老人がさっと帰っていった。
「……営業妨害は困りますね」
小柄で貧弱な女が相手だからか、睨んでくる。
思い切り睨み返した。
「リュシュカ、詐欺師をおちょくるのをやめろ。行くぞ」
近くで買物をしていたクラングランが来て、目の前の詐欺師が気まずい顔をする。クラングランは気にもせず、リュシュカの腕を引っ張って、そこから抜けた。
「人の弱みにつけこんで金を取ろうとする奴をこらしめたかったのに!」
「だからいいというわけでは全くないが、貧しさが原因でやっている場合もある。あんなとこの詐欺師をやりこめたところで世界は善くならない」
「腹が立ったからやってるんであってべつに世界を善くしようとしたいわけじゃない」
国境付近のこの街には外からの人間を詐欺で騙して金を巻き上げようとする輩がたくさんいる。
法外な値段で安価なものを買わせようとしたり、話しかけてきて財布を盗もうとする者、そんなのは短時間でもたくさんあった。
旅人を騙す詐欺の手口は知らない街に放り出される謎修行の前にひと通り爺ちゃんに教わっていて知っている。あの時は必死に聞いたものだ。
それにリュシュカは嘘を言ってる人を見抜くのは得意だ。目を見ればなんとなくわかる。
いつもふざけた態度でのらりくらりとけむにまき、しれっと嘘をつくのが得意な爺ちゃんがこっそり甘いものを隠している嘘ですら見抜き、驚かれていた。おかげかこの旅行きで騙されたことはまだない。
「お前は寄り道が多すぎる」
「せっかくよく知らない街に来たんだから少しくらい、いいじゃない」
「遠まわりはするがそれは撹乱するためであってのんびり行くという腹づもりじゃないからな」
「……クラングラン、そんなにわたしと急いで結婚したいの?」
ぐっと顔を近づけて覗き込む。
「お前はそんなに積極的に目玉をえぐられたいのか?」
クラングランも目を逸らさず睨んできた。
「だってさ、この街ほんと悪い奴多くて、ほら、クラングラン、あれ見て」
リュシュカが指差したのは豊満な胸の、上品そうな女性だ。カゴにたくさんの花を持っている。
「あれは……悪い人」
「そうか……?」
二人でじっと観察していると、女性は若い男性に声をかけ、笑顔で花を渡していた。そして、男性の鞄から財布を抜き、すっとその場からいなくなった。
「ほらね」
「まだ何もしてないうちから、よくわかったな……」
「クラングランは胸ばっか見てるから真実がわからないんだよ」
「あれだけ目立つと目が行くのは仕方ないだろ」
見ていたことを隠さないあたり、やはりこの男は正直だ。
「ただでさえでかいのに目立たせすぎてるのが不自然なんだって。あれ、胸に注意を向ける気満々だもん」
「……それも、ゾマドに教わったのか」
「いや? これくらいは見てればわかる。でも爺ちゃんなら自分から近づいてって胸をガン見して財布の代わりに石を盗らせる」
「なるほどな。それで、世界を善くするために財布は取り返してやらないのか?」
「美人の巨乳に鼻の下伸ばしてたスケベ男の財布取り返す義理はないよ」
「あ、ああ」
「クラングランの場合、どうせ自分の顔を見て誘いにきたんだと思いやすいから、油断してるとこ財布やられるよ」
「……肝に銘じておく」
***
細い通りに入ると、蹲っている老婦人がいた。
これも、聞いたことのある手口だ。
心配して声をかけてきた者に、家に薬があるからと家まで送らせる。あるいは持って来させる。
帰ろうとしたところで家にあった家財がないと難癖をつけられて別の柄の悪い男が出てくるのだ。
クラングランも知っていたのだろう「本当に多いな」とこぼして通り過ぎる。
しばらく行ってから、リュシュカは引き返した。
「……大丈夫?」
「おい、リュシュカ……」
「クラングラン、この人、本当に具合悪いよ」
老婦人は青白い顔で息荒く、苦しそうにしていた。
「く、薬が家にあって……もう少し……休めばよくなるから……大丈夫……」
お、おいおい……。
まさかの詐欺の手口通りのことを言われて一瞬クラングランを見た。けれど、すぐに思い直して言う。
「クラングラン、わたしこの方送ってくる。ちょっと待ってて」
クラングランは、はぁとため息を吐いた。
「それなら、俺がおぶっていくほうが早い」
クラングランはためらいなく老婦人をおぶった。
リュシュカはそのあとを小走りで追いかけた。
人をおぶってるのにリュシュカより足が速い……どういうことだ。
幸い老婦人の家は路地からそう離れてはおらず、こぢんまりとした住居に通された。
「薬はどこ?」
「棚の上……」
苦しそうにしている婦人に薬を渡す。
水を用意しようとするが、よほど苦しかったのか、飲み慣れているのか、そのまま飲み込んだ。
そのまましばらく蹲っていたが、やがて荒い息が落ち着いていく。
「ごめんなさい、本当にありがとうね。お茶でも出すから少しここで……あっ」
すっかり安心していたところ、老婦人が突然声を上げる。
「いやだわ、財布がない……」
「えっ」
う、嘘でしょ!?
あまりに詐欺の手口と似た流れで、不安になった。思わず扉のほうをパッと見た。
悪そうな輩は入ってこない。
「多分さっきの通りで落としたんだわ……」
「それなら俺が行ってくる」
クラングランはリュシュカが何か言う前に、さっさと出ていってしまう。老婦人と二人で残される。まさかあいつ、逃げたんじゃあるまいな。
「本当にありがとうね」
老婦人は待っている間にお茶を出してくれた。
喉の渇きを覚え、出されたお茶に無造作に手を伸ばす。
飲み込んだ直後に、不用意に飲んではならないと気づく。
とてもおいしいお茶だった。
まあ、いいかな、という気持ちになり飲み干した。
「ここでひとりで暮らしてるの?」
「息子がいるわ。前は国の騎士団にいてね、すごく強かったのよ。称号ももらったのよ!」
「そうなんだ」
逞しくて強い息子とグルなんだろうか。それで、急に入ってきて締め上げられ…………突然扉がガタンと開く音がして、リュシュカは飛び上がるほど驚いた。
「あったぞ」
何をどうしたのかは知らないが、クラングランがものすごい速さで戻ってきた。
「ほ、本当に行ってきたの?」
あまりに早すぎてクラングランが疑われないか不安になるくらいだ。
「ああ、ご婦人が蹲っていたところに落ちてた。誰にも盗られずにいたのは幸運だった」
「本当に助かったわ。ありがとう。これ、心ばかりだけど」
老婦人は財布から紙幣を取り出そうとした。
それをクラングランがきっぱりと固辞する。
「いや、金には困っていないから遠慮する」
「でも……本当に助かったから、感謝を伝えたいわ」
老婦人はしばらく辺りを見まわして、果物を持たされた。
「これ、今は遠方にいる息子が帰ってきた時に持ってきてくれたものなの。すごくおいしいから、二人で食べて」
「うわあ! 見たことない果物だ! ありがとう」
二人は老婦人の家を出てからようやく街を出た。
しばらくは無言で街道を行った。
馬車が通れる太い道だが、ここは人通りが多いので、襲撃に向かない。人が少なくなるまでは割合歩きやすい道を行ける。
「よかった。少しヒヤッとしちゃった。クラングランも心配にならなかった?」
「いや、あの方は本当に具合が悪かったんだろ」
「クラングランもそう思った?」
「俺はそこまでよく見てなかった。だが、お前がそう言っただろ」
「……うん」
実はそのあと何度か疑ってしまったことは黙っていた。人を見る目があるなんて、少々自信過剰だったと思わざるを得ない。
それにしても、あれほど急ぎたいと言っていたクラングランは、よく知りもしない他人のためにあっさりと時間を無駄にする選択をした。それに、リュシュカの言うことを信じてくれた。そのことが妙に嬉しい。
しばらく行ってもやっぱり胸がほんわかしていたので、口を開く。
「……クラングラン」
「なんだ」
「わたし、あんたと来てよかったかも」
「……よくわからないが光栄だ」
そう言ってクラングランは立ち止まる。
気づけば人の通りは減っていた。
何もない草地に申し訳程度に草が短く刈られている歩道が伸びている。周りは林と山と川と崖。たまに朽ちた建物がある。
「これ以上街道を行くと見つかりやすいし時間がかかる。この、正面にある崖を越えれば早い。だいぶ荒れた道だが、すぐに次の街に入れる」
「えっと、クラングランには、これが道に見えるんだ……」
「道だと思えば道になる」
「なんだその雑な格言……誰がなんと言おうとこれは道じゃないよ」
やっぱりこんな奴と来るんじゃなかった。
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