関所へ(1)


 クラングランは隣を歩くリュシュカをちらりと盗み見る。


 エルヴァスカ王の落とし子であり、ゾマドに育てられたというリュシュカという娘は、なんだか不思議な娘だった。

 ほっそりとした白い肌。色鮮やかな光沢のある黒い髪は肩甲骨を隠すくらいに長く、切れ長の大きな瞳は金色だ。顔立ちは少し気が強そうだが整っている。それにどことなく妙な気高さを感じる。


 だが、言動はその冷静に見える容姿とはあまりそぐわない。彼女はがさつさと高貴さ、強さと弱さ、そんなものがまばらに入り交じり、混沌としている。

 同時に自分が会ったこともなかった賢人ゾマドのイメージまで打ち砕かれるものだった。

 最初は単に自分は王侯貴族ばかりが周りにいたから馴染みがない空気感なのだと思っていたが、その考えにもどことなく違和感が出てきている。どちらにしろ、もうしばらくは彼女と一緒に行動することになる。


 クラングランはどの道国に帰るところだ。このまま連れて帰れれば僥倖だが、途中で逃げられればその時はその時だと思っている。

 ただ、乗りかかった船ではある。目の前で目玉をえぐられたり殺されるのだけは阻止したい。それまではせいぜい見つからないように慎重に動きたい。



 隠し通路を抜け下山したあとはすぐ、麓の街に入った。

 国境に一番近く、大きな街だ。ここは宿も飯屋も豊富にある。見る限りリュシュカはすっかりご機嫌になり持ち直していた。


「やったー! 今日は宿に泊まれる! 温かいご飯も食べれる!」


 しかし、クラングランは苦い顔で首を横に振った。


「クラングラン……何その顔」


「悪い。今気づいたんだが……使える金がない」


「ええっ、あんた王子様じゃなかったの? セシフィールって……そんなに貧しいの?」


 哀れみの混じる驚愕の顔で言われ、クラングランはまた首を横に振る。


「俺が今持っているのはほとんど自国の通貨だ。行きは予期していなかったが、こういう事態になるとセシフィールの金を俺がここで両替した痕跡を残したくない」


「あー……」


 つい最近偽金が出まわったせいで今、一時的にエルヴァスカの両替所は各国の中で最も管理が厳しく、身分証明の記名が必要だ。この先どこかでリュシュカの同行者が自分だとバレた時に、ほかの追跡者たちがたどれるわかりやすい足跡をなるべく残したくない。


「でもさ……クラングランのその懸念を加味して進むと……今日も野宿になるよ、ね?」


「ああ」


「こんなに宿がたくさんあるのに! ガチガチの石の寝台とスケスケの空の天井で寝ろと!?」


「お望みならやわらかい土の寝台もあるぞ」


 リュシュカは顔にわかりやすく絶望を浮かべて項垂れた。

 そうしてしばらくうつろな目で人波を眺めていたが、ふいにぱっと顔を上げる。


「あ! そしたらさ、クラングランの国のお金、わたしにちょっとかしてよ」


 今度はどこかわくわくした猫のような顔で言う。

 黙っていればクールな顔立ちなリュシュカの表情は鮮やかなまでにころころ変わる。

 リュシュカは手のひらをクラングランに向けてくる。


「ん?」


「国の両替所に記録が残るのを避けたいんだよね?  わたしに任せて」


 リュシュカはそう言ってセシフィールの通貨を受け取る。

 それからしばらく通りをじっと眺めていた。


「何をしているんだ?」


「うーん、今探してるから少し黙って待っててよ」


 リュシュカは黙って人混みを見つめ続けている。

 金色の瞳は忙しなくキョロキョロと動いていたが、体は一歩も動いていない。


 クラングランはしばらく背後で待っていたが、やがて退屈になり、少し離れた壁際に座っていた。


 やがて、リュシュカが動いた。

 ひとりの旅人の男に近寄って声をかける。特に強そうでもなければ、金持ちそうでもない。なんてことない旅人だ。クラングランは腰の剣柄に緩く手をかけてじっと見守る。


 何を話しているのだろうか。リュシュカは相変わらずへらへらしていて、想像できない。

 やがて、数分話し込んでいたリュシュカが笑顔で戻ってくる。


「はい。両替してきたよ」


 そう言って、エルヴァスカの通貨の紙幣を差し出してきた。


「……お前、何をした?」


「さっきの人……顔の感じ肌の色服の感じからクラングランと同じ国の人だと思って。それに、荷物の感じから、これから国に帰ろうとしてるんじゃないかなと思って聞いたら当たりだったよ」


 なるほど。これからセシフィールに帰郷する人間ならば、どの道近いうちに手持ちのこの国の通貨はセシフィールのものに両替するだろう。急ぎ換えてほしい人間がレートより少し高くするので換えてくれといえば頼みは聞きやすい。


 肌の色や服の特色からセシフィールの人間をなんなく見つけ出したところといい、リュシュカの観察眼はなかなかのものだ。

 それに、クラングランと来るのを決めた時も思ったことだが、彼女は決断が早い。


「お前もなかなかしっかりというか……ちゃっかりしてるな」


「わたしは八歳から十三歳までは爺ちゃんに連れられて、ずっといろんな国を見て歩いてたんだ。そのとき爺ちゃんに色々鍛えられたからね」


「鍛えられた? 体術は教わってないんだろう?」


「うーんと、知らない街に置き去りにされて、どんな手を使ってもいいから三日間生き延びろとか……そういう、謎の修行を……」


「な、なるほど」


「あ、死にそうになるとちゃんと助けてくれるんだよ! 爺ちゃんなんだかんだわたしに甘いから!」


「あ、ああ……」


 クラングランは軽く引いていた。

 辺境の箱入りかというとそんなこともないようだし、その経歴だと自分よりよほど旅慣れている。やはり、あのゾマドの育てた娘は底知れない。


「とりあえず、目元が隠れても無理がない服を買おう。エルヴァスカの踊り子の服がいいかな。クラングランもなるべく身を隠したいならこの国の旅芸人の服を揃いで買って着たほうがいい。セシフィールの服はそこそこ文化的特徴がある」


 よどみなく言うリュシュカが一瞬だけ高貴な指揮官のように見えて、クラングランはものも言わずに頷いた。

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