関所へ(3)


 エルヴァスカからルノイに入る国境の関所は毎日多くの人でごった返す。

 とはいっても、交易を主としているルノイの検問は他国に比べて最も緩い。現在は荷物を改め危険物や違法な薬物の持ち込みがないか、それを簡易的に確認するだけで身分証明やその他厳しい取り締まりは何もない。


 ケヴィンはここに配属されて一年になろうとしていた。

 彼にとって初めて外で働く仕事であり、最初の頃は張り切っていたし、自分の仕事が世の役に立つことに喜びを感じていた。

 しかし、毎日多くの人間を相手にしているうちに飽きて雑にもなっていく。

 いくら熱心にやっても恨まれこそすれ、感謝はされない。交易の邪魔になりかねない過度な取り締まりや確認は上からも煙たがられたりもする。誰も褒めてはくれない。


 その日も流れ作業と化した荷物の検閲をだくだくとこなしていた。


「どうも」


 現れたのは吟遊詩人の格好をした、はっとするほど美しい若い男だった。

 背後にいる華奢な女は踊り子の衣装を身に纏っていたが、頬から顎にかけて大きな目立つ傷がついている。露出している細い腕にも、いくつもアザがあった。

 そして、最も特異なのは、女が目に包帯を巻いていることだった。


「彼女は怪我をしていまして……」


 美しい男はへらりとした笑顔で言う。

 傷ひとつない美しい男と、傷だらけの包帯女。なんだか異質さがすごい。


「そうですか……お気の毒です」


 そう返しながらも、ケヴィンは男の笑顔になんだか嫌な気分になる。


 上官が来て耳打ちする。


「おい、念のため女の目の色を改めておけ」

「……なぜですか」

「知らんが、上からのお達しだよ」

「はぁ……」


 たまに入る上からの指示はどこからの思惑だか知らされない。蚊帳の外で協力させられている。従ったとしてもなんの利益もない。適当に聞いたフリをしてる者も多い。


 正直なところ、ケヴィンだって怪我をしている女の包帯を取って見せろなどと言いたくはない。

 それでも生真面目なケヴィンは一応形式上は言われた通りに対応することにした。


「すみません。確認のため、奥で包帯をはずしていただいても?」


 二人の動きが一瞬止まった。


「彼女は怪我をしていると言ったはずだが……なんの確認だ?」


 男が眉を顰めて言う。気持ちはわからないでもない。だが、こちらも仕事だ。


「すみません。形式的なものですので、すぐ終わります」


 そう言うと、二人はしぶしぶながらも頷き、奥の個室に移動した。女はずっと、一言もしゃべらず、背を丸めている。


「では、その……目の包帯を……外していただけますか」


 女は俯いたまま動かなかった。黙ったまま首をふるふると横に振る。このままでは確認ができない。こんなところで手間取っては、業務に差し障る。流れが悪くなってしまう。小さな苛立ちを感じる。


「申し訳ありません。すぐすみますので……」


 ケヴィンがたまりかねて手を伸ばそうとすると、背後から男がさっと抱きしめてかわす。女が大袈裟なくらいびくりと震えた。


「外すのは構わないが……俺の女に触らないでくれるか。包帯を取るのなら、俺がやる」


 独占欲をギラつかせた目で牽制される。

 これは……相当面倒そうな男だ。経験上、こういう輩は下手に対応して怒らせると長くなる。刺激して絡まれたくない。


「構いませんよ。こちらは確認さえできればいいんで」


 男は女の頬に背後から手を這わす。

 女が「あっ」と声を上げる。思わず漏れてしまったような小さな艶声にドキリとしてしまう。

 男は、ケヴィンを見て怪しげに笑った。


「本当は……怪我はしてない」


「えっ」


「この女は元は美しい女でな……俺に隠れてくだらない男と浮気したんだ。だから片目を潰してやった」


 男が静かに言いながら、彼女の頬の傷を指でなぞる。女はぶるぶると小さく震えている。後頭部にある留金が取られ、包帯をはらりと外されていく。


「今はこうしてほかの男を一切見れないようにしているんだが……もし何かあれば……」


 幾重にも巻かれた包帯が、しゅる、しゅる、とゆっくり解かれていく。男の手つきは、丁寧に衣服を剥いでいるかのようで、妙に艶かしかった。


「可哀想だが……もう片方の目もつぶさければならない」


 男は女を背後から囲い込むように抱きしめ耳元で低く告げる。


「おい。少しでも目を合わせれば……わかってるな」


 女は俯いたまま、こくこくと頷く。女の頬には大量の汗が浮いていた。


 次の瞬間、包帯がすべて外れたが、女は目を自らの手で覆い、震えながら怯えた声で泣いた。


「ごっ……めんなさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……見ませんっ……ぜ、たい……見ません!」


 女の声は震え、滲んでいて聞き取りづらいほどだった。


「だが、検問官はお前の目が見たいそうだ。見せてやれ。大丈夫だ。お前が邪な視線さえ投げなければ、俺も寛容になれる」


「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 女はずっと、わあわあ泣いている。男は舌打ちして突然女の髪を引っ張った。


「……っ、いたッ……」


「おい! まさか、泣くのはやましいことがあるからか? 顔を上げてしっかり見ろよ! お前は淫乱だからな! 見たいんだろ! ほかの男の顔が!」


 男が怒鳴り声を出し、また女の髪を勢いよく引っ張って顔を上げさせる。


「いっ……いたいぃ! ああっ! ごめんなさいぃ!」


 女はなおも自分の顔を覆っていやいやと首を横に振る。


「ほら、検問官にきちんとそのいやらしく男を誘うお前の穢れた目を見せてやれ!」


 その段になりケヴィンにも女の体が傷だらけな理由がはっきりとわかった。痛々しく色が変わるアザも、まだ塞がっていない切り傷も、すべて、この男がつけた傷なのだろう。

 そして、おそらく自分と一瞬でも目が合えば、この女はあとでひどい折檻をされる。いやらしい目だのなんだのは、男の主観的な言いがかりでなんとでも言えるものだからだ。


 なんだか胸糞が悪くなってきた。

 さっさと終わらせたい。


「もういいよ……あんた、行きな」


 女は目を覆ったまま震え、かき消えそうな涙声で答えた。


「……ありがとう、ございます」


 男はこちらを睨み、チッと舌打ちしてから女の肩を抱いて出ていった。


 検問なんてやっているといろんな人間を見ることになるが今日は嫌なものを見た。早く忘れるためにも、終わったら馴染みの店で酒でも一杯飲んで帰ってもいいかもしれない。


 上官が来て、さほどの興味もなさそうに聞く。


「目の色は何色だったか?」


「ああ……焦茶でした」



   ***



「なんとか抜けられたな……」


 舗装された道を少し外れた木々の影で、クラングランが息を吐いて言う。リュシュカはその傍で顔を両手で覆って蹲っていた。


「ものすごく危なかったな」


「…………うう」


「だが、なんとか通れてよかった」


「…………免疫ないって言ったのに」


「瞳の色を聞かれていたな」


「…………言っておくとあれはガチ泣きです」


「悪かった。ただ、ああでもしないと……」


「うう……爺ちゃん……もうお嫁に行けません……」


「…………何かしたか?」


「クラングラン、さ、触りかたが……えっちだった……」


「…………」


「変な声出ちゃった消えたい……」


 思わず人前で変な声が出てしまって、妙な公開プレイみたいになっていたのが一番恥ずかしかった。普通のプレイすらしたことがないというのに。


「……あんな猿芝居するはめになるならやっぱり強引に川を泳いで国境を越えればよかったな」


「それは……クラングランひとりならともかく……絶対関所越えたほうが早かった」


「いや、かなり目立ってしまっていたしな」


 リュシュカはまだ赤い顔のまま、草で作った傷痕を剥がしながら言う。


「ううん。わたしの精神ダメージは甚大だけど、これでよかった。クラングランはどうしたって目立っちゃうんだから……なら別の人物で印象付けとけば素性や正体まではきっと辿り着けない。まさかあんな変態が王子とは思わないよ」


「あ、当たり前だ! セシフィールの王子があんな変態的なことをしていると思われたら……」


「ノリノリだったくせによく言う……」


 リュシュカはまた恥ずかしさがぶりかえしてきて、顔を覆った。ていうか、クラングランの台詞も妙に変態公開プレイめいていた気がする。変態だ。変態王子なんだ。


「必要に迫られただけだ!」


「クラングラン、素だと口上手くないけど、完全嘘の演技はうまかったね……エロかった」


「エロいエロい言うな。もう忘れろ」


「あと一年は忘れられない……走馬灯にも出そう」


「やめろ」


 クラングランはため息を吐いたあとで真面目な顔で言う。


「……髪、痛くなかったか?」


「え、ぜんぜんだよ。クラングランが軽くひっぱるのに大袈裟に痛い痛い言ってただけだし……あれは完全に演技」


「そうか。ならいい」


「……もしかしてわたしの演技に騙されたの?」


「うるさい」


 クラングランは少し赤くなった。


「しかし……やはり関所まで手がまわっていたな」


「そうなのかなあ……わたし、関係あるかわからなくない?」


 クラングランがじっとりとした目でリュシュカを見つめる。さっと逸らした。


「ある……かも、しれませんね」

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