関所へ(2)


 リュシュカはクラングランと衣料品を買い込み、そのまま温かい食事をとり、宿を探していた。


「あそこは?」


「駄目だ。あそこだと逃げようとしたときに袋小路に追い詰められる恐れがある」


 リュシュカはさっきからずっとクラングラン相手にこの問答をしている。

 クラングランは宿を探すのも慎重だ。扉の数、逃げ道の数、大通りからの距離、外からの見えやすさ、リュシュカはその基準をひとつひとつ聞いて、覚えていく。


「んー、じゃあ、あそこだ!」


 リュシュカはそう言ってひとつの宿を指差す。

 目立たないし裏口もあるし面した通路が多い。


 駄目出しの嵐を吹かせていたクラングランがようやく「ああ、そうしよう」と言って笑ってくれた。

 正解を当てられたようで、少しだけ誇らしい気持ちになる。なんだか爺ちゃんと旅をしていた頃を思い出した。


 宿の部屋に入るとリュシュカは目を丸くしてクラングランを見た。


「え、同じ部屋?」


「安全のためにそうしたほうがいい……安心しろ。無駄に手を出すほど困っていない」


「ほ、ほんとぉ? こっちには無駄かどうかわかんないし。夜通し子種注ぎ込んで孕ませてわたしを永久に逃がさないようにするとかさあ」


「お前、思考が俺よりよほどゲスいな……だが、俺がもしそこまでするつもりなら、もっと早くに襲っているはずだろ」


「や、野外で!?」


「べつに野外でもでき…………いや、だから、しないと言ってるだろ!」


 リュシュカは唸った。


「で、でも……部屋がひとつなのはともかく……寝台がひとつなのは……」


「ここしか空いてなかったんだから仕方ないだろ。安心しろ。俺が床で寝てやる。今晩は望み通り寝台で眠れるぞ。よかったな」


「王子なのに床で寝るの?」


「俺はどこでも寝れる王子なんだ」


 リュシュカは寝台に倒れ込んで言う。


「うう……わかった! クラングランはノンデリでムカつくけどイケメンだから……そこまで言うなら仕方ない……相手になってやる! さあ来い!」


「おい。俺が襲う前提で話すな」


「ふわぁ……むちゃくちゃ眠くなってきた……寝るけど、襲ってもいいよ……」


「そういう趣味はない。さっさと寝ろ」


 温かいご飯が食べれて、枕もある。野営のあとだと、安宿の薄い布団ですら心地よく感じられ、リュシュカが寝入るのは早かった。




 夜が深まるにつれ、安宿の外は物音がしなくなり、しんとした暗闇と静寂が眠りを彩っていた。


 ふと、誰かがのしかかっている気配で目を開けると、間近にクラングランの迫力ある美形顔があった。


「むぎゃっ……!」


 驚いて叫びそうになったが、口を手で塞がれる。


「静かに」


 すぐ耳元で囁かれて息がかかってぞわぞわする。


「ゃ……んんっ」


「変な声も出すな。すぐ起きてくれ」


「ひゃ、な、なに? なに?」


 だいぶ慌てた小声で言うとクラングランがようやく上から退いた。


「……悪かった。とにかく静かに起きてほしかったんだ」


「な、なんで……」


「さっき宿の人間が馬で使いを出していた。直前の話し声の中に“あの方に報告せねば“というような言葉が混じっていた。すぐ移動しよう」


「あの方ってどの方? わたし関係あるの?」


「それがわかればコソコソ逃げることもないんだがな……ここは前払いだから、夜が明ける前に急いで出るぞ」


「……な、なんだ。そんなことか。ドキドキして損した」


「何を期待していたんだ」


 クラングランに呆れたように言われる。まだ寝ぼけていたのもあって思わずカッとなって言い返す。


「わ、わたしも年頃の女子なんだからね!? こんなことされたら期待するなってほうが無理でしょ!」


「…………」


 勢いよく言ったリュシュカはクラングランの沈黙に、あれ? と考え込む。


「ま、間違えた! 期待っていうのはぜったい言葉が違う! 相手が誰であれ、け、警戒! けいかいするにょが普通っていうか……!」


 噛んだ。まともにしゃべれてない。リュシュカはどんどん自分の顔が熱くなるのを感じていた。こうなってしまうと冗談として処理するのも難しくなってくる。


「クラングラン……頼む。なんか言って。わ、わたし……ほんとはそういうの慣れてなくて、ぜんぜん免疫、なくて……その……」


 涙がじんわり湧いてくる。


「もうやだあ……恥ずかしくて街を爆発させそう……」


「わ、わかってる。大丈夫だ」


 冗談と思わなかったのか、クラングランは少したじろいだ顔でこくりと頷いた。それからぼそりと言う。


「じゃあ俺からも言うが……相手が誰であれ、俺も健康な男だから、いくら暑くてもあまりあられもない格好で寝るな」


「え? あ、はい……」


 言われてリュシュカはほとんど薄手の肌着だけで寝ていたことを自覚する。

 これまで爺ちゃんと二人だけで暮らしていたのでそんなところで他人への恥じらいや気遣いの感覚は薄かった。妙なとこで浅慮だったとしかいいようがない。


 二人は荷物を纏め、裏口からそっと宿を出た。

 外には明るい半月が出ていて、風は生温かい。


「クラングラン、これ、似合う?」


 リュシュカは今、エルヴァスカの旅芸人の踊り子の服を着込んでいる。昨日の夕刻に買ったばかりのそれはヴェールで目元が隠れるようになっている。


「……よく似合っている」


 こちらを見もせずに答えるあたり、やはりモテない。顔はモテるんだろうけれど魂がモテない。でも、そのモテなさに安堵してる自分もいる。もしかしたら自分は魂が女たらしの男と一緒に旅はできないかもしれない。


「クラングランも似合ってるよ」


「そうか……ありがとう」


 これでもかという感じに興味が薄そうな返答に再び妙な安堵を覚える。

 そして、吟遊詩人の衣装を着たクラングランもまた、とても美しかった。

 クラングランはたとえば顔が隠れていたとしても目立つだろう。すらりとした長身だけでなく、骨格や頭の大きさ、身体バランスが既に特異に美しいのだ。彼が目立たないためにはやはり人が通らないような道を行くしかないんだろうか。


 クラングランは簡易な地図を広げて見せてくる。

 セシフィールはごく小さな国が乱立している地帯にあるが、エルヴァスカとの間にはルノイという三日月形の大きな国が横たわっている。

 ルノイとエルヴァスカの国境には険しい山脈があり、山間の関所から通るのが一番無難なルートだ。


「山間の関所に行くんだよね?」


「……俺は関所は通らないほうがいいと思う」


「え? なんで?」


 リュシュカの髪と瞳の色。

 それは王家や、政治に関わる者ならばすぐにエルヴァスカ王家の血筋だと気づくだろうが、ほとんどの市民は王の顔を知らずに暮らしている。街を歩いていてそこまで目立つものではないはずだ。


「もし俺が逃げているお前を追うなら、エルヴァスカから出る各都市の関所に金色の瞳の女が通らないか、見張らせる」


「ああー……」


「俺は行きも関所は通っていないし、山を行ったほうが……」


「クラングラン、あんな山登ったら普通の人間は遭難して死ぬから! 普通の人はあの山を通れないから関所が機能してるの!」


「じゃあ、こっちに太い川がある、ここを丸一日泳げば……」


「わ、わかった! わたしが目を見せずに関所を通る方法考えるから! 遠まわしな殺人予告はやめて!」


「どうするんだ」


「ううん、目を包帯でグルグル巻きにして通ればよくない?」


「そんな不自然な奴がいるか」


「爺ちゃんが昔見たらしいんだよ。エルヴァスカの旅芸人のヤバいカップル」


「なんだそれは」


「恋人の目を包帯でぐるぐる巻きにして、ほかの男を見せないようにしてるんだって」


「気色悪いな。理解できない」


「本人たちがいいなら愛の形はなんだっていいんじゃないの?」


 くだらない話をしながら関所を目指す。


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