ルノイ(1)


 無事に関所を越えてエルヴァスカからルノイに入ったクラングランは国境からすぐ近くの露店街をリュシュカを連れて歩いていた。


 宝石商が品物を並べ、豪奢な絨毯やキラキラした布生地、その隣に香辛料が売られている。高価なものからジャンク品まで、ごちゃまぜで雑多に賑わっている。

 ルノイの国境付近はこういった露店街が点在していて、多民族が入り乱れ、騒がしい。


 リュシュカは子どものようにいろんなものに興味を示してしょっちゅう立ち止まる。歩みが遅くなっていた。


「クラングラン、露店、ちょっとだけ見ていってもいい?」


「さっさと行くぞ」


「露店見たい」


「駄目だ」


「露店見たい」


「わかった。少しだけだ……」


 クラングランは困った子を持つ父のような苦い気持ちで諦めた。


「クラングラン、これ見て」


 リュシュカがジャンク品が並ぶ露店の前でクラングランを手招きして呼ぶ。


「これ、ルノイの有名な賭場で大勝ちした人がもらえる記念品のバッジだよ。昔爺ちゃんが一度だけ持って帰ってきたことある」


「お前は本当に余計な知識ばかりはあるな」


 幼稚さと、それにどこか不似合いな大人の下世話な知識。つくづく珍奇な女だ。


「これ欲しい。買って」


「……わかった。お前にも金を預けておく。渡した分は好きに使え」


「うわ、さすが王族……! 太っ腹」


「お前も一応王族なんだがな……」


 その後もリュシュカは余計な買物をたくさんしていた。重い荷物になるようなものは避けているようだったが、完全に観光気分なことが窺われる。


「そろそろここを出て飯を食おう」


「わかった。食べよう食べよう」


 二人は露店街を抜け、近くにあった大衆酒場に食事をしに入った。こういった場所は人も多く、皆自分たちの話に夢中なので目立ちにくい。


 案の定店内はざわついていて、誰も二人に注意を留めなかった。

 リュシュカは酢漬けにしたキャベツで巻いたロールキャベツにサワークリームをのせたものが気に入ったようでおいしいおいしいとはしゃいでいる。


 きっとゾマドとの日々の食卓も賑やかだったのだろう。

 自分がいた環境では考えられない食事風景だが、それはそれで悪いものには思えない。


「今後のルートなんだが、このままルノイの南端に行こうと思う」


 セシフィールは多くの小さな国が乱立している軍事的に不安定な地帯にあり、三つの国に面している。

 ルノイから最短距離を直進しようとするとこの後もうひとつ小さな国を通ることになる。多少遠まわりでも、関所を避けてルノイの南端から直接セシフィールの国境を目指したほうがいい。遠まわりするので遅くはなるが、どの道リュシュカがいるのでそこまでの速度は出ない。


 リュシュカは「わかった」と言って野菜にかぶりついた。ちゃんと聞いているのか怪しい。


「ねえあれ、猪人一派じゃない?」


 リュシュカがすぐ近くのテーブルを肘でさして言う。

 揃って汚れた肌と髪。だらしなく突き出た腹。腰には山賊ナイフ。確かによく似ている。


「いや、あれはただのごろつきだろう」


「そっかあ。お洒落のセンスが被ってるだけか。なんか似てるの多くない? あれ流行ってんの?」


「関所近くの山間部にはあんなのはゴロゴロいる」


 ごろつきたちは大きな声でゲタゲタ笑いながら酒をあおり、肉を貪り食っている。とてもうるさい。可能ならもっと離れた席がよかったとは思うが、大衆酒場で静かに食えという法律はないし、彼らにも酒場で騒ぐ自由くらいはあるだろう。


 そう思っているとごろつきのひとりが若い女性の店員に絡みだした。


 手首を掴まれた店員が明らかに困っている。なんとか振り解こうとした時に、その手がテーブルに置かれている皿に当たる。


 ──ガシャン。


 あたりに割れる音が響く。

 一瞬だけ店内は静かになったが、またすぐにざわめきだした。


 男は今度は料理がかかった腕を見せつけて因縁をつけだした。皿が割れて怪我をしただとか、服が汚れただとか、そんなことを恫喝している。


 店員はぺこぺこと謝り、あたりを拭いて、戻っていく。その顔は青ざめていた。


「クラングラン……」


「なんだ」


「おいしいご飯をおいしく食べたいから、あれ追い出してきていい?」


「気分が悪いのはわかるが、目立つようなことは避けろ」


「わかった」


 リュシュカは返事をして立ち上がった。


「いや、話聞いてたか?」


「聞いてたよ。目立たなければいいんでしょ?」


 そういう意味じゃない。

 しかし、すでにリュシュカは離席していた。まっすぐ厨房に向かっていき、中に入っていく。


 リュシュカは特別強面でもなく、腕が立つわけでもない、見た感じ貧弱な女で実際も貧弱な女だ。

 あの手の輩に率直に静かにしろと言えば逆に絡まれるだろうし、出ていってくれと頼んで素直に聞く輩にも思えない。一体どうするつもりだろう。


 クラングランは無意識に腰の剣の柄に触れながら、静観した。


 しばらくしてリュシュカは店の前掛けをして酒を持って奥から出てくる。


 あいつは一体何をやっているんだ……。


 リュシュカは盆に酒を載せて猪人たちのテーブルに来た。


「さきほどのお詫びです」


 リュシュカはにっこり笑い、そう言って酒のコップをごろつきたちのテーブルにやたらとモタモタと置いていく。

 リュシュカの前掛けの胸ポケットから丸いものがテーブルに転がり落ちた。


「ああ、すみません。これは、さっきまでいらしてたお客様が忘れていったんです」


 そう言ってリュシュカはそれをさっと回収した。

 猪人たちはヒソヒソと何事かを囁き合っている。


「お仕事の帰りなのか、大事そうに大きな鞄を抱えてました。すぐに行って届けてさしあげようと思っていたんですが、なかなか忙しくて」


 ごろつきのリーダー格らしき男がニタリと笑って言う。


「姉ちゃん、それ、俺たちが届けてやろうか?」


「あら、助かります! おひとりで街道外れのほうを通って釣り場に行くとおっしゃってました。あの辺は人通りも少ないので見つけやすいかと」


 ほどなくしてリュシュカは厨房に行ってから元の格好でクラングランのテーブルに戻ってきた。


「男たちに渡してたあれはなんだ?」


「さっき露店で買ったバッジ」


「ああ、賭場で大勝ちした奴がもらう記念品……」


 小声で話していると、すぐそばをごろつきたちが出口に向かって通り過ぎていく。


「街道外れの人けのないほうに行ったらしいぞ。おあつらえむきにひとりだとよ! よし、お前ら行くぞ!」


「いいカモが見つかったなあ」


「いくらむしり取れるかな」


 ごろつきたちはガヤガヤと出ていった。

 リュシュカはしれっと食事を続けている。


「静かになってよかった。あ、すみませーん、モモ焼き追加で!」


 リュシュカはそのあと骨付き肉のスパイス煮と串焼き魚とトマトスープを平らげて満足そうに口元を擦ると「眠い」と言った。


 リュシュカはクラングランを見上げ、目をこすりながら言う。


「クラングラン、お腹いっぱいだし今日はもう宿で過ごしたい」


「なんとか通れたものの結局悪目立ちはしていたし、国境付近に留まるのは危険だ。ここは特に治安が悪いし、ひとつ先の街まで急ぎたい」


「移動を少し止めてでも、爺ちゃんの遺書を読む時間が欲しい。あと、隠し通路でだいぶ疲れてるから一度ゆっくり休まないと速度自体が落ちる」


「…………」


「速度が落ちる」


「…………」


「落ちる。断言する」


 クラングランは「……わかった」と頷き、小さなため息を吐いた。


 リュシュカは思うほど箱入りではなかったが、予想以上に言動が暴れ馬だ。おまけに人の緊張感を削いでくるという特殊能力を持っている。


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