クラングラン(1)


 リュシュカは起きてすぐに畑の手入れをして、朝食を取ったあともう一度寝た。そのあとまた起きて掃除をした。


 気は進まなかったが、昼過ぎになって再び遺書に向き合った。


 なんと、昨日からまだ四ページしか読めていない。


 爺ちゃん、頼むから起きてくれ。

 この酷い乱文乱筆に文句を言ってやりたかった。これはとてもじゃないが人に何かを伝えようとする文字じゃない。この字はなんと書いてあるのか、本人を叩き起こして聞きたいところが大量にあった。


 コンコンコン。


 人が悪筆に頭を悩ませているというのに、朝からずっと戸が叩かれている。


 解読した爺ちゃんの遺書には“これからいろんな人が来るかもしれないが無闇に中に入れたり話を聞いたりするな“と書かれていた。

 だから必殺居留守の技を使っているというのに、まるで中にいることを知っているかのように間を空けて叩かれている。


 コンコンコンコンコンコン。


 しつこい。

 リュシュカは苛々したまま扉に向かって言う。


「今、それどころじゃないのでお引き取りください!」


 よし。

 改めて遺書に向き直る。

 リュシュカは前後の文脈や、ほかに書かれている文字と癖が似ているものを探し、首を捻りながら解読を続ける。


 コンコンコンコンコンコン。


 しつこすぎるだろ!

 たまりかねたリュシュカは立ち上がって扉を細く開けた。


「帰れってばもう……!」


 そして、初めてそこに立っていた男の顔を見た。

 年齢はリュシュカより少し上くらいだろうか。銀糸の髪に翡翠色の瞳の、美しい男だった。


 美しい、男だった。


 男はものすごく顔がよかった。


「……入って。話だけなら聞いてやる」


 辺境のど田舎で暮らしていると、普段まずお目にかかることのない浮世離れした美貌だ。ちょっとだけ眺めさせてもらおうと、ほいほい中に入れてしまったリュシュカを誰が責められようか。


「突然の訪問失礼する。俺はセシフィールの王子、クラングラン・ファデル・アントワープだ」


 王子。まあ、一見いかにも王子って感じで気品がある。けれど、人形のように整った顔に反して力強い生命エネルギーというか、妙な野性味も感じられる。不思議な雰囲気の男だ。

 いろんな人が訪ねてくる最初として、他国の王子はいささか唐突というか……何しに来たんだ。


「あ、わたしは……リュシュカ」


 名乗ると、クラングラン王子の目が一瞬だけ力を帯びた。


「よろしく。リュシュカ」


 リュシュカにはわからないが、王子が他国の礼儀っぽい独特な仕草で手を差し出してくるので握手をした。


「ご用件は?」


「あー、それなんだが……」


 言いづらそうに、モニョモニョとしている。


「──っ、俺と……」


「うん?」


「結婚する気はないか?」


 え? なんて?

 リュシュカは聞き間違いかと思ってもう一度顔を近づけた。


「俺と結婚しないか?」


 やっぱそれ言ってたんだ。何この人。


「あ! わたしたちもしかして、昔会ったことある?」


 これが初対面なら完全に詐欺の類だけれど、リュシュカが昔読んだ本の中には幼い頃一度だけ会った相手を忘れられなくて、しつこく拗らせて燻らせて求婚するお話もあった。

 そのパターンかもしれない! 会った記憶まるでないけど。


「初対面だ。結婚する気は?」


「はぁ……ないない。お帰りはあちら」


「そうか。わかった。ならいい」


 クラングラン王子はなぜかほっとしたように頷いた。振ったのはこちらのはずなのに癪に触る。


「それはそれとして……話は変わるが……」


「えっ、そこで話変わるの?」


「いくつか聞きたいことがある」


 だいぶインパクトのある話題だったし、年頃の娘としては色々気になるんだけど。そこ変えちゃうの? なんであからさまにほっとしてるの。もしかしてなんかの罰でやらされてたの?


「お前はここでずっと、賢人ゾマドと暮らしていたんだよな?」


「賢人て、何のこと? 爺ちゃんは頑固な大馬鹿野郎だよ」


「……知らないのか?」


「何を?」

 

 爺ちゃんは自分にとっては口うるさく、声がデカくてうるさい、筋トレのハアハアいう声もうるさい、やたらと元気で厳しいジジイでしかなく、わざわざ知ろうと思うには彼は毎日当たり前にそこにいた。

 猪を素手で倒せるくらい強いのだけは知っていたが、なぜ、こんな辺境にいたのか、若い頃は何をしていたのかも聞いたことがない。

 リュシュカは物心ついたときから一緒にいた相手が何者なのか、まったく知らないことにいまさら気づいた。


「……それから、ここにはよく人は来るのか?」


「こんな辺鄙なところによく来るわけないじゃん。ここ数年ここには誰も来てないよ」


 そう言うと、クラングランは「そうか……」と言って扉のほうを見た。さらに質問を続けてくる。


「……リュシュカ、お前は自分がエルヴァスカ王の落とし子だということは知っているのか?」


 自分ですらつい最近知ったことなのに、なぜ初対面のこの男が知っているのだ。ドキリとして思わずごまかす。


「い、いやあ……そんなこと、ないんじゃないかな」


「お前のその瞳の色、髪の色は王家にしか存在しないはずだ」


「いや、そ、しょんなの……これくらいたまたま偶然いたりするでしょ」


「……うーん、お前、そんなんでこれから大丈夫なのか?」


「い、いや! どっちみちあんたは関係ないから! 知ってる? あんた怪しさ満載だよ? 帰れ!」


 クラングランはまた少し、扉のほうを見て眉根を寄せた。思案してから言う。


「俺がここに来る途中、何組かの人間がここに向かっているのを追い越した。理由はわからないが、お前はすでに複数から狙われている。ここは危ない。もし、よければ……俺と一緒に来ればいい」


「え? えー?」


 プロポーズの時と違って今度ははっきりした口調だった。

 しかしいくら顔が良くても急に現れて求婚してきたよく知らない人間と、はいはーいと一緒に行くはずがない。


「急に来た知らない人についていっちゃいけないと思う」


 人をぱっと見の人相だけで判断してはいけない。いくら相手の顔が良くても。リュシュカにだってそれくらいの分別はある。


「俺は怪しい者じゃない」


「いや今現在既に怪しいし。不審者や詐欺師でない保証はまるでないじゃないか」


「うーん、まぁ、確かに……誰についていくか決めるのはお前だがな」


「でしょでしょ! ちゃんと選ばなきゃ。変な人についていくわけないよ! 帰れ帰れ!」


「まぁ、でも、俺が帰ったところでおそらく……」


 クラングランがすっと背後に注意を向ける。


「ほら見ろ。来たぞ」


「え?」


 近くに殺気があった。直後、ものすごい勢いで扉が蹴破られる。


「ふははは。いた。いたぞ。よし、やるぞ」


 うわあ、すごい。


 見るからにものすごい荒くれ者が三人押し入ってきた。


 なんだこれ。

 そこらへんにいる猪みたいなきったない風体の荒くれ者が……慌てているのか興奮しているのか、口元に泡がついている。

 手には山賊ナイフが握られている。こんなクソ田舎にそんな物騒なものを持ってなんの用が。


 よく知らない国の王子の次が猪みたいな輩。

 確かに今日になって矢継ぎ早にいろんな人が来ている。

 これが爺ちゃんの書いていたことなんだろうか。でも、この方たち、想像していたよりだいぶ野生的なんだけど。


 いやいや、人をぱっと見の人相だけで判断してはいけない。とりあえず、冷静に聞いてみる。


「ご、ご用件は?」


「あぁ?! しんねえよ! こっちはお前の目ん玉くり抜いて持っていけば金になるって聞いてるだけだ!」


「ひ、ひえぇ!」


 何この見たまんまの猪の化け物!

 いや、よく考えたら見た目以前にドア蹴破られていたんだった。言動は大事。こいつらは間違いなくやばい奴ら!

 リュシュカはびっくりして救いを求めるようにクラングランを見た。


「ね、ねぇ……あんな物騒なこと言ってる!」


「そうだな……」


「え、あれ? どこ行くの?」


 扉のほうに踵を返そうとしているクラングランに慌てて声をかける。


「帰れと言ったのはお前だろう。ほかの客も来たようだし、俺はこれで失礼する」


「えぇ? 女の子が殺されるの放置するととんでもなく後味が悪くない?」


「聞く限り、奴ら用があるのはお前の目玉だけだろ。それなら殺されはしないんじゃないか? どの道俺はからな」


「いやいや、このタイミングで? あまりに薄情じゃない?」


「ついさっき会ったばかりの俺に義理人情を期待するなよ」


 話している二人を見て、猪のような荒くれ者たちが囁き合う。


「親分……あいつ、どうしますか?」


「邪魔してこねえなら無視しろ」


「へい」


 リュシュカは「えー」と不満げな声を上げた。

 無視しなければ巻き込めたのに。


「お前らは扉と窓の前に立て! 俺が目玉をなるべく慎重に、丁寧に、綺麗にくりぬく!」


「ぎゃああ!」


 二つしかない大事な目玉をくりぬかれてはたまらない。それに、残念ながら綺麗にくりぬけるほど手先が器用に見えないのだ。

 リュシュカは大きなテーブルを倒して道を塞いだ。

 棚も倒して防壁にする。

 ここから脱出するためには窓か扉のあるほうに行かなければならない。しかし、そちらには荒くれ者の猪人その2がいて、その3が窓の前を塞いでいる。


 そうこうしているうちに猪人その1がこちらにのしのしと向かってきていた。せっかく作ったバリケードだったが、ぜんぜん効果があるように感じられない。


「く、来るな! こっち来るなあ!」


 とりあえず、目の前にあるものを手に取ってやたらめったらに投げつける。一秒でも長く足止めしたい。大事な目を守るために。


 猪人はリュシュカの無力さを悟ってかニヤニヤしている。


「暴れるなよ。大人しくしてないと綺麗にくり抜けないだろ」


「ぜ、絶対断るって! うわ来るな!」


 ドタンバタン、物が倒れる音が響き、埃が舞上がる。


 さっさと帰ったのかと思われたクラングランはまだ部屋にいた。倒れた棚に腰掛け、リュシュカが狭い屋内をチョロチョロと逃げまわるさまを眺めていた。


「なぁ、リュシュカ……」


「いま! 話しかけられても! それどころじゃないって、見てわかんない?!」


 脚を組み偉そうに座ったまま、クラングランが半笑いで言う。


「リュシュカ、俺と来るならば、守ってやる」


「く、あんたが信用できるかもわからないってのに……?」


「少なくとも俺は今すぐお前の目玉をくりぬこうとは思っていない」


「うう……」


 それは確かにそうだ。


「それにこいつらから逃げても、ここに向かう妙な連中はぞくぞく見たぞ。行く当てはあるのか?」


「……っ、わ、わかったよ! とりあえずあんたと一緒に行くよお! でも、わたしの目玉、一個でも欠けたらついていかないからね!」


 同じ得体の知れない人間ならば、今すぐ目玉をくりぬこうとしてくる乱暴な猪面のイノメンより、多少腹立つイケメンのほうがいいに決まっている。


「ひとまず交渉成立だな」


 クラングランは腰に差していた剣を抜く。そこからの動きは速かった。

 

「あぁあ?!」


 猪人1が唸りながら振り向いた時にはもう残りの二人は倒れていた。


「よし、リュシュカ、こっちに来い」


 リュシュカはテーブルを越えてクラングランのいるほうへと跳んだ。

 すぐに追いかけてきた猪人1をクラングランが鳩尾に剣の柄をねじ込んで気絶させる。


「や、やるじゃん、クラングラン」


「俺は毎日鍛錬している。こういう……昼間から酒ばっかり飲んで、時々弱い奴から小銭せしめて好き放題して怠惰に生きているような奴らなんぞにやられるか。行くぞ」


 こいつ、王子のくせにうちの爺ちゃんが言いそうなことを言ってる……。


「あ、待って、忘れ物!」


「時間がない。ひとつにしろ」


「わああっ! まだ荷造り終わってなかったのに! 最悪!」


 リュシュカは倒れている猪人1を踏んで奥の部屋に入ると、迷わず爺ちゃんの遺書だけを引っ掴んで懐に入れる。


「とりあえずあの山に入るぞ」


「あそこはわたしの庭! 任せて!」


 扉を出るとあたりには扁桃の桃色の花びらが静かな風で舞っている。クラングランと共に走り、山へ続く林道へと入った。



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