エルヴァスカ王の落とし子
村田天
第一章 落とし子でした
◇ プロローグ
リュシュカは驚愕していた。
爺ちゃんが酔っ払って畑で寝ているなと思っていたら、よく見ると死んでいたのだ。
もう百十二歳だから、常識的に考えればいつ逝ってもおかしくはなかったのだけれど、それは一般常識に当てはめた場合の話だ。
爺ちゃんは魔力持ちの特殊体質だし、そういった人間は二百くらいまで生きることもある。動きは二十代と同じくらい元気だった。
なにしろつい昨日までは毎日大酒飲んで大声で歌っていたし、朝は早くに起きて相当な距離を走り込み、日課のハードな鍛錬をしたあと爺ちゃんしか持てないどでかいサイズのクワをブンブン振っていたのだ。
もっと何かしら前兆とかがあるものだと思い込んでいた。普通の人間ならばあるんじゃなかろうか。いやでも爺ちゃん普通じゃないからな。
もうずっと死なないんじゃないかとすら思っていたのに。そのことに一番びっくりしていた。
リュシュカはまず巨漢の爺ちゃんを半日かけてなんとかかんとか埋葬した。これは小柄で華奢なリュシュカには、なかなかの大仕事だった。
そのあと山を一つ越え、たまに世話になっている離れた村に行って、村長に爺ちゃんの死を伝えた。
それだけやって家に戻ってからは体力の限界でしばらく倒れていた。
家は爺ちゃんの気配がなくて静かな以外はいつも通りだった。
突然のことすぎて、どうすればいいのかわからず、とりあえず爺ちゃんがいつも座っていたクソデカロッキンチェアで毛布をかぶる。
少しの間動けずにいたが、しばらくすると腹が鳴った。
どんなときでも、飯は食わなければならない。畑で獲ったそら豆をスープにして食べたら服が汚れた。洗濯もしなくてはならない。きちんと掃除しないと家はすぐ虫の死骸だらけになる。寝ないと、眠い。
そうこうしていると、はや一週間が経った。
もしかして土から蘇るかもしれないと一抹の期待も持っていたが、今のところその気配はない。ないと思うんだけど、もしかして本当に死んだんだろうか。そろそろ認めざるを得なくなってきた。
「あ! そうだ!」
そうだそうだ。そういえば爺ちゃんは生前『俺が死んでから読め!』とリュシュカに宛てた遺書を用意していたはすだ。
爺ちゃんの部屋に入るとそれはすぐに見つかった。
というか、あまりに無造作に机に置いてあった。小さめの本のように閉じてあるそれは表紙に『俺が死んでから読め!』とデカデカと記されている。とてもわかりやすい。こういうのは爺ちゃんのいいところだ。
表紙を開くとそこにはまず、【重要事項】と銘された衝撃の事実が記されていた。
まず、リュシュカは爺ちゃんとは血がつながっていない。
驚きはしたが、これに関しては言われてみればさほど違和感はない。爺ちゃんは人間離れしていた。あんなのと血がつながってるほうがおかしい。
でも、こんなこと書いてあるなら一応もう少し隠して置いてほしいんだけど。こっちも十六歳の多感な時期だし、生前うっかり見たら気まずいじゃないか。そんなことを思いながら次の行。
お前はエルヴァスカ王の落とし子だ。
一枚目はそれだけで、めくるとさらに【超重要事項】が出てきた。しかもここは紙の感じからして、他と比べて最近書かれたものだった。
「んん?」
リュシュカは遺書に顔を近づけた。
困った。
字が汚すぎてその先がしっかりと判読できない。
パラパラとめくってみる。元の字も汚いのにだんだん興が乗って激しくなる文字、飽きたのか適当になる部分。眠そうな文字。酔っ払っている文字。うろ覚えの人名。とにかくひどい。こんなひどい手紙見たことがない。読もうとするだけで脳が拒否反応を起こして眠気が来る。
一日かけてなんとか【超重要事項】とされる二頁だけ解読した。そこにはこんなことが書かれていた。
エルヴァスカの現王は苛烈で精力的な人間で、王家には十五人以上の側室と三十人以上の子がいる。
エルヴァスカの王位継承権は男、女、側室の子全てにあり、王の子は全員が王子であり、姫となる。
それでも複数いた場合の優先順位は正室の息子が高いとされていた。
しかし、半年前に内部で正室の托卵疑惑の騒動が起こった。姦通罪は証明はされなかったが、王はそこで王家にのみ伝わる『青や紫の光沢を帯びた特殊な構造色の黒髪』か、『金色の瞳』を持つ者にのみ、王位継承権を与えるよう制度の変更を宣言した。
これにより王室内の序列が大きく変わることとなった。そして、黒髪はまだ遺伝しやすかったが、金の目は発現しにくく、現在王家にいる王の子、その誰もが、金の瞳と黒い髪の両方は持っていない。なお、この変更は細部の調整が七人評議会で必要となり、まだ公式な発表はされていない。
リュシュカは思わず顔を上げて姿見を見る。
そこには金色の瞳の娘が写っていた。艶のある長い黒髪は鴉の羽のように、光の角度で紫や青の光沢が見える。
「んん?」
爺ちゃんの遺書の続きに必死で目を滑らす。
リュシュカ、これからいろんな人間がこの辺境の地を訪ねてくるかもしれない。その時は……その時は………………。
「汚すぎて読めない……!」
爺ちゃんの遺していた『遺書』というより『書物』のような分量のそれは、果てしなく悪筆で、とてもじゃないが読めない部分が多すぎた。
気が遠くなって一旦手紙を閉じた。
とりあえず、当面は誰か家に来ても絶対に入れなければいい。そしてこの先の解読は明日からにしよう。眠い。
***
リュシュカが辺境で寝こけていた頃、そこから少し離れた小国セシフィールでは王子が従者の老人と話していた。
「その娘は本当にエルヴァスカ王の落とし子なのか?」
「はい! 名前はリュシュカ。王族にのみ現れるとされる金色の瞳、特殊な色合いの黒髪を兼ね備え、エルヴァスカ王の若い頃の面差しともよく似た美形で、疑いようがないようです!」
エルヴァスカは怪物と称される精力的な現王が領地を広げ、植民地も含めると大陸の七割に支配が及ぶ大国だ。
「なんと彼女はあのゾマドが育てていたそうなんですよ」
「戦場の死神、賢人ゾマドか……死んだはずじゃなかったのか?」
賢人ゾマドは伝説の武闘派賢者だ。すでに大陸に魔力を持つ人間はほぼいない中、最後の魔術師として希少種であり、恐ろしく強力な魔術を使いこなす。しかし、ほとんどはそれを使うまでもなく鍛え抜かれたムキムキの肉体で近付く敵を粉砕し、死体に変えていく。
エルヴァスカの騎士団総帥だった彼は数々の功績を残し、十二年前、ちょうど百歳で亡くなった。確か国を上げて盛大な葬式も営まれていたはずだ。
「いえ、それが実は生きていて、特例後見人として、辺境でひっそりその娘を育てていたそうなんですよ」
「胡散臭すぎるだろ……」
「しかし、今度はそのゾマドが先日、つにい老衰で亡くなったという噂がまわっていまして」
「噂のひとり歩きがすごいな」
「おまけに、そのリュシュカという娘は巨体のムキムキで、魔力持ちの希少種、エルヴァスカ王の化物級の強さを受け継ぎゾマドから譲り受けた悪夢のような魔術を使いこなすという……」
「マルセル。いないぞ。そんな娘はこの世にいない」
「いえ! クラングラン様、このいるかいないかわからない娘を見つけるんです! エルヴァスカの特例後見人制度は特殊ですから! この機に乗じて引き込み我が国の盾にするチャンスです!」
「ははっ。何言ってるんだ。うちは関係ないだろ。こんな何もない小国にそう簡単に引き込めるわけがない」
クラングランはここ数年ずっと自国の未来を憂いている。祖父の代の遺産を父の代で食い潰している状況だ。このままでは自国は近い将来に泡となる。何かしら周辺諸国に立ち向かうためのすべを模索している最中だった。
しかしながら従者の言う夢物語は現実的でなく無謀で、この上なく阿呆らしい。
「クラングラン様……相変わらずお察しが悪い……!」
従者が呆れた顔で大袈裟にはぁ、とため息を吐き首を横に振る。
「ちゃんと聞いておりましたか? 落とし子は十六歳の女子なんですよ! あなたの、その無駄に美麗なお顔を活かすときがついに来たんです! 大丈夫です! クラングラン様は口はまったくお上手とはいえませんが、お顔だけはとにかく麗しいですから! 妙齢の女子なら見つめてニコッと笑えば向こうからついてきてくれるはずですよ! たぶらかして嫁にしてしまいましょう!」
「阿呆か。そんなのがうまくいくわけないだろ……」
「十六の女子ですよ! 女子の十六歳なんていったら人生で最もイケメンに弱い年齢ですから! クラングラン様なら、黙ってさえいれば絶対コロッと落ちます! 黙ってさえいれば! 黙っていてくださいね!」
「俺は今すぐお前を絞め落として黙らせたい気持ちでいっぱいだが……」
クラングランは考え込む。従者の無謀な夢物語を本気にしたわけではないが、胡散臭い噂の真偽は気になる。
「はぁ、まぁ、減るもんじゃなし、一応行ってみるかな……」
「では、すぐに準備致しますぞ!」
笑顔で両手を挙げた従者をクラングランは手のひらで制する。
「公式で……供をぞろぞろ引き連れて……その未確認生物を探して求婚に行けと? 本気か?」
「はい!」
クラングランは頭を抱えた。
国を上げて愚かさを披露したくはない。
「どうせ物見遊山だから俺一人で十分だ。だいたい供が一緒に来ると足が倍以上遅くなる」
クラングランは身軽だし、しょぼい衛兵に守ってもらうほど弱くない。
「しばらく俺は出る。道々連絡は入れる」
クラングランはそう言って旅立った。
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