クラングラン(2)
リュシュカはクラングランと共に山の中腹に潜んでいた。
「見ろ。ウヨウヨいるだろ」
人が通りやすい道はごく限られていて、そこをいくつかの集団がぽつぽつと移動している。ここからだと彼らの動きは一方的によく見えた。
「あれは全部、お前の家へと向かっている」
「ひええ、多くない?」
「あの紋章はエルヴァスカ王国騎士団のものだな。もうひとつの集団はわからない……足が遅いのはこの山に苦戦しているんだろうな」
「まぁ、この山はマトモに通れる道あんまりないからね。爺ちゃんが仕掛けた獣用の危ない罠もたくさんあるし」
「どおりで……狡猾で嫌な位置にばかりあった」
「わたしは全部知ってるから大丈夫だけど……クラングラン、かからなかったんだね」
「いや、ヤバい罠の近くにあった足引っ掛ける原始的で無意味なイタズラにかかった……」
「あ! はいはい! それわたしが作ったやつ!」
「お前か……」
クラングランは「そろそろ行くぞ」と言ってさっさと歩き出す。
リュシュカの家は小高い山脈に囲まれている。どこに抜けるにしても必ず山は越えなければならない。
今いる山にはそこそこ詳しかったが、通れない岩場も多いし、緑も整備されていないのでほとんどの道は通りにくい。
それでも、クラングランは迷いなく素速く進んでいく。
リュシュカはその背中を、ゼェハァいいながら追いかけていた。
「クラングラン、来る時どれくらいで来た?」
「四日だ」
へー……化物じゃん。
リュシュカの家はエルヴァスカの端っこにある。セシフィールからだと、正規の道を馬車を使って八日というところのはずだ。ほぼ眠らずに道とはいえないような道をものすごい速度で直進しなければ、絶対にその速度では着かない。
しかし、彼は崖や、ものすごく通りにくい道なき道を迷いなく使おうとすることが多く、リュシュカが無理だと判断した道はそのつど止めていた。
「クラングラン! そこは道とはいわないから行けない」
「……またか。なるべくほかの奴らに見つからずに最短で抜ける道を選んでるというのに」
「そりゃあ、あんたひとりなら蛇とか獣が通るような道とか見るからに危ない崖とか越えて行けるんだろうけどさ……」
クラングランの身体能力が図抜けているのは共に行動するようになってすぐにわかった。
リュシュカはこういう人外みたいな人間には慣れている。この輩は常人の限界値がわからないのではっきり教えてあげなくてはならない。
「教えとくと、こっちは人間だから普通の道しか通れないの」
「俺も人間だ」
「認めない。あんたは爺ちゃんと同類の化物だ……」
「あのゾマドと同類なんて光栄だな」
「あと教えておくと普通の人は休まないと倒れちゃうの! もう今日は終わり! 休むよ!」
「ふん」と鼻を鳴らしたクラングランはそれでもあたりを見まわし、野営にふさわしい場所を探し始める。人形のような顔は息も切らしていないし、汗ひとつかいていないようで、少し忌々しい。
***
ほどなくして陽が落ちる頃、リュシュカはパチパチと火の粉が爆ぜる焚き火を見ながらぼやいていた。
「うー、つっかれたぁ。足痛いしやってられぇん」
今日一日だけで足は傷だらけ。おかしな傾斜を登らされて腕も痛い。
辺境ののんびり暮らしから一転して人外に連れられて相当な速度で人外の国へ向かっている。その疲れは重い。
クラングランは「食料を調達してくるから少し待ってろ」と言い残してどこかへ行った。
調達って、こんな山の中に店なんてないし、そこらで兎でも絞めてくるんだろうか。
クラングランはほどなくして木皿を抱えて戻ってきた。
干しいちじくとパンと干し肉が載っている。さっき絞めたにしては、干し肉になるのがずいぶんと早い。
干し肉を手に取ると、皿にエルヴァスカ王国騎士団の印が刻まれているのが見えた。配給物をぬけぬけと盗ってきたのだろう。
「うわあ……爺ちゃんがやりそうなことを。やっぱ人外じゃん」
リュシュカは心底感心してこぼす。
「ていうか……こんなもん持って来れるってことは、結構近くにいるの?」
「エルヴァスカ騎士団は西下方にいる。野生動物のせいで怪我人が出たようで、手間取ってるようだったな」
「ああ、ここ猪とか、狼とか出るもんね……」
「大丈夫だ。ここで火を焚いても向こうからは見えない」
クラングランはリュシュカの正面に座った。そうして自分も小さなパンをかじり、木皿を焚き火にくべる。
「それにしても……お前はなぜあそこまで多くに追われてるんだ?」
「え、うーん……王になれるから?」
「確かにエルヴァスカは側室の子にも権利があるし、女王も認められているが……継承権がある奴なんてほかにもたくさんいるだろ」
クラングランが怪訝な顔を向けてくる。
「あのね、爺ちゃんが、手紙を遺してる。字がものすごく読みにくくて、まだぜんぜん読めてないんだけど……」
リュシュカは遺書にあった【超重要事項】のことを読み上げて教えた。
「なるほど、継承における優先性と序列が変わったのか、面倒なことになったな……」
「これって、金の目を持つわたしが一番継承順位が高いってことなのかな?」
クラングランは考えて言う。
「いや、そこまで単純ではないだろう……ただ、確かに金の瞳と両方を持つお前に優先性が高いと考える者はいるだろうな……」
「うん」
「加えて、お前はずっとゾマドが隠していたせいで口うるさい王妃やその関連の癒着も存在しない。こう言ってはなんだが、手垢のついていない存在なんだ。今、新たに後見人となりお前の生活を保証する代わりに政治的に利用したい奴らはたくさんいるんだろう」
つまりリュシュカは中途半端な権力を持つ野心的な人間がこぞって担ぎ上げ、
「……それにエルヴァスカ王家は歴史的に血生臭い暗殺抗争がおさかんだ。お前が邪魔になる可能性があるなら手っ取り早く消そうとする者が一部にいてもおかしくない」
「あの、猪みたいな人たちのこと?」
「さあな。あんな野蛮な奴らを使う王家の人間がいるとも思えないが」
しばらく無言で、食事を終わらせた。リュシュカは膝にのったパン屑を払って言う。
「さっき、わたしを利用したい奴はたくさんいるって言ってたけどさ……」
「ああ」
「……あんたも、わたしを利用するために来たんでしょ?」
クラングランはしばらく黙っていたが、やがて、ふうと息を吐いた。
「……そうだな。俺の国は小さく、消えかけだ」
クラングランの国であるセシフィールを、リュシュカはあまり知らない。わりと綺麗な国とは聞いているが、確かにサイズは小さい。影の薄い国なのだ。
「俺がお前をたぶらかして自国に連れて帰り、爆速で俺との婚姻を進める。国同士の誓約などなくともエルヴァスカ王の子が妃にいる国は近隣も不気味がってうかつに触れたくない。気軽に喧嘩を売られることはなくなる。それが自国が最短でお前を利用する方法だ」
「ずいぶん馬鹿正直にぶちまけたね」
「俺は口があまりうまくないからな……」
「え? デリカシーがなくてモテないってこと?」
「本気で言ってるのか? 俺がこの顔でモテないはずがないだろ」
「……本当正直で引くわあ」
「ただ、色ごとはあまり得意じゃないんだ」
わかる。わかるよ。口が上手くないのはものすごくよくわかる。けれど、言うと怒りそうだったから黙っていた。
なんにせよクラングランがどういう奴か少しわかった。
リュシュカは腹芸ができない。だから関わる相手も、内心を隠して行動しようとする大人よりは多少醜い欲望でも隠さずもらえたほうがよほどいい。
「あのね、あんたが正直に教えてくれたから言うよ。遺書には、成人前に爺ちゃんが死んで困ったことになったらエルヴァスカの七人評議会のひとり、ラチェスタを頼って、新しく後見人になってもらえって」
「そいつと面識はあるのか?」
「六歳くらいの時一度。でも、小さかったからそこまで覚えてないし……子供が苦手だったみたいで、ほとんど話はしなかったなあ」
ラチェスタは異例の若さで政治の中枢に上り詰めた天才だと聞いた。金色の髪がさらさらで長くて、女性的な容姿で物腰柔らかな、けれど気難しそうな人だった。
「そうか」
リュシュカは目を細めて口を尖らせ言う。
「うーん、でも、とりあえずわたしは今、あんたとあんたの国へ一緒に行こうと思ってる」
「なぜだ……?」
「ラチェスタの助けで得られる生活がわたしの望むものであるとは限らない。わたしは、エルヴァスカの王になんてなりたくないし。これからどうするかは自分で決めたい」
「だが、さっき会ったばかりの俺の国へ来る。それはそれで……いいのか?」
クラングランはまっすぐに聞いてくる。
その顔はやはり、自分の都合のためだけに無理にことを運ぼうとはしていないと思える。
「実は今はそれしか選択肢はないんだ。だってさ、ラチェスタのとこに行くとしても、あんたがそこまで送ってくれるわけじゃないんでしょ」
「そうだな。俺はお前が俺の国へ来る場合のみ、お前を守ってやる」
「うん、そしたらやっぱりそうしたほうがいい。今は誰が敵で、誰がわたしを殺そうとしていて、誰が利用しようとしてるのかもわかんないし。わたしがどう生きるのかは、爺ちゃんの遺書を全部読んだ上できちんと考えたい。その答えが出るまではわたしを守る者が必要だ」
「なるほど。ひとまず当面を生き延びる手段として俺を利用しようということだな」
「そうそう!」
クラングランは特に嫌な顔はせず、「なかなか賢明だ」と言って笑う。
「そういうわけなんだけど……とりあえず今日はもう寝る」
リュシュカは今日だけでだいぶ疲弊した。
爺ちゃんの遺書、少しでも読み進めたかったけど、そんな暇まったくなかったなあ。
リュシュカは横になってモゾモゾと体勢を変えていたが、半身を起こして言う。
「……枕欲しい」
クラングランが無言でバサリと投げてきた彼の外套を丸めて枕にするとすぐに眠りに落ちた。
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