隠し通路


 意識が浮上した時、じっとりと肌にまとわりつくような朝陽による熱気があった。


 チュイチュイ! ピュンピュン! ピーピー! ギーギー!


 頭上から甲高い鳥の声が混ざり合って爆音となって降ってくる。やかましいことこの上ない。


「んむ、爺ちゃん……?」


 鳥の声……いつもよりデカくない? てか天井壊れた?


 急に暑くなったなあ。完全に春……ていうかもはや初夏だなこれ。

 ぼんやりした頭で身を起こすが、そこはいつもの寝床ではなかった。

 近くにはむくつけき爺ちゃんではなく、美麗な男が涼しい顔をして座っている。


 半分くらい夢うつつで、目をこすりながら観察する。

 輪郭が、どの角度からでも綺麗に整っている。

 すごいなあ。こいつ。顔にちょっと土付いてるのに全然イケメンが損なわれていない。けれど、それより気になったことは……。


「……クラングラン。ちゃんと寝た?」


 夜中に何度か目が覚めた。見るたびに彼は石像のように火の前に座っていて、みじろぎひとつせず起きていた。もしかして寝てないのではと疑ってしまう。


「ああ、少し寝た」


「本当に? こんな可愛い女の子と二人きりだったから、緊張して寝れなかったんじゃない?」


 クラングランは生温かい笑みを浮かべ、深いため息をひとつ吐いた。


「………………そうだな」


 ものすごく馬鹿にされた。こんな男、心配して損した。


「起きたなら出発するぞ」


「クラングランさあ、今何歳?」


「十八だ」


「……ふうん」


「今、老けてるとか……」


「思ってない思ってない!」


 見た目も物腰も二十歳前後には見えるかもしれないが、少し大人びているだけで老けているというほどではない。

 あえて口には出さなかったけれど、そんなところに反応するのはじゅうぶんガキだ。リュシュカはそのことになぜか少し安心した。


 しかし、ガキくさいのはべつに歓迎できることではない。

 野営した場所を出て三分後には喧嘩が勃発していた。


「だからその道は人間には無理だって!」


「俺も人間だ」


「馬鹿! 嘘つき! 信じないよ!」


「ここ以外だとかなり遠まわりになる」


「傾斜が急すぎるんだって! こんなの落りるんじゃなくて落ちてるだけだよ! しかも降りたあとあの岩に張り付けって、無茶にも程がある!」


「大丈夫だ。このくらいの高さなら飛び降りても死にはしない」


「人間は落ちた時に打ちどころが悪ければ死ぬの!」


「軟弱だな……お前はあのゾマドに育てられたんだろう? 少しくらい体術は教わっていないのか?」


 普通の人間について教えていたのに、突然軟弱さに駄目出しを食らったリュシュカは小さく口を尖らせる。


「……教わってるよ。避けるのは得意だし。でも、わたし壊滅的に打撃センスがないから……体術苦手なんだ。途中で止めちゃった」


 爺ちゃんは非常用に最低限を教えてくれていたけれど、基本は逃げろと言われていたし、教わっているのも逃げるための戦術ばかりだった。リュシュカはわりと根性も体力もない。ついでにセンスもないと言われていた。


「いやでも魔術のほうは座学と形式、やり方だけ一通り最後まで教わってるんだよ!」


「お前が魔力持ちというのは、本当の話だったのか?」


 クラングランが顔色を変えた。


「あ、いやあ……でもわたし、コントロールがちょーぜつ下手で……爺ちゃんには絶対使うなって言われてて」


「コントロール?」


「たとえばあ」


 リュシュカは遠くに見える小さめの山をすっと指差す。


「カッとなった時に使うとあのくらいの山が一瞬で消し飛ぶから絶対やめろって……だからそっちも実践練習はしてなくて……」


 だから、一通り教わっていても使ったことは一度もない。

 ふと見ると、クラングランが片手で頭を抱えている。


「……その話は、誰が、どこまで知っていることだ?」


「え? わかんない。たぶん知ってる人なんてほとんどいないんじゃないかな」


「それでなくとも魔力持ちは遺伝もしないし、最早かなりの希少種だ。ゾマドが最後の賢者と言われていた」


「うん……」


「強大な力は、持つだけで脅しの兵器となる。脅威になるなら摘み取ろうとする者もいるし、懐柔して内に引き込みたい者もいるだろう」


「……えぇ、そっか! それなら隠しておくし、一生使えるようにならなくていいね!」


 それなら仕方ない。いやぁ仕方ないなぁ。

 体術は打撃センスゼロ、せっかくの魔力持ちなのに役立たず。そんな劣等感が軽やかに吹き飛ばされた。


 クラングランは、嬉しげにしているリュシュカをじっと見て、はぁとため息を吐く。


「お前自身はなんてことない能天気な奴なのに……人に狙われて利用される理由だけはたんまり持ってるようだな」


「あっはは。そこだけ聞くとすごいやっかいな身の上だね」


「実際そうなんだよ……そろそろ行くぞ。あそこが、無理なら別ルートを探す」


「え? 別ルート?」


 一番通りやすい太い道を使う気はまるでないらしい。そんなクラングランの探す別ルートには不安しか覚えない。


「ううん、仕方ない……抜け道を使おう」


「ん?」


「セシフィールのほうだと、絶対にルノイは通るよね? この先に爺ちゃんが数年かけて作った隠し通路があるはずなんだ。そこからなら最短でルノイとの国境付近の街に行ける」


「なぜもっと早くに言わなかった」


「爺ちゃんに誰にも言うなって言われてたから。クラングランが信用できるかもわかんないし……」


「いいのか?」


「もういーよ……確かこっち」


 大きなゴツゴツした岩が並んだ場所に出ると、リュシュカは山肌に並んだ岩を吟味する。


「印あった」


 リュシュカはその岩の背後にある山肌の下方を確認し、蔦と草を取り除けた。そうすると動物の寝ぐらのような穴が出てきた。中を覗き込む。


「入口はちょっと狭いけど、巨漢の爺ちゃんが四つ足で進めるくらいの大きさはあるらしいから」


「なら、使わせてもらおう」


「うん! よかったー」



 結論から言うと、ぜんぜんよくなかった。


 爺ちゃんの抜け穴は、岩と土が掘られている狭くて長いトンネルだ。


 そんなところを四つん這いでずっと進むとどうなるか。

 答え。ずっと同じ姿勢で背中は痛くなるし膝も痛い。


 抜け穴は思っていたよりずっと長い。あたりは土のようなこもった匂いが充満している。暗いし、通気孔はあるものの、ところどころ酸素も薄くて、リュシュカは何度も途中で力尽きそうになった。

 おまけに先を行くクラングランは超速でとっくに見えなくなっている。


 もう、なんでこんな目に……。

 リュシュカはクラングランという人外による罠を避けるために抜け穴に案内したが、よく考えなくとも、爺ちゃんもまた人外だったのだ。


 汗がボタボタ落ちてくる。

 思うさま愚痴を吐きたいところだったが、そうすると無駄に疲れるだけなことがわかっている。無駄な力はなるべく使ってはならない。

 途中でやすやすと抜けることもできない道を粛々と、四つん這いで進むしかない。


 リュシュカの頭にここまでの人生の走馬灯がかけ巡りはじめる。


 家の裏にあった木の実……熟したら食べようと楽しみにしてたのに……こんなところで……。


 爺ちゃんの顔が浮かび、雑に手招きしている幻影まで浮かんでくる。やばい。お迎えきた。


 何度も、もう終わらないんじゃないかと思った。このままでは隠し通路が終わる前にリュシュカの命が終わってしまう。


 半べそでなんとか抜けた頃には夕陽が落ちていた。けろりとした顔で先に座って待っていたクラングランが言う。


「……おつかれ」


「ほ、ほんとに……終わった。終わりがあったあ! よがっだぁ!」


 リュシュカはよよよと泣き崩れた。

 そこは山の中腹の開けた場所だった。すぐ下には、目的の街が見える。


「はー、クラングランでよかった。こんな地獄みたいな道、常人に案内してたら申し訳なくなってたよ」


「妙なとこだけ人への気遣いがあるんだな。感心する。それより見ろ。すごく綺麗だ」


 クラングランが眼下を見ながらぽつりと言うので隣に並ぶ。


 街の灯がぽつぽつとともっていて、確かにとても綺麗だった。


 クラングランはなりゆきで一緒に来た相手で、蓋を開ければ人外だわ話は通じないわでどうしようかと思っていたけれど。


 けれど、彼がこの景色を綺麗だと思って、教えてくれる人でよかった。


 リュシュカはそんなことを思って小さく息を吐いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る