日々修行(2)
その日もリュシュカはぜえぜえ言いながら
最初に教師としてついてくれた護衛騎士がリュシュカに騙されてサボらせてしまい、今は寡黙なわりに容赦なく物を言うスノウが教師役を担当していた。
彼は三馬鹿トリオのみならず、屋敷の護衛騎士たちの中でも十八歳と歳若く、小柄で童顔だが、最も腕が立つ。
最初の先生はゆっくり手合わせをして稽古をつけてくれていたが、スノウはリュシュカの動きをざっくり見て、木人を用意させた。
なので、スノウはだいたい近くで黙って座っているだけだ。「頭に五回」とか「腕に十回」とか雑な指導しかしないので、教えられている感じもしない。
こっちがゼェゼェいっているのに涼しい顔をして座っているだけなので無駄に腹も立つ。
「ぬおぉぉ〜!」
苛立ちを木人にぶつけるべく、勢いよく斬りかかる。
「へぶぉふ!」
リュシュカは目測を見誤り木人にベシッと激突し、跳ね飛ばされてひっくり返った。スノウが目を丸くして言う。
「……木人にやられてる人初めて見た」
「痛い……もうやだあ」
「リュシュカさぁ、木登りできるし、障害物越えたりもできるし、なんなら避けるのもうまいのに、攻撃だけ極端に下手だよね」
「これだけは昔からいくらやっても苦手なんだって! センスがないの!」
剣術、体術、武器をどんなものに変えても、リュシュカの打撃センスは壊滅的なものだった。
「人を攻撃するのにためらいが強すぎるんじゃないの? だから木人にしたんだけど……木人でも駄目みたいだね」
「だいたい、わたしは魔術のコントロールを教えてほしいって言ったんだけど!? なにこれ!」
「いや、肉体的に攻撃術を学ぶことで、魔術の際に人間の体の部位を狙う精度が上がることが狙いなんだってさ」
「それって……体術下手だと、魔術のコントロールも悪くて当然てこと?」
「……ラチェスタ様が言ってただけだし、そこまで強固な因果関係はあるのかは知んない」
「なんだよ! じゃあこんなのしなくていいじゃん!」
「そもそも魔力持ちはもうここ数年いないから、育てるだなんだってもなかなか明確な指針がないし……あの人真面目だから古い文献いっぱいさらって調べてくれてるみたいだよ」
その結果がこれなのか。
ラチェスタは自分を苦しめるために……頑張ってたくさん調べてくれてるのか。ありが……たくない。ぜんぜんありがたくない。
「やめよやめよ。無意味にもほどがある」
「俺に言われてもね。止めたいならラチェスタ様に言って」
「言ってやる……! こんな役に立たな……」
「リュシュカ」
スノウの視線の先見ると、仕事に行ったはずのラチェスタがこちらへ歩いていたので、リュシュカは急に大人しくなった。
まさか……見張りに来たのか? そう思って身構える。
「スノウ、今日の鍛錬は一時中断で。リュシュカをお借りします」
「ん? なに」
「リュシュカ、貴方に面会の申し込みがありました」
「面会?」
それ以上の説明はない。仕方ないので黙ってついていく。なぜか国の騎士団が屋敷の敷地内にたくさんいた。
ラチェスタはそのまま屋敷へと入っていく。
そうして、自分の執務室の前で足を止め、一度リュシュカのほうを向いた。
「いらしてるのはソロン殿下です。人目につくと面倒なので、ご足労願いました」
カチャリ、扉が開けられた。
部屋の中にただひとり座っていたのは穏やかそうな青年だ。
青や緑の光沢が目立つ黒髪で、灰色の瞳をしている。
「初めまして、リュシュカ。僕はソロン・デル・エルヴァスカ・ブルームだ」
フーディン王子も言っていたが、現在のエルヴァスカ王家の跡目争いの優力性は、内部ではすでに同い年の王子、ソロンとイオラスに完全に二分している。
ラチェスタから聞いた話だと、イオラスは王家の黒髪と紅玉の瞳を持つかなり好戦的な人間で、王の持つ残虐さと苛烈さの部分をかなり色濃く受け継いでいる。邪魔者を全て排除すれば確実に王座に就けると考える性格だそうだ。
一方今目の前にいるソロンは、評議会での承認を得るために裏で蜘蛛の巣のように人脈を張っていくタイプ。邪魔はなんでも壊していくイオラスと違って、邪魔な者もすべて取り込み、気づくと彼の計画の一部に組み込まれている、そんな計算高い人間らしい。
このまま生き残って“その時“が来れば、評議会の評価で決着することになる。そのため両者は水面下で派閥を広げている。
ただ、もちろんどちらにも与しない人間も多くいて、そういった人間がリュシュカを担ぎ上げ新勢力となるとまた状況が変わっていくことになる。
ラチェスタは立場上、その動きにかなり慎重にならざるを得ないだろう。
「ねえ、なんで外に国の騎士団いたの?」
「ソロン殿下は特例で国の騎士団の一部を私的に使える権限を持ってらっしゃるんですよ」
最初に裏山で見た王国騎士団、それからフムルの村付近にいたと聞いた王国騎士たちが頭をよぎる。
「……逃げてる時何度かエルヴァスカの騎士団見たんだけど、この人もわたしを捜してた?」
「ああ、それは私が彼に頼んだのですよ」
「なんで」
「別枠でこっそり探されて互いに邪魔になるならば、そのほうが早いと判断しました」
「えっと……ラチェスタは裏で、ソロンとつながってたの?」
ラチェスタとリュシュカが話すのを、ソロンは黙ってじっと見ている。
「私の立場は中立なので、つながっているというほどではありませんが、貴方への面会を許可できる程度には理性的な人間であると信用しております」
王位継承権があり、金の瞳を持つリュシュカを保護し、ラチェスタが後見人になる。
単純に見るとその手助けをする得はソロンにはない。しかし、ラチェスタがリュシュカを使って妙な動きさえしなければ、ラチェスタに恩が売れる。彼らはきっと笑顔でお互いの信頼を試し合うことで腹の中を探り合っている。
ソロンはぱっと見た感じ素朴な印象で、ともすれば影が薄い人物に見えそうだった。けれど、これがそんな見たまんまの朴訥な人のはずがない。なんとなく底知れない怖さがあった。
「少し庭でも歩かないか?」
ソロンにそう誘われて、ラチェスタの顔を見る。
「構いませんよ」
「それなら、行こうかな」
リュシュカはソロンの後に続き、屋敷の庭園のほうへと向かった。
青い空の下にゆるい風が吹いていて、開放感がある。
規則正しく刈り取られた芝の上をゆっくり歩きながらソロンは言う。
「血縁的には、僕は君の兄になるね」
そんな感じはしない。ソロンは顔立ちも母親似なのか、リュシュカとはまったく似ていない。そもそもリュシュカにとって血縁はさほどの意味を持たない。
「なんでわたしに会おうと思ったの?」
「ゾマドに育てられた王の子に、興味があったからかなあ」
リュシュカはため息を吐いた。
「爺ちゃんを少しでも知る人間は、みんなわたしの背後に爺ちゃんを見るんだよね……」
ソロンは黙って興味深そうな顔で聞いている。
その目は言葉のひとつひとつを拾われて、分析されているような感覚になる。ソロンは穏やかなのに、ずっと居心地の悪い視線を投げられていると感じていた。
「べつに嫌じゃない。誇らしいよ。でも、爺ちゃんはもういないんだよ」
ソロンはリュシュカをじっと見ている。見透かそうとしてくるような瞳に背中がうっすら寒くなった。
「それでも、自分の目で見てみたかったんだよ」
「あのさ……」
リュシュカは一番聞きたかったことを聞くための言葉を探そうとした。なかなか見つからず、瞬間、探しあぐねる。
「僕は特に、今は君を潰そうだとか利用しようだとかは思っていない。ラチェスタの庇護下に入った君をどうにかできるとも思っていないよ」
聞きたかった質問。それを訊く前にすばやく返された。
リュシュカは振り向いてソロンの顔を確認する。
彼はどこか底知れない目をしていたが、へらりと笑った。
「ソロンは……今」
「──君自身は僕をどう見る?」
唐突に感じられる言葉。
ただ、おそらくこのあと会話していたら三往復ののちに辿り着く場所に一足跳びで行ってそこから質問をされているような感覚だった。そこから彼がした質問の意図を探らなければならない。
ソロンは口数は多くないし一見穏やかに見えるが、きっと黙っている時には緻密な思考が組み上げられている。だから油断して会話すると足元を掬われそうな緊張感があった。
そうして、その時ようやく彼が自分に会いにきた理由がわかった。
リュシュカは慎重に答える。
「わたしはなんの協力をするつもりもないけれど、貴方の邪魔をする気はない。貴方は生まれながらの為政者だし……王に相応しいよ」
「なかなか意外で……興味深い返答だね」
「わりと正直に答えたってのに……」
本当は思ってもわざわざ言わないことだったが、この男が聞きたがっていたため、仕方なく吐き出したのだ。
「確かに、君はおべっかは苦手そうだもんね」
ソロンはまたへらりと笑う。他人を油断させるための笑みだとわかるので、見ていてもちっともリラックスできない。ほんの短い会話しかしていないのに、どっと疲れた。
「もう戻ろうよ。用は足りたでしょ」
「そうだね」
彼はリュシュカが少しでも邪魔や脅威になる要素がある人物かを、自分の目で確かめにきたのだ。だからずっと、返答そのものではなく、人間性を観察されていた。そしてその結果は少しの会話で十分得られていた。
屋敷に戻るとラチェスタが部屋の中で座って待っていた。
「兄妹水入らず、いかがでしたか?」
「うん。とても楽しかったよ」
ソロンが笑顔で答えて、リュシュカは眉根を寄せる。
ソロンは空気が読めないわけでもないし、言ったことに怒ったりもしない。それなのに、一緒にいてものすごく疲れる相手だった。
「また、会えるといいね」
ソロンが笑顔で言うそれに、ふいと顔を背ける。
「ラチェスタ、この人会話中に心を読んでくるから、もう会いたくない」
げっそりしながら言うとラチェスタは笑った。
ソロンまで笑いながら言う。
「残念ながら妹にはあまり好かれなかったようだけどね」
「いえ、リュシュカがまともに話をして帰ってきたんですから。てっきり途中で逃げるかと思っていました」
「あ、そうなんだ。なかなか光栄だね」
正直逃げたかった。
しかし、強制的に正面を向かされたあげく顔を固定されて話をさせられた感覚だ。これ以上はあまりお近づきになりたくない。
「……ねぇもう行っていい?」
そう言うと、ラチェスタが立ち上がる。
「スノウのところまで送りますよ」
「い、いやいや、ラチェスタ様はものすごくお忙しいでしょうし……」
この移動の合間にリュシュカが抜け出そうとするのを見越しての紳士的な申し出だ。
「いいえ。遠慮なんていらないんですよ。私は貴方の後見人なんですから」
ラチェスタは優しい笑みを浮かべた。
こんなに嫌な優しい笑顔見たことがない。
「遠慮はしてない」
「気が進まないなら手をつないで行ってあげましょうか?」
遠まわしに引っ張ってでも連行するぞって言われてる。
「それは遠慮しとく……」
結局ラチェスタの後ろを従順な飼い犬のようにトボトボとついて歩く。
リュシュカが戻った時、スノウは退屈だったのか、木人と戦っていた。
相手は木人だが、実戦で打ったあとに返されるであろう攻撃への対応も含まれる動きだとわかる。それは曲芸のようにも見えるくらいで、緻密で端正な印象だった。
リュシュカはラチェスタと共に、そこで彼の一連の動きが終わるのを待った。
見ていたらなんとなく、思い出してしまう。
振り返って汗を拭うスノウにラチェスタがようやく声をかける。
「スノウ、お待たせしました。残り時間は短いですが、引き続きお願いします」
「はい」
「では、私はこれで」
戻ろうとしたラチェスタを呼び止める。
「ねえ、ラチェスタ。クラングランはどうしてるかわかる?」
ここに来てからたびたび聞いていることだが、思い出すとまた確認したくなってしまう。
ラチェスタはリュシュカを見た。
「あの国は小国ゆえ、さほど重要視されていません。ですので情報があまり入ってきません」
「じゃあ生きてるかもわからないの?」
「いえ、さすがに小国といえども王子が死んだら情報はまわります」
「そうかあ……じゃあ死んでないし元気ってこと?」
「ですから、死んではいませんがお元気かどうかは存じ上げません」
毎回、ろくな回答はないというのに聞いてしまうリュシュカもリュシュカだが、ラチェスタも律儀に毎回きちんと似たような返答をよこしてくる。
ラチェスタは気休めもお愛想も言わない男だが、事実だけでもわかるのは助かる。
リュシュカは結局、ろくな挨拶もできないままクラングランと別れてしまった。
ラチェスタに後見人になってもらったおかげで様々な危険からは免れ、なんとなく落ち着くことはできた。けれど、こうなると彼とは会う機会がない。会う理由もない。あれが最後の別れだったのだと、今になってわかる。
けれど、生活していると、ふとした時にクラングランの呆れたような顔、笑った顔、心配そうな顔、そんなものが浮かんできて、リュシュカはそのたびに息が苦しくなってしまう。そうして、胸がざわざわと騒ぐ感覚にさいなまれるのだ。
クラングランはいつも優しかったし、優しさを隠そうとした。リュシュカを連れて自国へ向かうことに、ずっと罪悪感を滲ませていた。
リュシュカは彼に喜んでほしかったのに、いつもそれは噛み合わなかった。
──恩を返させてもらえないことが辛いこともありますよ。
そんなラチェスタの言葉を思い出す。
恩というようなものではない。けれど、彼は結局リュシュカに何も与えさせてくれなかった。
あの時なぜだか旅が終わる時のことなんて考えていなかった。
終わってしまえばクラングランとの旅はとても短く、限りなくはかない。
ラチェスタの背中を見送って、振り返るとスノウがすぐ後ろにいた。
「リュシュカ……クラングランて、誰?」
リュシュカは空を向き、じっと考えてから答える。
「だいじな友達」
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