海の見える街(1)


 海沿いの街は独特な開放感がある。

 潮風は心地よく、眩しい光を反射した海は青い。ゼルツィニは大きな街で、出店も多く賑わっていた。


「わー、こんな街で暮らせたら素敵だろうねえ」


「お前は田舎者気質なんだな」


「……クラングランは都心で華やかに散れ」


「……いや、俺の国もまぁ、どこに行ってものどかな田舎なもんだからな。べつに珍しくもない」


「観光で別の国から来ている旅人も多いし、ここならそう目立たなそうだね!」


 リュシュカの呑気な言葉に、クラングランは眉根を寄せて首を横に振る。


「いや、ルノイも……どこに行っても意外と道行く人に見られるな。お前の目は隠しようもなく目立つ」


「んなこと言われたって……ていうかほとんどの人はわたしじゃなくて、あんたの顔を見てるんだよ」


「まぁ、それも自覚している」


 確かに見られてはいたが、ほとんどはうっとりした女性の視線なのでそこまで気にしなくていい気がした。


「この街で二日は休む。クラングランも病み上がりだし、わたしもだいぶ疲れてるから、譲らないよ」

「……わかった」


「なんか食べようよ。海鮮がおいしいみたいだよ」

「……そうだな」


「よし……店を……探すぞ!」


 せっかくだからおいしいところがいいと主張したリュシュカが店を吟味して歩き、クラングランはさほどのやる気もなさそうにあとをついてきていた。


 リュシュカは看板や店構えを入念に見て、おいしい店を吟味していった。どこもおいしそうだ。しかし空腹のため、想像だけでヨダレが出そうになってきたので、そろそろ決めたい。

 うむ。あそこにしようかな。そう思ってひとつの店に近づいた。


「うわあ! ねぇ、あなた、すごく大きいね!」


「お、おい」


 クラングランが慌てた声を出したのは、リュシュカがそこに立っていた男に突然声をかけたからだ。


 少し後ろにいたクラングランが急いで隣に来て小声で言う。


「おい、不用意に人に話しかけるな」


「いや、でも、爺ちゃんより大きい人なんて初めて見たから……」


 そう言うと、クラングランもリュシュカが話しかけた男を見た。質素な服を着ている男の顔はまだわずかにあどけなさが残っていて、おそらく二人と近い年代だろう。

 大きい。本当に大きな男だった。ほいほいと話しかけてしまった田舎者のリュシュカを誰が責められようか。


 クラングランも素直に感心したようにこぼす。


「確かに……これだけガタイがいいのは……うちの騎士団にもいないな」


「すごいよね! 爺ちゃんも言ってた! でかさは何よりも勝るって」


「雑な格言だな」


 クラングランがすがめた目でこぼしたあと、男に向き直る。

 男はずっと黙って戸惑った顔をしている。


「すまない。連れが無礼をした」

「無礼なんてしてないよ! 褒めたんだもん」


「…………」


 目の前でわちゃわちゃ話していたが、相変わらずなんの反応もない。二人がきょとんと見つめると、男は気づいたようにハッとしたあと、曖昧な笑みをこぼす。


「ああ、お、俺は……」


 男の腹がぐぐうと鳴る。体に似合った清々しいまでの音量に、リュシュカの口元がほわんと緩んだ。クラングランも笑って言う。


「俺たちはこれから食事をするんだが、もしよかったら一緒にどうだ?」


「え、ええ?」


「そうだねそうしようー! ご馳走するよ!」


「あ、ああ……」


 男は曖昧に頷き、二人は男を連れて近くの海鮮料理店へと入店した。


「俺はクラン、こっちはリュシーだ」


 クラングランはしれっと崩した名を名乗った。

 まぁ、誰かしらに追われてる最中でもあるから、本名なんて名乗らないに越したことはないかもしれないけど。クラングランが用心深いのかリュシュカが能天気すぎるのか。

 それでもこの状況でクラングランが初対面の相手を食事に誘うなんて結構気に入ったのだろうと思う。リュシュカにもなんとなくわかる。大きいのになぜだかオドオドしているこの男には警戒心を奪う優しい魅力があった。


 男はじっとこちらを見つめていたが、うつむいてからぽつりとこぼす。


「クシャド……クシャド・ウォルド」


「いい名前だね! あれ……エルヴァスカの出身、かな」


 まじまじと顔を見て言ったリュシュカに男はびくりと揺れる。


「おい、詮索するな」


 クラングランがそう言ったのはこちらが詮索されたくないからだ。


「いいじゃん。わたしなんて名字ないんだよ」


「お、俺も……」

「ん?」


「俺も本当は、名字はない。さっきのは、嘘だ」


 二人は小さく息を呑んだ。リュシュカの場合は後見人制度の弊害だが、名字がない人間の多くは幼くして親に捨てられた子供だからだ。不用意な詮索はやはりよろしくなかった。


 少し反省の気持ちが湧いたが、テーブルにたくさんの料理が届き始めると、そんな気持ちはどこかに飛んでいってしまう。


 リュシュカがはしゃぎ、クラングランがそれに釘を刺している中、クシャドは大きな体に似合わぬ器用さで、黙って届いた料理を丁寧に取り分けてくれていた。強引に誘ってしまったが、特段嫌がってる様子でもなく、こちらを気遣ってくれている。その所作は丁寧で、やはり好ましく思ってしまう。


「クラングラン、もしかしてイカ食べられないの?」


 クラングランは取り分けられたものの中でイカのお腹にチーズを詰めたものだけ、口をつけていなかった。


「……食べられる」


「好き嫌いがあるなんて子供だねえ」

「だから食えると言ってるだろう」


「じゃあこれもあげようか?」


 そう言ってまだ残っていた大皿のイカを指す。


「……遠慮する。お前が食べたいだろう」


「んんんー?」


 リュシュカはクラングランの顔を覗き込む。


「ふ」と息の音が聞こえて、見るとクシャドが静かに口元を押さえて震えながら笑っていた。

 それを見たクラングランが小さく驚いたようにぽかんとしたあと、ふっと微笑む。リュシュカも嬉しくなった。


「クシャドも食べてる?」

「ああ。うまい……」


「だよねえ! ここは店構えからして絶対おいしいと思ったんだよ!」


「田舎者のくせにどこでそんなの覚えたんだ?」


「えへん。昔爺ちゃんに、おいしい店の選び方も教わっていたんだ」


「それはゾ……お前の爺ちゃんの手柄じゃないのか?」


「わたしが教わってわたしが判断したんだからわたしの功績だもん。クラン、イカ食べないの?」


「うるさい。今食う」 


 店員が新たに皿を持ってきてどどんと置き、去っていく。皿には真っ赤なスパイスが振り掛けられた大きめのエビが三匹載っていた。


「それはなんだ?」


「これ? これはこの辺りで取れるエビにスパイスをかけたものだって。はいどーぞ」


 クラングランと、クシャドの分も取り分けて小皿で渡す。


 じいっと見てるとクラングランは口に入れる寸前でフォークを止めた。


「リュシー……もう少し詳しい説明をしてくれ」


「これ? これはこの辺りでとれるエビにスパイスをかけたもので…………激辛が売りの料理だって」


 ゲフ、ゲフン、と咳き込む音が聞こえ、見るとクシャドが苦しんでいた。


「バ、バカリュシュカ!」


「わ、わあ、これやっぱそんなに辛いの? 水飲む?」


 クシャドがこくこくと頷き、急いで彼に水を渡す。


「リュシー」


 クラングランが呼ぶのでそちらを向くと、フォークに刺したエビが口に入れられた。

 まだ心構えはできていなかったが、口の中に入ってしまったので、そのまま咀嚼する。


 最初は海老のぷりっとした歯応えがあり、そのあとで舌にものすごいものが広がっていく。


「……………………めごぎゅッ?!」


 その瞬間、リュシュカは白目を剥いて意識を宇宙へと飛ばした。


 こんなに辛いものを、食べたことがない。


 これは最早辛いじゃない。

 辛いは、痛いなのだ。


 リュシュカの意識は流動体となり、しばらく辛味の宇宙をただよっていた。周りには爺ちゃんの顔の星だとか、裏山にあるオリーブの実の形の星がある。

 しかし、遠くのひとつの星が瞬き、そこに向かって吸い込まれるように落ちていく。リュシュカの今いる惑星、雲を抜け大陸、街、そして海鮮料理店の屋根が見えてくる。


「……っは。死んだかと思った」


 意識が戻ってきた。目の前ではクラングランとクシャドが息を呑んで見ている。クラングランが無言で水を渡すのでひったくってガブガブ飲む。辛さで顔がほかほかに熱い。


「辛い辛い! 宇宙を感じる辛さ!」


 クシャドが小さく吹き出した。

 リュシュカは呼吸を整え、おもむろにフォークでクラングランのエビを刺す。


「はい! クラン!」

「俺は遠慮しておく」


「駄目だよ! ひとり一尾! 残したらもったいないもん」

「……わかった。なら代わりに俺のイカを食え」


 クラングランはリュシュカの差し出したエビにぱくりと食らいつく。それから平然と咀嚼して、飲み込んだ。


 リュシュカは目を見開いてクシャドと顔を見合わせた。クシャドも目を丸くしている。


「味覚と痛覚どうなってんの?」


「確かに辛い……が、イカに比べれば……こんなもの……」


「いやいや辛くないイカと比べるのおかしいでしょ!? ていうかやっぱ苦手だったんじゃん! イカ!」


 クラングランは涼しい顔で水を飲む。

 そのあともう一杯。

 あれ? 三杯目行くんだ。まだ飲んでる……。


 クシャドが笑いそうな顔で口元を押さえながら小さく指でさして教えてくれる。


「え? あっ」


 クラングランはこめかみに脂汗が浮いているし、コップを持つ手も、よく見ると膝も小さく震えている。


 しかし、顔だけは涼しい。辛味を知らぬ男だった。

 一国の王子というものは、こうまでして辛さを人に見せてはならないものなんだろうか。


 たまらず、クシャドと顔を見合わせて吹き出した。


「なっ……お前ら……!」


「だって、痩せ我慢が過ぎるよ!」


 結局クラングランも釣られたように笑った。しばらく全員で笑い続ける。辛みのせいなのか笑いすぎなのか、クシャドは涙まで出ていた。


 クシャドはあまりしゃべらなかったが、ちょっとしたことで笑うので、食事を終えた頃にはすっかり緩くて親密な空気になっていた。


「クシャド、俺たちはこの街にはあと二日いる。もしまた会えたら会おう」


 そこまで会話という会話はしなかったのに、クラングランはクシャドが気に入ったようだった。旅に出てからも常に警戒心強く人と接していたクラングランのそんな様子は見ていて新鮮だし、嬉しい。


 宿に向かう道中で二人で話す。


「クラングラン、妙に気に入ってたね」


「ああ、朴訥だが、悪意の感じられない男だな。あれほどでかくはないが、故郷に似た奴がいるんだ」


「…………そっかあ」


 ほんの一瞬だけれど、また寂しくなる。けれど、すぐに取り直すように顔を上げた。


「国に帰ったら、お前にも会わせたいな」


「………………うん」


 クラングランに、寂しくなったことがバレた。

 そんなにわかりやすかったろうか。




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