淑女教育(2)


 リュシュカはラチェスタに連れられて馬車に揺られていた。若干のおめかし、とまではいかないが外向けの小綺麗な格好もさせられている。


「どこに行くの?」


「私と同じ七人評議会の一員、ゲオルギオスの家です」


「うん? 誰それ。なんで?」


「貴方のことをラクシャの街で探していたのは彼です」


「ああ、あの高い報奨金につられて三馬鹿が見切り発車でわたしを捕まえた時の……元締め?」


「はい。彼は元は現王の亡命した王弟おうていの派閥に属していたのでソロン、イオラスの両派どちらにも属しておりません。彼は貴方の後見人になることで今は形を変えてなくなった評議会内にある……を再度…………して…………する…………」


 やばい。興味なさすぎて途中から言葉の意味がまったく入ってこなくなった。


「……えーと、つまり? なんでわたしを捕まえようとしてたの?」


「……平たくいうと次に傀儡とする相手を探していたんですね」


「ふうん」


 それで、無事ラチェスタに取られたわけか。

 なんにしても爺ちゃんが勧めてなかったんだから信用はならない。


「私が特例後見人についてからも貴方とどうしても会いたいと再三おっしゃっていて、しつこいので一度だけ会わせてさしあげることにしたんです」


「へー……わたし、どうすればいいの?」


「貴方はいつも通りにしてればいいですよ」


「いいの? 淑女のふりとかもしなくていい?」


「ええ、今回はいつも通りでお願いします。そうすればすぐに諦めてくれるでしょう」


 それどういう意味……。


 やがて、馬車が止まる。降りるとそこにはラチェスタの屋敷にひけをとらない大豪邸があった。

 ただ、リュシュカの感想では、ラチェスタの家のほうが断然、無駄なく洗練されていて好きだ。

 その屋敷は豪華ではあるのだけれど、豪華であることをことさら見せつけるような造りだった。


 そしてその感想は中に入っても変わらなかった。

 大理石の床。金ピカの甲冑。謎の裸婦像。やたらと大きな花。正面には足を組んで座る男のどでかい肖像画がある。


「この肖像画は家主?」


「……そうですね。それはおそらく……ゲオルギオスを描かせたものでしょう」


 向こうから金ピカの持ち主と思われる大柄な中年男性が供をつけて歩いてきた。

 リュシュカはもう一度肖像画を見てから男を確認する。

 あの肖像画……いくらなんでも美化し過ぎじゃないのか。足の長さも腰周りも頭の大きさも、違い過ぎて別人だ。


 ゲオルギオスは気取った表情で言う。


「ラチェスタ、リュシュカ。よく来てくれたね。今日は自分の家のようにくつろいでいってくれ」


 見た目は大柄で、ずんぐりした中年男性なのだが、本人の所作や話す時の表情は肖像画にいる気障な若い男性のそれだった。多分脳内ではああなんだろう。小綺麗にしているし、美に気を遣っている感じはすごくある。しかし逆にそれがわずかにリュシュカの嫌悪感を生んでいるので、美というものは難しい。


「リュシュカです」


「君が……うんうん。金色の瞳に濡羽色の黒髪。まさしく王の子だな。素晴らしいよ」


 ゲオルギオスが近づくと、むせかえるような香水の匂いがむわっと鼻をついた。ぎゅっと握られたその手はなんだかねとっとしていて、毛深い。

 眉が異様に細く整えられ、ほどほどに濃い造作のその顔を数秒じっと見つめる。


「こんなところではなんだ。応接室に来るといい。年代物の酒を開けよう」


「私はこのあとも仕事がありますので、お酒はご遠慮します」


 ラチェスタがあっさりと誘いを跳ね除ける。


「そうかい? 残念だなぁ」


 ゲオルギオスの案内で応接室に向かう。

 涼しい顔で歩くラチェスタにそっと顔を近づけ、小声で言う。


「……見るからにヒヒジジィだね」


 ラチェスタは予期していなかったのか、うっかり吹き出しかけて、咳をしてごまかしていた。


 立派な応接室に通され、ソファに腰掛けるとゲオルギオスが訊いてくる。


「リュシュカ、ラチェスタのところの暮らしはどうだ? 不満はないか?」


「ないかなぁ」


 不満はいくらでもあるけれど、このヒヒジジィに相談したいとはまったく思わない。


「ずっと君に会わせてくれるように言ってたんだよ。この屋敷はどうだ? なに、私はゾマドとも知らない仲じゃない。君はここに住んでもいいんだぞ」


 ゲオルギオスは軽い調子で率直に勧誘してくる。


 リュシュカは「はぁ」とかなんとか適当に返した。


「ラチェスタ……君は彼女を政治とは無関係な場所に置くと公言しているようだが、彼女は王の血をひく王家にとって大事な人間だ。その決断は軽率ではないかな?」


「王はゾマドに彼女の全てを委任し、今は私にそれが託されました。よってこれは王の意志でもあります」


 やがて、飲み物が運ばれてきて、気がつくとラチェスタとゲオルギオスは話し込んでいた。


 もちろんリュシュカを懐柔してそこからラチェスタを説得させることは手段のひとつとしてあるが、結局のところ現在のリュシュカに自分の処遇を決める権利はひとつとしてない。

 特例後見人の変更に必要なのもラチェスタの承諾だ。

 こういう面倒な勧誘を代わりに捌いてもらえるのはとても助かる。

 しかし、爺ちゃんなら「しつけぇな。失せろ」で済む話が、生真面目なラチェスタだとそうもいかない。

 ゲオルギオスもラチェスタもくどくどお互いの持つ目的や理由、損得や信条を述べ合い、話が長くなっている。


 最初こそ普通に座っていたリュシュカの姿勢は時間が経つごとにだらしなく崩れていく。今は背もたれに向かって頬をつけていた。いつも通りでいいのだから構いはしないだろう。


 ……これ、来た意味あんの?


 我慢の限界を迎えたリュシュカは立ち上がった。


「ねえ、屋敷を見てきてもいい?」


「すまないね、君には退屈させてしまったかな? 構わないよ」


「うん、あと、ダンスの練習ってのは?」


「ああ、そうだった。練習相手を用意してある」


 ゲオルギオスが使用人に何事か言うと、ひとりの男性が現れた。二十歳前後だろうか。銀糸の髪に翡翠の瞳を持つ美しい男性だった。


「フィオティスだ。フィオティス、リュシュカに屋敷を案内して。それからダンスの練習相手に」


「はい」


 リュシュカは、フィオティスに連れられて応接室を出た。

 フィオティスは扉の外に出ると、立ち止まってにこっと笑う。


「こんにちは。リュシュカ」


「こ、こんにちは……」


 フィオティスは挨拶をしてから目を丸くして黙り込む。


「……なにか?」


「ごめん、あまりに可愛らしい人だから驚いていた」


 そう言ってフィオティスはふふ、と笑う。

 リュシュカは生まれてこの方そんな対応をされたことがなかったので、恥ずかしくて困惑した。無駄に緊張を覚えて構えてしまう。


 長い廊下を歩いている時、すぐ隣を歩くフィオティスをちらりと見上げた。

 誰なんだろう。使用人にしてはいいものを着ているし、ヒヒジジィの身内でもないだろう。

 それに、この人の髪の色、目の色はクラングランのものと同じだ。身長も同じくらいかもしれない。


「夜会に向けてダンスの練習をしているんだって?」


「……うんそう」


「ふふ。本番で君のような可愛らしい人と踊る男に嫉妬してしまうな」


「はは……」


 フィオティスは軽口を叩きながら広い部屋に案内した。これなら確かに練習も十分できそうだ。中にはピアノもあって、演奏者がいた。


「はじめようか。どれくらい覚えてる?」


「ええとね……」


 リュシュカもほどほどに真面目に取り組むことにした。進行具合と、勉強中のダンスの種類を伝え、覚えていることを真剣に反芻する。


「右足出して……左足……で、ターン」


 ブツブツ言っていたリュシュカが顔を上げ、構えた。


「よし、やろう!」


 フィオティスが演奏者に片手で合図を出すと、曲が始まった。


 しかし、練習が行われたのはほんの短い時間だった。

 無意識にフィオティスと距離を取ろうとしたリュシュカの足がもつれた。

 後ろに倒れそうになったリュシュカをフィオティスは支える。翡翠色の瞳に覗き込まれ、一瞬息が止まった。

 フィオティスはくすりと微笑んでリュシュカの耳に顔を寄せ、ささやくように言う。


「大丈夫?」


「ひゃ……」


 耳に息がかかり、ぞわぞわっとした嫌な感覚に声を上げてしまった。最悪。変な声出た。頭がカーッと熱くなる。

 とっさに離れようと身を捩る。けれど、さほど鍛えていないような男でも、がっちりと抱かれてしまうと小柄なリュシュカは容易く動くことができない。


 そのまま、フィオティスにさらに抱き寄せられる。

 首筋に唇がそっと当てられた。

 


   ***



 数時間後、リュシュカは応接室にひょこっと顔を覗かせた。


「あ、あの……ラチェスタ、ちょっと来て」

「どうしました? 同行していた彼は?」


「えっと……ごめんなさい」

「何があったんですか」


「ダンスの練習中に、フィオティスの股間をうっかり蹴り上げてしまって……びっくりして謝って逃げたら金ピカの甲冑のひとつに思い切り激突して、それが倒れて……バラバラになった」


 ゲオルギオスがラチェスタの背後から来て目を丸くしたが、ひきつった笑顔で言う。


「いっ、いや、いいんだよ。それくらい、よくあることだよ」


 ラチェスタはゲオルギオスを見てからリュシュカに視線を戻す。


「リュシュカ、他には?」


「えっ?」


 ゲオルギオスが声を上げた。


「えーっと……いろいろあって……壁に飾ってあった絵に大きな穴を開けてしまった……」


「な、な、な……」


 ゲオルギオスが口をぱくぱくさせている。


「ごめん、あとゲオルギオスの寝室も荒らしてだいぶ壊した……」


 ラチェスタは満足げに頷いた。


「ゲオルギオス、本当に彼女は王に相応しいと思いますか?」


「…………い、いや、それは、まだ若いからね。しっかりと後方支援する人間さえいれば……」


「私の屋敷は今修繕箇所が五つありますが……貴方に彼女を管理できますか?」


 ラチェスタはなぜか誇らしげに言い放った。


「…………ぐっ」

「諦めたらどうです?」


 ゲオルギオスは苦々しい顔をしていたが、頷かない。


「あとこれなんだけど」


 リュシュカはラチェスタに小さな箱を渡した。


「これは……? なんですか?」


「な……っ、そ、それは……返せっ!」


 ゲオルギオスが背後で血相を変え叫び声を上げた。


 リュシュカは続けて言う。


「ラチェスタ。ゲオルギオスは違法な薬物を製造して、少なくとも三カ国に流している。これはその証拠」

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