ひとり旅


 クラングランが半年後に王になるなら、今のうちに会っておきたい。急がなければならない気がしていた。

 出てしまえば、もっと早くにこうするべきだったという想いがどんどん膨らんでいっている。


 夜会で会った彼はもうすでに、リュシュカの知る彼とはどことなく違っていて、胸に小さな違和感をことりと落としていった。

 そうして遠くから聞こえてくる躍進を聞くごとに、彼が変わっていくのを感じていた。

 急がなければならない。彼はリュシュカが友達であったことを、『過去』にしようとしている。そんな焦燥感に苛まれていた。


 クラングランのそれはもしかしたら意図した変化ではなく、自然な成長でしかないのかもしれない。けれど、どちらであったとしても、このまま時間が経てば経つほど彼がリュシュカから遠くにいってしまうのは確実だった。


 以前は彼の胸のまんなかにいつもそっと置かれていた、誰にも触らせない純粋な部分、それはきっともう、どんどん奥に追いやられて擦り減っていっているだろう。


 彼が、リュシュカの知る彼自身を完全に捨て去ってしまう前に会いたかった。

 リュシュカ同様、クラングランにも立場がある。

 けれど、そういうものを外した、ただの“クラングラン“に、もう一度だけでも会いたい。


 もし、リュシュカの知る彼がすでに死んでしまっているならば、その生きた死体をこの目できちんと見なければならない。

 そうしなければ、リュシュカはきっとずっと彼に囚われたままだ。



 リュシュカは山道を走り抜け、爺ちゃんの隠し通路を目指した。

 それは一年前と変わらずにそこにあった。入口を覆う草や蔦を取り除け、中を覗き込む。

 またあの暗くて疲れる道中が待ち構えているわけだが、二度目なのでまだ余裕がある。ためらいなく穴倉に潜った。


 薄暗い通路を無心で這って行く。暗闇の先にクラングランが先を行く背中が見えるような気がして、必死で汗だくになりながらそれを追いかけた。


 そうして集中して行くと、前回の苦労が嘘のように、すんなりと出口へとたどりつけた。汗を拭って洞窟を這い出す。


 抜けた先は前回と同じ、夕方だった。

 リュシュカは眩しい沈みかけの夕陽に目を細め、眼下を眺める。

 クラングランが、ここからの景色が綺麗だと言ったことを、それを言った彼の横顔を思い出していた。


   ***


 隠し通路を抜けて下山してそのままルノイの国境を越えたリュシュカは、そのあと二日ほど、ほとんど寝る間も惜しんで歩き通した。


「つかれたなあ……」


 リュシュカはようやく入った安宿の寝台に身を沈め、独りごちていた。

 こんなことなら素直にラチェスタに頼んで公式に面会を申し込み、セシフィールへの馬車を出してもらえばよかったかもしれない。そう思ってしまう程度には疲れていた。


 でも、ラチェスタがそれをたやすく了承するとは思えなかったし、それに、それだとクラングランは絶対ちゃんと話してはくれない。やはり、こうするよりなかった。


 幸い今回は旅の準備も万全で出てこれているし、ラチェスタという後見人がいるのでむやみに追われることがない。

 それでもまあ、当のラチェスタに知られれば追われることにはなるので、目元は念のためずっとフードで隠していた。


 ルノイを抜けるにはリュシュカの足だともうあと一日半はかかる。

 リュシュカが三馬鹿にうっかり捕まったラクシャの街にも、クシャドと会った、海の近くのゼルツィニの街にも寄りたかったが、さすがに時間がかかり過ぎる。

 今回は普通に直進して間にある別の小さな国をひとつ越えていくのが早いだろう。おそらく、クラングランも最初に辺境に来た時はそうしていたはずだ。


 だから通った道は全然違うものだったけれど、それでも、リュシュカはクラングランとの道行を思い出して進んでいた。


 人に見つかりにくい道。反対に人目はあるけれど、乱暴はできない道。正規の道ではない、けれど、リュシュカでもギリギリ通れる荒れた道。


 クラングランはいつもひょいっと通っていた。

 そうして振り返ってこちらを注意深くじっと見ていた。

 それからだんだん、自然に手を差し出してくれるようになった。そんなひとつひとつを思い出しながら行く。


 途中珍しい露店もあったし、大道芸人もいたけれど、ひとりで楽しむ気にはなれない。今は早く彼に会いたくて気持ちがせいている。

 幸いなことにラチェスタのところで鍛え直していたおかげで、以前より疲れずに移動できている感覚があった。ペース配分もしっかりできている。

 だいぶ脱走しやすくなっている。そんなことでラチェスタの修行の成果を実感するという皮肉な結果になった。


 もしかしたら自分は結構成長できているのかもしれない。

 結局まだ一度しかできていないけれど、魔術の実践練習も小さな自信にはなっている。


 女子のひとり旅は妙な輩に絡まれたらなかなか危険だし、ラチェスタに頼んでもっと練習しておいてもよかったかもしれない。

 リュシュカの練習はどちらかというとそのままだと大量殺戮してしまうのを、被害を小さく、殺さずに、というのを目指しているのだから、できるにこしたことはない。このままじゃ何かあっても気軽に使えないので、せっかく魔力があってもぜんぜん便利じゃない。


 本来は爺ちゃんみたいに、体をムキムキに鍛えるほうが健全かもしれない。でも、爺ちゃんは男だし、そもそも体の大きさからしてすでに違いすぎる。


 そんなことを考えながら街路を歩いていると、弾けるような声が聞こえてきた。


「泥棒!」


「誰か! 捕まえて!」


 リュシュカの脇を鞄を抱えた男がものすごい速さで駆けていく。どん、とぶつかられてリュシュカはよろけた。


 ちょうどいい。魔術の実践練習をやってみよう。

 リュシュカは手のひらを軽く前に出して頭の中でブツブツ唱える。


 落ち着いて、心を静かに。

 あの泥棒だけを。殺さずに足止めする。

 あの泥棒だけを狙う。集中する。


 あれ、でもどんどん行っちゃうし、焦るなあ。

 急がなきゃ。あれ泥棒なわけだし。

 でも泥棒とはいえ破裂させたら嫌だもんな。

 大怪我しない程度に、ほとほどに。

 集中。焦る。やらなきゃ。え? 足速いな。早くやらなきゃ。


 ──どん、と破裂音がして、泥棒が通ったすぐ近くに植っていた樹木が弾けるように爆発した。


「……なんでぇ!?」


 駄目だ。まだぜんぜんコントロールできるようになっていない。


 幸い、木の爆発に驚いて泥棒が足を止め、あとから追いかけていた人間に捕まっていた。


 結果的にはよし! できたら次は木を爆発させないようにしたいね!

 リュシュカは大急ぎでその場からスタコラ逃げ出した。


 ルノイの国境を越えるとすぐに乗合馬車が出ていたので、そこからしばらくは乗り継いで移動した。

 緑の退屈な風景が流れていく中、リュシュカは仮眠をとった。


 何度か目が覚めて、そのたびにクラングランの夢を見ていた気がする。

 うっすら覚醒して思うことは、毎回同じだ。

 もうあと何日かしたら、クラングランに会える、早く会いたい。


 けれど、クラングランが以前と変わってしまっていたら、もしかしたら拒絶されるかもしれない。そんな不安もあった。ひとりきりの移動時間はいろんなことを無駄に考えてしまう。


 ただ、リュシュカは周りを騙すようにしてこんなところまで来てしまった。もう後にはひけない。たとえラチェスタを怒らせて、捨てられるとしても行こうと決めたのだから。

 行った先で傷つくことになったとしても、全部、自分の目で確かめ、受け止めなければいけないのだ。


 そうして辺境の家を出てから六日後、リュシュカはそれなりの速度でセシフィールに入国した。


 クラングランと目指した旅でも結局入ることは叶わなかったその国は、リュシュカにとって初めての場所だった。

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