第28話 ご指名入りました。

 

 リィナが休暇をもらった翌日、ユリウスは第二妃ベアトリスにお茶を誘われたのだ。チェス好きのベアトリスは対局する口実にユリウスをお茶に誘うことが多い。その際には必ずと言っていいほど息子のフィリップも同席するのだが、その日は珍しく彼の姿がなかった。


 チェス盤を挟んで座ったユリウスは、クイーンとビジョップがいない彼女の布陣を見ていると、唐突にベアトリスはこう言ったのだ。


「ユリウス」

「はい」

「わたくしの心は今、深い海底に沈んでいる」

「……はい?」


 黒いナイトを進めようとしていたユリウスは、駒を握ったまま顔を上げる。


「つまり、ベアトリス様は悲しみにくれていらっしゃると……?」

「ああ、そうだ。聞いてくれるか、ユリウス」

「私でよければ」


 ユリウスがにっこりと笑って答えると、ベアトリスは満足気に頷いてこう口にした。


「わたくし、娘が欲しい」

「………………?」


 ユリウスは彼女の意図が図りかねず、ますます困惑する。ゆっくりとナイトを置くと、ユリウスは言った。


「ベアトリス様には、すでにヒルデガルドがいるではありませんか?」

「違うのだ、ユリウス。義理の娘が欲しいんだ。エリーゼのような、かわいい、義理の、娘が!」


 ベアトリス様は乱暴にルークを置いた。カッと鋭い音を立てて置かれたせいで、一瞬駒が浮いたような気がした。


「あの子はルーヴェンには勿体ないほどのいい娘じゃないか! わたくしは、あの女にだけは嫉妬などするものかと常々心掛けてきたが、初めて嫉妬したぞ! わたくしは! 羨ましい!」

「………………」


 第一妃の息子、ルーヴェンには昨年結婚した妻がいる。名をエリーゼといい、ルーヴェンが惚れ込んで婚約した。彼女は侯爵家の生まれだったが、領地にこれといって特徴がない。初めはそのことに第一妃は難色を示していたが、エリーゼは祝福を二つ有していた。


 一つは他国の言語を瞬時に理解できる能力。もう一つは他国の言語を話せる能力である。


 祝福が二つも与えられ、さらには多言語を操れるとなれば第一妃は鼻高々だ。社交の場ではエリーゼを連れて自慢をしている時もある。


 しかし、ベアトリスが祝福くらいで第一妃を羨ましがるとは思えない。


「もしかして、エリーゼ嬢と……」

「対局したさ! なんだあれは⁉ ハンデなしで対局したのは久しぶりだぞ!」

「ああ……やはり……」


 エリーゼは物腰柔らかで頭がいい。ベアトリスがハンデなしで対局したとなると、相当な腕前だろう。


「あの犠牲も問わない駒の運びには惚れ惚れした! しかも、対局するたびに成長しおる! 打てば響くとはまさにこのこと! それに加えて品行方正ときた! あんなのが世にいることが奇跡だぞ!」

「…………そういう娘をフィリップ兄上に見繕って差し上げればよろしいのでは?」


 フィリップにはまだ婚約者がいない。別に縁談がないわけではないが、彼の魅了体質に問題があった。彼の祝福は異性を惹きつける力があるが、真の恐ろしさは、彼を独占しようという気持ちまで植え付けてしまうこと。今は祝福の制御ができているが、フィリップが社交デビューした日、魅了にやられた淑女達が会場で大乱闘を繰り広げてしまったほどだ。

 そのせいでフィリップの婚約者探しは慎重にならざるを得なかった。


 娘が欲しいならベアトリスが婚約者を見つけてくれば、まるく収まるはず。彼女は顔が広く、チェス仲間もいる。そういった女性を探すのは簡単だろう。

 ベアトリスは嘆息を漏らしたあと、力なく首を横に振った。


「あのシスコンはもうだめだ」


 フィリップはヒルデガルドを目に入れても痛くないほどに溺愛している。妹離れができなければ、結婚なんてほど遠いだろう。


「では、セオドアに…………」

「何を言っている。まだ祝福も分かっていないセオドアに婚約者をつけるわけにはいかないだろう!」


 フィリップの末弟、セオドアに押し付けようしたが、即座に否定されてしまう。

 ユリウスはため息交じりに駒を進めた。しかし置いた途端、彼女はすぐに次の一手を指してしまい、再びユリウスは次の手に悩む。


「そこでわたくしは考えた」

「はい?」

「わたくしの大親友の息子であるユリウスに、可愛い娘を連れてこさせればいいと」

「………………は?」


 思わず素が出てしまい、盤面から顔を上げた。


「今なんと?」

「わたくしの大親友の息子はわたくしの息子のようなもの。ユリウス、婚約者を探してきなさい」


 ──何を言っているんだ、この妃は。


「いやいや、ベアトリス様。こんな忌み子の私に期待するなんて……」

「先日、バルロード候のご令嬢があの女のお茶会で嘆いていたらしいぞ? ユリウスが振り向いてくれない。どうしたらいいって」

「………………へぇ?」


 ユリウスは駒を動かした。あと三手ほどで彼女のキングを追いつめられる。


「あの女は、お前のことを能無し分際で選り好みをしていると憤慨していたなぁ。陛下も息子の意思を尊重したいのとあの女の癇癪の板挟みにあって、心労がたまっている」

「…………」

「ユリウス」

「はい」

「チェックだ」

「あ……」


 いつの間にかベアトリスの駒がキングの傍に迫ってきていたらしい。ベアトリスとの会話で気づかなかった。


「ユリウス」

「はい……」

「次の舞踏会でエスコート相手を連れてきなさい。ただし、アイリーンはだめだ。あれはヒルデガルドのお守りを頼みたいからな」


 ベアトリスは陛下から預かってきたであろう一通の封筒をユリウスの前に置いて、にっこりと笑った。


 ◇


「というわけだ。頼む、リィナ。私を助けてくれ……」


 ひどく追いつめられたユリウスは、あろうことかリィナに頭を下げた。


「えぇ……ええ? どういうことです……?」


 リィナはユリウス達のように言葉の裏を読み取る力はない。ガジェットに助けを求めると彼は言った。


「ベアトリス様は『第一妃がバルロード候爵令嬢と結婚するように全力で圧力をかけてくるぞ。陛下にこれ以上迷惑をかけるな。自分で女を探して逃げろ。あわよくば私好みの娘を捕まえてこい』と、そう言っているんですよ」

「はえぇ……」


 それはかなりの無茶ぶりだ。しかし、バルロード候爵令嬢からすれば、押しても引いても相手にされず、年齢も年齢だ。相当焦れているのだろう。ユリウスに婚約者がいない理由は知らないが、なぜベアトリスがそこまで干渉してくるのかも謎だ。


「殿下はベアトリス様と親しい間柄なんですか?」

「私の母上と仲が良かったんだ。母上亡き後、第一妃や外部からの圧力から守ってくれたのも彼女だ。ベアトリス様は陛下が大好きだからな……『陛下に甘えてばかりではなく、自分でもどうにかしろ』と言いたいんだろう。しかし、彼女の後ろ盾がなければ、今回のエスコート相手にバルロード候爵令嬢を押し当てられてしまう。そうなれば、周囲に婚約しますと宣言しているようなものだ」


 ユリウスが差し出してきたのは、バルロード候爵家からきた熱烈な手紙。まがりにも相手は侯爵家だ。それなりの理由がなければ断れないだろう。


「断るにも代わりの相手となる女性がいない。いや、相手がいたら、そもそも、こんなことにはなってなかった……」

「…………あ、アイリーン様のご友人はどうですか?」


 彼女は伯爵令嬢だ。熱くなると手が負えないところはあるものの、性格は悪くない。友達も多そうだ。しかし、ユリウスは首を横に振る。


「アイリーンの友人はすでに把握済みだ。婚約していない女性は爵位が足りない」

「足りない?」

「旧家でもない限り伯爵位以下の貴族は王族の相手として相応しくない。少なくともバルロード候爵家とタメを張る相手でないと……」

「その理論からすると、私は論外では……?」


 そもそもリィナは平民だ。アイリーンの知人でだめなら、貴族ですらないリィナはだめだろう。


「問題ない。貴族達はリィナの顔を知らない。適当に言い繕っておくさ」

「でも私、作法とか全然!」

「問題ない。みだりに触ってきたと言って相手の足の小指を的確に踏み抜くアイリーンと比べればマシだ」

「いや、でも私は見栄えしませんよ! 平凡顔だし! アイリーン様みたいに女性らしい体つきもしてないし! それにほら! やっぱり生まれ持った品性とか、風格とか、身分って必要じゃないですか! よく分からないですけど!」


 リィナがそう言うと、ユリウスはいつもの笑みを浮かべた。


「身分も可愛いも作れる。何も問題はない」

「その発言が大問題ですけど⁉」

「リィナ」


 ユリウスは、少し間を開けてから口を開く。


「舞踏会に出る食事。食べたくないかい?」

「食べます!」


 こうしてリィナの淑女教育が再開された。

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