五章 バクシン王女、ヒルデガルド

第19話 バクシン王女、ヒルデガルド

 

「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああっ!」

「やってやりましたわ~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」


 草木も眠る真夜中。第三王女が住まう白百合の塔でその不協和音は響いた。

 第三王女、ヒルデガルドは掴み取った戦利品を高く掲げる。


「わたくしを討ち取れるものなら、討ち取ってごらんなさい! この、ベアトリス第二妃が長女、ヒルデガルドは逃げも隠れもいたしませんわ~~~~~~~~~っ! おーほっほっほっほっほ~~~~~~~~!」


 少女の高笑いと近衛騎士達の騒がしい足音が王宮中に響き渡るのだった。


 ◇


「で、なぜ私も第三王女の下へ…………?」


 アイリーンに叩き起こされたリィナは、重い瞼を擦りながら王宮の廊下を歩いていた。

 前にはユリウス、ガジェットと護衛の見知らぬ近衛騎士。その後ろについて歩くのはアイリーンとリィナだ。

 まだ陽も昇らぬ時間だというのに、周囲はやけに騒がしい。騎士達が張り詰めた顔であちこち動き回っており、ただならぬことが起きたのだとリィナにも分かった。

 しかし、なぜユリウスや自分達が本殿へ向かう必要があるのだろう。


「つべこべ言わず、黙ってついてらっしゃい」


 アイリーンはそれだけいうと、いつになくキビキビとした動きで前を歩く彼らについていく。リィナ達が着いた場所は、白百合の塔と呼ばれる場所だ。


(そういえば、ある程度の年齢になると、王子と王女ごとに住まいを与えられるんだっけ?)


 第一王子は薔薇の塔、第二王子はリンドウの塔といったように、花の名前を冠している。


(たしか白百合の塔は……第三王女のヒルデガルド様よね?)


 塔の入り口で近衛騎士がユリウスに敬礼する。

 そして、近衛騎士に室内へ案内された時だった。


「ヒルダぁ~~~~~~~~~っ! お前が無事でよかったよぉ~~~~~~~~っ!」


 鼻をすする音とともに聞こえてきたのはフィリップの情けない声だった。

 やれやれといった風に肩をすくめ、ユリウスは声が聞こえてきた室内へと足を踏み入れた。


「フィリップ兄上、声が外まで聞こえてきましたよ?」


 中では涙と鼻水と垂らしながら、少女に抱き着くフィリップの姿があった。抱き着かれているのは、猫のようなまん丸な目をした少女だった。


「お兄様! 放してくださいませ! 人前でしてよ! って、なぜユリウス兄様がいらっしゃるの! わたくし、アイリーンをお呼びしたのですが⁉ 野郎がずかずかと女性の部屋に入るのは不躾ですわ!」


 寝巻の上にガウンを羽織り、なぜか拳を強く握っている少女は、ユリウスの姿を見てぎゃんぎゃんと吠える。

 彼女の侍女達は主からフィリップを引き離そうとしていたせいで、こちらに気付かなかったようだ。


「夜分遅くに申し訳ないね、ヒルデガルド。さすがに騒ぎがあった宮殿で侍女一人を向かわせるわけにはいかなくてね」


 ユリウスはそういうと、アイリーンに目配せする。


「ヒルデガルド様、遅ればせながらアイリーン参上いたしました」


 アイリーンがそう言うと、彼女は吊り上げていた目をぱぁっと輝かせた。


「アイリーン! 待っていましてよ! わたくし、貴方の教えどおり己の力であの賊めを返り討ちにいたしましたの!」


 彼女、ヒルデガルドはずっと握りっぱなしの手を前に突き出した。


「そして、こちらがその戦利品ですわ~~~~っ!」


 彼女の手に握られていたのは、髪の毛だった。それも一本や二本ではない。一目では数え切れない量の束だった。

 それを見たアイリーンは「まぁ!」と声を上げた。


「さすが王女殿下! ベアトリス様に負けず劣らずの勇ましさ! このアイリーン、感服いたしまいたわ! これではアイリーンはお役御免ですわね」

「何を言うの、アイリーン! これはお母様のような女性になる第一歩に過ぎません。わたくし、もっと貴方の教えを乞いたくってよ!」

「王女殿下!」

「アイリーン!」

「ちょっと、ちょっと~~~~~~~~~~っ! これ以上、ヒルダが暴力的になるのはオレ反対~~~~~~~~~~っ!」


 ヒルデガルドに抱き着いていたフィリップが二人の会話に割って入った。

 ユリウスもそれには同感と大きく頷いており、一人状況を呑み込めないリィナがその場で立ち尽くしていた。


(なに、これ? どういう状況なの……?)


 話から推測するに白百合の塔に侵入した賊がいたのだろう。そして、ヒルデガルド自らの力で返り討ちにしたと。


(え、王女の手で賊を? 本気で言ってます?)

「こほん。それで? 犯人は捕まったの?」


 ユリウスがそう尋ねると、ヒルデガルドが悩まし気にため息をついた。


「いいえ。わたくしができたのは、髪を引きちぎる程度で賊はあっという間に逃げてしまいましたの。誠に遺憾ですわ~……」

「いや、引きちぎるのもなかなかすごいことだよ、ヒルダ……って、血が出るじゃん!」


 フィリップは髪を握っている手から血が出ていることに気付いて、彼女の手を取った。


「ほら、ヒルダ。その汚いものをさっさと放して」

「それがお兄様。初めて獲った戦利品が嬉しすぎたのか、握った拳が開きませんの」


 言われてみれば、彼女は握った拳は力み過ぎたのか真っ白になっている。ユリウスはそれを見て、頭を掻いた。


「興奮しすぎだ……おまけに震えているじゃないか」

「武者震いでしてよ!」

「ヒルダ。そういうのは、いいからね~。ごめんね、誰かリラックスできる香か何か焚いてくれる? あと、手当てできるものもお願い~」


 フィリップがそう伝えると侍女達が慌てて、その場を離れていく。あまり統率が取れていないのか、リィナから見ても侍女達の動きはまごついている。


「カミラ、精油と香は左から二番目の棚の上から三番目ですわ。それからシェリル、包帯と傷薬は蝶番の棚の中です。ミランダ! あなたは殿下達にお茶をお出しして!」


 ユリウスの侍女であるはずのアイリーンがてきぱきと指示を飛ばし、彼女達はそれに従って動き出す。

 それを不安げに見ていたアイリーンがリィナに言った。


「リィナ、ミランダを手伝ってくださる? 彼女は悩み過ぎる性格だからユリウス殿下とフィリップ殿下にお出しするお茶を延々と悩むかもしれないわ」

「わかりました」


 言われたとおりにミランダと呼ばれた少女の後ろについていく。彼女は緩く癖のあるショートヘアに小柄な体格。ちょこちょことした動きはどことなくリスのように見える。

 やかんに水を入れ、火をかけようとする彼女にリィナは話しかけた。


「あ、あの……」

「はひぃ⁉」


 悲鳴にも似た返事をする彼女に、リィナは苦笑する。


「アイリーン様より手伝いを申し付けられました。私、リィナと申します」

「み、ミランダ……です……」


 消え去りそうな声で自己紹介をすると、ミランダは小さく震えながら頭を下げた。


「アイリーン様と同僚ということは……とても優秀……ご、ごめんなさい! ユリウス殿下の侍女様に仕事を手伝わせるなんて! ろくすっぽ仕事ができなくてごめんなさい!」

「あ、いいんです! 私は最近入った下っ端ですので、どうぞこき使ってください! あなたの方が先輩になるわけですし!」

「ひぃ! 恐れ多い! ど、どうぞ椅子におかけください!」

「いや、なんでそんな怯えてるんですか⁉ 本当にいいですから!」


 リィナは怯える彼女を宥めると、ミランダはようやく落ち着いてやかんに火をかけた。


「ごめんなさい。結局火をつけるところまで手伝っていただいて……」

「いいんですよ。ところで、白百合の塔で何があったんですか?」


 そして茶葉を選びながらリィナは尋ねると、ミランダはぽつぽつと白百合の塔の状況を話してくれた。

 この白百合の塔の主、ヒルデガルドは現在第一妃に狙われている。第一妃の本命は第五王子だが、まだ幼い弟は第二妃ベアトリスの下にいたため、ヒルデガルドで憂さ晴らしをしているのだ。


 第一妃とはいえ、王女であるヒルデガルドを害そうとしていることがばれれば、重罪だ。そこで第一妃は刺客を放ち、数々の嫌がらせを仕掛けている。


 時にはクローゼットのドレスをすべて泥まみれにし、時にはカーペットに大きなシミを作らせ、食事には虫を混ぜるという陰湿な行為を繰り返していた。生母であるベアトリスは『強くたくましく育て。何事も自分でできることは自分で解決するよう頭を働かせろ』と言って、静観している。


 侍女達はどんどん辞めていき、ヒルデガルドの乳母もぎっくり腰で療養中のため、今は新人の侍女達しか残っていない。そこでベアトリスがアイリーンを呼び立て、家庭教師ついでに侍女達の教育を施すように命じた。彼女達にとってアイリーンは大先輩であり、鬼教官だった。


 アイリーンのおかげでヒルデガルドは勇ましく育ち、そして侍女達はそれなりにたくましくなった。

 が、とうとう白百合の塔に密偵がやってきたのである。ヒルデガルドを狙うのは何も第一妃だけではない。彼女の生母、ベアトリスは武芸に秀でており、社交界のみならず各方面で有名人だった。おかげで無自覚に色んな所に喧嘩を売っていることがしばしばある。母親の恨みつらみをヒルデガルドに向けられていたのだ。おまけにヒルデガルドも祝福の能力が判明していないのである。


「白百合の塔に密偵の侵入を許してしまいました……なんて不甲斐ない」

「密偵……本当に密偵だったんですか? 陰ながら王女殿下をお守りする親衛隊とかではなく?」

「どっちにしても、密偵のようなものではないですか! アイリーン様の指導のおかげでヒルデガルド殿下が撃退したようですが、安心はできません……ああ、どうしましょう」


 彼女は泣きながら茶葉が入った缶を握りしめる。


「落ち着いてください。王女殿下が無事だったんです。これから警戒を高めていけば、同じようなことは起きないはずです。まずは茶葉を選びましょ? 私、紅茶に疎いのですが、どんなものがあるんですか?」


 気を紛らわせるために、並べられた紅茶缶を見つめる。前世の自分は紅茶にそれほど興味がなかった。飲んでもフルーツティーくらいだろう。ミランダは並べられた缶を見つめながら言った。


「この時間に紅茶はどうかと思うので……ハーブティーにしようかと……」

「ハーブ? ミントとかですか?」

「いえ……カモミールです……カモミールは甘くていい香りだし、リラックス効果があるので」


 彼女はそういうとカモミールが入った缶を見せてくれる。花がらを乾燥させたもので甘い林檎のような香りはリィナの心を大きく揺さぶった。


「すごい、いい匂い!」

「ええ。殿下は気丈に振舞っておいでですが、とても繊細な方なのです。なのでこういったリラックス効果のあるお茶や、精油を揃えているんです」

「きじょう……」


 ミランダの言葉にリィナは思わず言葉を繰り返してしまう。


(あれはどう見ても楽しんでいるように見えるんだけど……)


 アイリーンの教育も助長させているようにも見える。フィリップの言う通り、これ以上彼女が暴力的になったら王女としてどうなのだろう。


「リィナさん、変わった匂いをしていますね……?」


 ふいにミランダにそう話しかけられ、リィナはぎょっとする。


「え、変わった匂いですか?」


 リィナは自分のお仕着せの匂いを嗅いだ。ちゃんと寝る前に入浴を済ませているし、お仕着せも定期的に洗濯している。身だしなみはアイリーンによくチェックされているので気を付けているつもりだった。


「こう……色んな匂いが混ざってます。甘い食べ物……かぼちゃ?」

「え⁉ なんでわかるんですか⁉」


 実はシャルマがみんなに内緒でかぼちゃのミニパイを焼いてくれたのだ。シャルマがおやつを用意してくれるのはよくあることなのだが、今回のミニパイは特別も特別。

 なんと、ユリウス含め、アイリーンとガジェットもかぼちゃパイが好きなのだ。シャルマの知り合いが譲ってくれたものらしく、季節外れというのもあって小ぶり。みんなで食べる量にはならず、シャルマはリィナにだけこっそりくれたのだ。


「実は私、祝福のおかげで鼻がいいんです。近くにいる人の匂いをかぎ分けられます。ただ、最近はちょっと鼻の調子が悪いんですけど……」

「す、すごい! あ、でも殿下達には、かぼちゃのことは内緒にしてください! こっそり食べてたのを知られたら、怒られちゃうので!」


 ユリウスは食べたいものを優先してくれると言っていたが、主人の好物を内緒で食べたとなればリィナも気まずい。ミランダはそれを聞いて、クスクスと声を押さえて笑った。

 ちょうどよく、やかんのお湯が沸いたらしくリィナとミランダはカップを出してお茶の準備をする。

 紅茶のポットとカップをカートに乗せて、ユリウス達が待つ部屋へ移動した。


「お待たせいたしました」


 ハーブティーを出して、殿下達がそれを飲むとヒルデガルドも落ち着いてきたのだろう。

 強く握っていた手がゆっくり開き、手からばらばらと髪の毛が落ちた。

 ユリウスはヒルデガルドの手についた髪の毛を数本採取し、ガジェットに手渡した。


「ん~? ユリウス、その髪の毛どうするの~?」


 フィリップが怪訝な顔で尋ね、ユリウスは胡散臭い笑みで応じた。


「もしかしたら、犯人探しの手がかりになるかもしれないでしょう?」


 リィナは彼が言わんとしていることが分かり、ため息をつきそうになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る