第16話 毒見と過去話2


 珍しく彼は直球な感情を口にし、リィナは耳を疑ってしまう。


「え?」

「ほら、殿下ってお腹の裏はすごい真っ黒だし、横暴だし、人使い荒いし、殿下に会ったばかりの頃、意地の悪い権力者ってあーいう人のことを言うのかって思いました」


 彼は遠い目をしながらさらに語る。


「オレは器用貧乏ってやつで、やらせればなんでもできるからって、本当に何でもやらされました。料理、ナイフ投げ、ロープ術、綱渡り、剣術、格闘技、チェス、ヴァイオリン、ピアノ、乗馬……」

「月並みな言葉しかでませんが、すごいですね……」


 彼はため息をつくと、包みに入ったままの飴を手のひらで転がす。


「今でこそ尊敬していますが、本当にひどかったです。オレの親は大道芸人でオレは客引きを担当していて、そこで同じく暴動に巻き込まれてそれから……」


 シャルマはそう言いかけて一度口を閉じた。そして再び困ったような顔をする。


「正直、殿下に拾われるまで、いや拾われた後も胸を張れるような人生を歩んでいません。だから、リィナさんを勝手に同情して憐れんでいました。オレと同じ平民の生まれで、殿下に目を付けられて、無理やり連れてこられた可哀そうな子だって。力になってあげたいなって。とんだ思い上がりでしたね」


 シャルマは持っていた飴玉をリィナに握らせ、そのまま祈るように自分の額に当てた。


「リィナさん、貴方は尊敬に値する女性です。今までの失礼な態度をどうか許しください」


 なぜシャルマがこんなに優しくしてくれるのか何度も不思議に思ったことがあった。単にリィナに甘いのではなく、誰にでも分け隔てなく優しい人なのかと思っていた。


「シャルマさん、顔を上げてください」


 懺悔する彼にそう言うと、リィナは続けた。


「私は……シャルマさんの優しさの裏にどんな感情があっても嬉しかったです」


 彼のフォローのおかげでアイリーンの厳しい態度には優しさが含まれていることが分かったし、ユリウスやガジェットの無茶ぶりもただ従うだけでなく、直談判という手段も有効だということも知った。


「私を憐れんでいたと言いましたが、シャルマさんはその人を思って言葉を選んでくれていました。価値観の違いから理解が足りない所を言葉で補ってくれます。いつも作ってくれる食事だって、ちゃんと美味しくて栄養があって私の能力のことを考えてくれているものです。憐みや同情だけでは到底できることではありません。人はそれを思いやりというんだと思います」


 リィナの言葉にシャルマが薄紫の目を見開いた。そしてリィナは握られていた手にそっともう片方の手を添えた。


「シャルマさんの思いやりは、ちゃんと私の支えになってます。だから、その謝罪を受け入れません。そのかわりお友達になってくれませんか? 同僚として互いに支え合うお友達です」


 まだぺーぺーの新人のくせにだいぶ大口を叩いたつもりだったが、シャルマは眉を下げて優しく笑い返してくれた。


「はい。こんなオレで良ければ喜んで」


 彼がリィナから手を離すと、開いた手のひらから飴玉が現れた。それを見たリィナは、祝福ではなくひらめきで脳内の卓上ベルが叩き鳴らされ、飴玉の包みを剥いた。


「シャルマさん、シャルマさん」

「はい、何ですか?」


 琥珀色の飴玉をリィナはシャルマの口元へ運ぶ。


「はい、あーん?」

「へぇっ⁉」


 素っ頓狂な声を上げるシャルマにリィナは首を傾げた。


「どうしたんですか、そんなに驚いて?」

「い、いや……リィナさんこそ、なぜそんなことを……?」

「え、なんでって。さっきやってくれたお返し?」


 さきほど疲れたリィナの口に飴玉を放り込んでくれた。互いに支え合う友達になったのだ。これは前世で言うところの盃を交わすというヤツである。


「ほら、口を開けてください! ほらほら!」

「え、あ、そ、その……」


 彼は隠すように顔に手をやると、小さく俯いてしまう。


「オレが軽率でした……どうかこれ以上はご勘弁を……」


 黒髪から覗く彼の耳が真っ赤に染まっており、リィナは意外なものを見た気分だった。


(え、もしかして恥ずかしがってるの?)


 普通に自分の口に飴玉を放り込んでいたので、てっきり子ども扱いされているのかとばかり思っていた。かつてリィナもチャーリーによくやっていたので、同じ感覚だった。


(いや、シャルマさんは年上だから年下の女の子にあーんさせてもらうのは恥ずかしくて当然か)


 これがチャーリーならもう一回ってねだってくるところだが、チャーリーはそもそも年下で弟のような存在だ。前世ではどうだっただろう。時代も文化も違えど、恋人でもない相手にこんなことはしない気がする。

 そう考え直すと急に恥ずかしさが込み上げてきた。


「ご、ごめんなさい! はしたなかったですよね! つい、チャーリーにやっているのと同じ感覚で! じ、自分で食べます!」


 早口でまくし立て、飴玉を自分の口に放り込もうとした時、その手をシャルマに掴まれた。


「へ……」


 そのまま口元まで持っていき、指先が彼の唇に触れたかと思うと飴玉はシャルマの口の中へ消えていく。

 リィナは解放された手を庇うように握った。


「え、なんでっ……⁉」


 困惑するリィナにシャルマはどこか拗ねたように口を開いた。


「その……ちょっと考えが変わりまして。無意識でやられるよりも、こっちの方がいいなーと」

「ど、どういうことですか、それはっ⁉」


 前世でも今世でも恋愛経験のないリィナには、男心というものが分からない。こっちがいいとはどういうことだろうか。

 彼はふっと笑うと、薄紫色の瞳が艶めいた。


「さっきのお返しのお返しです。オレがさっき拒んだ気持ち、ちゃんとわかってくれましたか? それとも……また今度、もう一回してくれます?」


 これはお礼のお返しではない。意地の悪い仕返しだ。それが分かった途端、頭のてっぺんまで熱くなったのを感じた。


「も、もっ……もうやりませんっ!」


 心から反省したリィナが声を絞り出すと、彼はしてやったりと年齢相応な笑みをこぼした。


「さあ、食事にしましょう」


 いつも通りの様子で彼がバスケットからテーブルナプキンなどを取り出していく中、リィナは熱が引かない頬に手をやる。


(熱よ、早く引け! このままじゃ、美味しいミートパイの味が分からなくな……)

「ちなみにミートパイの他にキッシュも作りました」

「キッシュ! タルトのお惣菜版!」


 さっきまでの恥ずかしさが光の速さで消し飛んだ。大喜びするリィナを見て、シャルマも嬉しそうに食べ物を並べていく。まずは差し出されたミートパイを口にする。


「いただきます!」


 ちーんっ!

 分析結果『おいしい』


「おいしい!」


 サクサクとしたパイ生地。中の肉はトマトが混ぜ込まれているおかげで甘さあって食べやすい。昼食というよりもおやつみたいだ。


「そういえば、リィナさん」

「ふあい」

「リィナさんから見るチャーリーなる人物はどんな人ですか?」

「チャーリーですか? いい子ですよ」


 もそもそする口の中を一度水で潤すと、リィナは続けた。


「貴族のお家にもらわれた後、彼は孤児院の為に慈善活動をしているんです。チャーリーが寄付してくれたお金のおかげで雨漏りも隙間風もなくなりましたし、ここ数年間、私も雑草を口にしてません」

「雑草っ⁉」

「それから冬の女神降臨祭では、毎年バターケーキを各孤児院に配ってくれているんです。あまり高額な寄付金や豪華なものを寄贈すると、わざと子どもを孤児院の前に捨てる親が増えるから、最近は医療技術向上の支援や領民の生活水準を上げるために自領の公共事業に精を出しているみたいで。ほっんとうにいい子ですよね!」


 彼が貴族の養子になると決意した時、彼はリィナに言ったのだ。


『今までボクを育ててくれた恩返しをしたいんだ』


 あの時のチャーリーはまだ八歳になるかならないかくらいの年頃だった。あんな小さかったチャーリーが自分を育ててくれた孤児院のためにそんな立派な考えを持っていたなんて思ってもなかった。この言葉を聞いた時、リィナの目から涙が滝のように流れた。


「それにお手紙をくれるたびに語彙力がメキメキ伸びてて、あの子の成長が目に見えて分かるといいますか……いつかあんな風に口説かれる女の子が羨ましく思いますよ! チャーリーもお年頃だし、情熱的なのできっと素敵なご令嬢を捕まえてくるだろうなぁ~なーんてっ……どうしたんですか、シャルマさん。天を仰いじゃって」

「いえ……その……チャーリーなる人物は、本当にお友達ですよね?」


 なぜみんな同じことを言うのだろうか。リィナが言ったことをちゃんと聞けば分かるはずだ。


「親友ですよ? 弟みたいではありますけど」

「そ、そうですかー……やっぱりオレが知るセイレン侯爵子息とは別人のようです。素晴らしい人格者ですね」

「で・す・よ・ね! 今度シャルマさんにご紹介しますね! 自慢の親友なんです!」


 シャルマの言うチャーリーはやはり別人だったのだろう。王宮で出来た初めての友達を紹介する日が楽しみだ。


 リィナが再びミートパイを齧り始め、頭の中が幸せいっぱいだったおかげでシャルマの「これヤバいな……」という呟きはリィナの耳に届いていなかった。

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