終章 リィナの平和な食事

第36話 終息

「やあ、呼び出してすまないね」


 夜会の一件から翌日、アイリーンとシャルマと一緒に仕事をしていたリィナは、ガジェットに呼ばれ、アイリーン達と共に執務室へ行った。


 ニコニコしたユリウスが室内で待機しており、すぐに彼は本題へと入る。


「実はね、先日の一件のことで分かったことがあるんだ。ヒルデガルドを連れて行こうとした男はヒルデガルドを担ぎ上げて能無しの王族を即位させようと企んでいたみたいなんだ」

「ヒルデガルド殿下をですか?」

「そう、十年前の暴動で王家にも能無しが生まれることを公表しただろ? そのことから能無しを王にして、民の支持を得ようって考えていたみたいだ」

「でもなんで、ヒルデガルド殿下なんですか?」


 リィナがそう疑問を口にした時、アイリーンも同じ疑問を抱いたようだった。


「そうですね。王女であるヒルデガルド殿下より、ユリウス殿下を担ぐべきではなくて?」

「私はバルロード侯爵令嬢に追われているからね。第一妃に取り込まれる可能性を視野にいれたんじゃないか? それに第一妃は絶対にディスラプター……反女神信仰には加担しないだろうしね」

「なんでですか?」

「第一妃は隣国から嫁いできた身でね。実子であるルーヴェン兄上に即位してもらわないと困るだろ?」

「あー」


 いくらユリウスを取り込めたとしても、実子が即位しなければ意味がない。嫁いできたならなおのことだろう。


「とはいえ、ヒルデガルドに即位されると困るんだよね。私としてはこのままルーヴェン兄上に即位してもらいたいわけだし」

「殿下は第一王子が即位するのを賛成なんですか?」

「まあね? 信頼できるかどうかはさておき、ルーヴェン兄上は別に冷酷なわけじゃないし、第一王子妃のエリーゼ姉上は人格者だからね。フィリップ兄上がエリーゼ姉上以上に人格者なご令嬢を連れてくるか、第五王子のセオドアの祝福が分からない限り、それは揺るぎないかな?」


 ユリウスがおどけていい、リィナはふと首を傾げる。


「殿下は王位に興味がないんでしたっけ?」

「うん、もちろん」

「理由を聞いてもいいですか?」


 それを聞いたユリウスは、一瞬ぽかんとするも、にやりと笑った。


「リィナ……私の夢はね。可愛いお嫁さんと子ども達に囲まれて平凡に暮らすことなんだよ」

「………………は?」


 思ってもない考えにリィナも虚を突かれた気分だった。

 まさか、斬新なジョークか何かだろうかと、隣にいたアイリーンとシャルマを見れば、彼らは静かに首を縦に振っていた。どうやら、本当にそう考えているらしい。


「もちろん、結婚相手を自分で探すのは難しいだろうけど。それでも家族と穏やかに過ごす未来を得ることはできるだろう?」

「まあ、確かに」

「それを実現させるためにはね。リィナ、君の力も必要なんだよ?」

「え、私もですか?」


 リィナが自分を指さすと彼はにっこりと微笑んだ。


「ねぇ、リィナ。君が持っている知識はどこで教えてもらったのかな?」

「私の知識ですか? えーっと……優しいおじ、じゃなかった。レイモンド公爵に派遣してもらった家庭教師からですかね?」


 レイモンド公爵は慈善事業に熱心で、定期的に孤児院の子ども達に読み書き計算などの勉強を学ぶ機会を作ってくれた。他にも物語や図鑑を寄贈してくれたりもしたのだ。

 そのため、リィナは自分の前世の知識の理由を騙る時は、隠れ蓑にそう言っている。


「それがどうかしたんですか?」

「はぁ……リィナ。それは本気で言っているのかい?」


 大きなため息をつきながら、ユリウスは額に手を置いた。彼の言っている意味が分からず首を傾げていると、ユリウスは苦笑する。


「レイモンド公爵から君の話を聞いているよ。彼は十年前の暴動以来、慈善事業に熱心で君とも交流が深かったんだろう?」

「え……ええ、そうです。レイモンド公爵の素性を知ったのは、この間の夜会ですけど」

「その頃から、君は達観しているとまでは言わなくても、他の子どもとは違う感性の持ち主だったようだね? なんでも、子どもの視点から欲しいもの聞いて支援したいと申し出たら当時五歳の君は『雨漏りしない屋根と隙間風のない壁が欲しい』と言ったとか? 公爵からその話を聞いた時は笑ってしまったよ」

「や、やめてください! 当時は子どもながらに真剣だったんですからね!」


 そう、当時のリィナは真剣だった。屋根や壁の修復は難しいと言われた後、『自分で壁の隙間を埋めるから粘土をくれ』と言ったくらいには。

 それにはユリウスも同情しているのか、リィナを笑わずに頷いてくれる。


「ああ、分かっている。君が自分の生活を脅かされた時に必死になることや、誰かの為に惜しみなく知恵をふり絞ることもね」

「殿下……?」

「ねぇ、リィナ。この国にはね。食中毒って言葉はないんだ」

「………………は?」


 リィナはガジェット、アイリーン、そしてシャルマの顔を順々に見つめる。彼らはゆっくりと頷き、ユリウスの言葉を肯定する。


「ない? え? なんで? じゃあ、食べ物を食べてお腹が痛くなったらなんて言うんですか⁉」

「食あたり……かな? 食べ物が痛んでいるのが原因だと言われているよ? 第一、君は生野菜に潜んでる菌……だっけ? それって一体何の菌なのさ?」

「そりゃ、畑の肥料ですよ! 家畜の糞尿の菌がついたまま、身体に入るんです! それで……」

「そもそも、そういう発想がないんだよ。リィナ」

「え……」

「ずっと隠していたけど、私は祝福のおかげで人よりも記憶力がいいんだ。読んだ本の内容は一字一句覚えている。地味な祝福なりの隠れ蓑を作るために、色んな知識をこの頭に叩き込んでいるんだ。だから、君が言っていた、でぃーなんとかっていうのもそう。この時代に、君が持つ知識は立証されていない。もはや現実離れした妄想に近いんだ」

「なっ!」

「もし、それが本当だとして、君は誰からそれを学んだんだ?」

「え。ええっ……それは……」


 前世の知識だ。前世はこの時代よりもずっと文明が発達している。世界が違っていても、前世と世界観が似ているため、それなりに前世の知識が通用してきた。しかし、進み過ぎた知識は、この時代ではまだ確立されていない。リィナが言っていることに、証拠がなければもはや妄想に近いのだ。

 ユリウスは頭が切れる。下手な言い訳は通用しないだろう。


「えーと……そのぉ……私の妄想だと受け取られても仕方がないのですが……」

「なんだい?」


 リィナは祈るように両手を握った。


「とても信じられないことなのですが……私、生まれる前……別の人生を歩んでいた記憶があるんです」

「…………」


 ユリウスの表情がいっそう険しくなる。


「リィナ、もっとマシな嘘をつけなかったのかい?」

「ほ、本当です! 前世の私がいた世界はここよりもずーっと文明が進んでいるところだったんです! えーっと証拠、証拠……例えば、シャルマさんが教えてくれたヒ素! なんでヒ素が銀に反応するかというと、ヒ素に含まれる他の鉱物に反応するんです!」


 それを聞いてユリウスだけでなく、アイリーン、ガジェット、シャルマも瞠目する。


「試してもらうと分かります! 逆に、純度の高いヒ素を使えば、銀に反応しないはず! 純度の高いヒ素の精製方法は……むぐっ!」


 シャルマによってリィナの口は塞がれ、皆がほっと息をついた。


「分かった。君の知識の源についてはよーく分かった。いったん信用しよう。もし、それが本当なら大問題だからね」


 リィナは口を塞がれたまま、大きく頷くと、ようやく塞がれた口が解放される。リィナがシャルマを見上げると、彼は申し訳なさそうな顔をした。


「手荒なことをしてすみません。誰かに聞かれたらまずい内容だったので」

「こちらこそ、取り乱して申し訳ありませんでした……」


 リィナはしゅんと身体を小さくさせると、ユリウスは言った。


「君の知識がちゃんと確信が持てるまで、陛下への報告は延期だな。それに、君に逃げられたりしたらと私としても困るし。知識も、祝福も使えそうだしね」

「ほ、本当です……?」

「当たり前だろう? 少なくとも君が私に害意がないことは明白だ。怪しい素振りも一切しなかったしね。それに君は美味しいご飯が食べられれば、満足だろ?」

「ええ! もちろん!」


 元気よく返事をするリィナを見て、ユリウスは肩をすくめる。そして、背筋を伸ばし、部屋にいる皆を見渡した。


「ガジェット、アイリーン、シャルマ、リィナ。君たちは私の野望の為に、必要な人材だ。主の穏やかな人生は、君たちの人生にも繋がる。王宮にいるまで、そして王宮を出て貴族となった後も、私は君たちの為に、精いっぱい働くつもりだ」


 ユリウスはそういうとにっこり笑った。


「私もニールの、弟の分まで、しっかり生きていかないといけないからね」

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