第4話 前準備
翌朝、部屋に用意された侍女のお仕着せに身を包む。髪はいつも通りに三つ編みにすると、迎えにきたアイリーンが眉間に皺を寄せていた。
「芋臭いわ……」
「え、芋ですか?」
確かに昨日の食事に芋は入っていたが、匂うほどだろうか。風呂も使わせてもらったので体も綺麗になっているはずだ。
「ええ、芋よ。まずはその髪型!」
びしっとリィナの髪を指さした。
「王族直属の侍女が三つ編みなんてありえません! そしてその顔!」
「ぶひょっ⁉」
顔面を鷲掴みされ、リィナはブタのような声を上げた。
「化粧をせずに人前に出るなんて、裸で戦場に出るようなものですわ! まずは貴方を性別女性にするところから始めないといけないようですね!」
「うばみゃるだばだばっ⁉」
「お待ちください、アイリーン嬢⁉」
アイリーンと共に訪れていたシャルマが慌てて二人の間に入った。
「か、彼女は孤児院出身なのですよ⁉ いきなり化粧なんてできません!」
「いいえ、シャルマ。女性は幼い頃から化粧に多少の憧れを持つものです。そして自然に美しくなろうとその術を身に付けようとするのです! 平民とはいえ、お小遣いで化粧の一つや二つ買うくらいするでしょう⁉」
「何度でも言いますよ? 彼女は孤児院の出身です。そんな余裕はありません! 孤児院はどんなに寄付を募っても一般的な贅沢はできません!」
そう、いくら寄付があろうと施設の改修や衣服、食事ですぐお金が無くなる。祝福の能力によって職人の下で働きに出ている子もいるが、その給金は施設の職員が管理しており、好きに使えないのだ。ちなみにそのお金は明細とともに独り立ちした時に渡されるようになっている。
「ましてや孤児院の子どもが化粧をして街を出歩けば、変な男に路地裏に連れ込まれたり、金があると思われて強盗に遭ったりします。下手に着飾らないことも、平民は身を守る盾になるのですよ!」
見かけによらず、はっきりと主張するシャルマに、アイリーンは厳しい顔をしながらも大人しく頷いていた。
「なるほど……わたくしが世間知らずでしたわ。昨日は綺麗に身支度されていたものですから」
「あれは殿下の前に出るからです。身支度を他の侍女達にお願いしました」
「あら、そうでしたのね。リィナ、ひどい物言いをしてごめんなさい」
あっさりと自分の非を認めてリィナに頭を下げるアイリーンに、シャルマは嘆息を漏らした。
「リィナさん。彼女は少々……いえ、たいぶ苛烈……あー熱血、でもなく……色々一生懸命な女性でして……悪い人ではありません。本当に一生懸命過ぎる人なのです」
どうにか優しい言葉を選んでいるシャルマの表情から、アイリーンが印象に違わず仕事に厳しい女性だとリィナも理解ができた。
「それと、彼女は貴方と顔合わせをするまで、ヒルデガルド王女殿下の下にいました。だから勘違いをしたようです」
「え。でも確か……ユリウス殿下の専属だって……」
「こほん。それは貴方の身支度を整えながら説明いたします」
アイリーンはリィナを椅子に座らせ、リィナの髪に櫛を通していく。
「まず、殿下には御兄弟がいるのはご存じ?」
「はい」
現国王陛下には三人の妃がおり、ユリウスは六人兄弟。
第一妃の子である、第一王子、第一王女、第二王女。
第二妃の子である、第二王子、第三王女。第五王子
今は亡きユリウスの母、第三妃の子、第四王子。
そのうち第四王子は夭折──すでに亡くなっており、第一、第二王女は国内の貴族へ降嫁され、現在王室には四人の子どもがいる。
たしか、ヒルデガルド王女は第二妃の娘である。
「実はわたくし、第二妃であるベアトリス様とは少々ご縁がございまして。時々、ヒルデガルド殿下を躾に……こほん、家庭教師をしています」
(今、躾って言わなかった?)
まさか先ほどのような態度で王女に接しているのだろうか。そもそも伯爵令嬢が王女の家庭教師とはどういうことだろう。
「つい最近、ヒルデガルド殿下の乳母が休養に入り、代わりに私が王女のお世話をしていました。常に刺客が入り込んで気の休まらない日々で大変でした」
「はいっ⁉」
「ほら、首を動かさない!」
「あだだだだだっ」
振り向こうとしたリィナの頭を抑え込み、アイリーンはさらに続ける。
「第一妃と第二妃は犬猿の仲で学生の頃から喧嘩をされていたそうです。しかし、第一妃が喧嘩で勝てないと悟った今では、第二妃と顔がそっくりのヒルデガルド殿下に標的を定めて、刺客を放っているのです」
さらりと告げられた真実に、リィナは言った。
「まさか、その乳母さんは刺客に……?」
「いえ、あれはただのぎっくり腰です」
「なんだよかった……」
ほっと胸を撫で下ろした時「できましたよ」と声を掛けられて鏡を渡される。
「わっ! すごい!」
長い銀髪は後ろでお団子にし、青いリボンでまとめられていた。ところどころ編み込みもされていて一気に垢抜けたように見えた。
「今日はひとまずこの髪型にします。やり方をお教えしますので、毎日練習するように」
「はい」
「次、化粧!」
「びゃっ⁉」
顔に冷たいものを掛けられ、顔全体に塗りたくられる。
「王宮では十五歳までに祝福が判明しなければ、王位継承争いから外されます。そのため、ユリウス様は王位継承権から最も遠い位置にいます」
(そういえば、殿下って祝福が判明しないから能無しって言われているんだっけ?)
今では能無しと言われるが、昔は『女神から愛されなかった忌み子』と呼ばれ、異端扱いされていた。しかし、王族にも祝福が判明しない者がいると公表されたことで、『忌み子』という呼び方は忌諱するようになった。
「この国では最も有能な祝福を得ているものが王太子となるのが習わしです。以前は未来視の祝福を持つ第四王子が筆頭でしたが、早くに亡くなられてしまいました]
顔をペタペタと触られていて、頷くこともできない。彼女はどこから出したのか、化粧箱からおしろいを出してリィナの顔を叩く。
「現在、王位継承権第一位は第一王子ですが、第五王子の祝福が判明していません。第五王子は第二妃の子なので、第一妃は警戒しているでしょうね」
今度は筆を使い、口に紅を引いていく。それがくすぐったく笑いそうになると軽く頬を叩かれた。
「ユリウス殿下の地位はそれほど高くなく、誰からも期待されず、命を長らえればそのうち爵位を得て適当な領地を任せられる未来です。わたくし達は少数精鋭部隊で殿下に仕え、お守りするのが役目です。何かご質問は?」
紅を引き終え、口元が楽になったリィナは言った。
「えーっと、その言い方だとまるで王宮が戦場のように聞こえるのですが……」
「戦場でしてよ、王宮は」
「むしろ、魑魅魍魎の巣窟だと思っていただいて結構です」
昨日は精一杯リィナに気を遣っていたシャルマさえも、はっきりと言い切った。
「本当に殿下の生活は大丈夫なんですかっ⁉」
「第一妃はヒルデガルド殿下と第五王子に気を取られていますからね。ユリウス殿下は今のところ大丈夫です」
「ほ、本当……?」
「ええ。はい。仕上がりましたよ」
再び鏡を手渡され、リィナはぎょっと目を見開いた。
「こ、これが私……⁉」
大げさではなく、まったくの別人のようだった。おしろいと頬紅によって整えられた顔色、淡く色づく唇。目もともくっきりさせて愛嬌が増していた。ここまで変わると、世の女の子が必死に化粧を覚える気持ちが分かる。
「お化粧も必須課題ですわ。リィナは化粧映えもしますから力を入れて叩き込みます。明日の午後は生活品を買いに行くついでにお化粧品もみましょう」
「ぜひ!」
伯爵家のアイリーンとリィナでは金銭感覚が違うだろう。しかし、最低限の化粧品は揃えたいという気持ちが湧いた。
「ほら、シャルマも! 男ならリィナに言うべき言葉があるでしょう!」
そうアイリーンに小突かれるが、彼は眉一つ動かさずにリィナの顔を見た。無言のまま見つめられ、リィナが不安になってくる。
彼がようやく動いたかと思うと、化粧箱から小瓶を取り出した。
「シャルマさ……つべたっ⁉」
彼は無造作にリィナの顔に液体を塗りたくると、今度は布で顔面を拭く。綺麗に化粧を落とされ、今度はアイリーンから悲鳴が上がった。
「ああぁっ⁉ わたくしの力作が⁉ なんてことをするのシャルマ!」
「アイリーン嬢……これはダメです。絶対に、ダメです」
アイリーンに胸倉を掴まれてなお、彼は冷静に首を横に振る。
「一体何がダメなのですか! このくらい着飾らないと離宮はブスしかいないのかと鼻で笑われますわ!」
「アイリーン嬢……リィナさんが第一妃に目を付けられてしまいます」
「………………失念していたわ」
アイリーンから解放されてシャルマが短くため息を漏らすのを見て、リィナは恐る恐る口を開いた。
「あのう……似合いませんでしたか?」
「いえ、そんなことはありませんよ。」
彼はそう言うと、おしろいとパフを手に取った。
「今度はオレがやりますので、そのままでお願いしますね、リィナさん」
「え…………えぇえええええええええええええっ⁉」
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