第3話 同僚
「まあっ⁉」
午後、約束通りにシャルマとやってきた女性は、驚愕な顔でリィナを見ていた。
歳はリィナの少し上の女性だ。乱れなく整えられたブロンドに、元々整っている顔立ちは化粧が施されていてより隙がない。仕事の出来る女性というのがリィナの印象だった。
シャルマに紹介された女性の名はアイリーン。ユリウス付きの侍女であり、リィナの先輩だ。
リィナはアイリーンに挨拶をすると、彼女は頬に手を当てて驚き、そのまま固まってしまった。一体何に驚いているのだろう。アイリーンはシャルマを見やる。
「シャルマ、殿下はちゃんと彼女に侍女についてお話はしたの?」
「侍女の仕事の内容説明は、教育係に丸投げされました」
「なるほど……では、リィナ。王宮で侍女として働く女性はどんな方かご存じ?」
「いえ……わかりません」
素直に答えるとアイリーンは自分の胸に手を置く。
「わたくし、伯爵家の生まれですの」
「伯爵……っ⁉」
五等爵の中でもいい位の家柄ではないか。驚きを隠せないリィナにアイリーンは小さく首を振る。
「伯爵といってもピンからキリまでいますから。その中でも私は中の下くらいの家柄で三女ですの。貴族の娘は行儀見習いとして他家や王宮に務めることがあります。中でも王宮は憧れの的です。結婚にも優位ですし」
「じゃあ、平民の私が働くなんてとんでもない場違いなのでは……⁉」
「そうですね。下働きならともかく、特に王族の侍女となれば、嫉妬を買うこともあるでしょう」
知らなくても無理はない。リィナは根っからの平民で、貴族の事情など知る由もない。平民の小娘がいきなり王族の侍女に抜擢されたとなれば、周囲からの反感を買うことになるだろう。この国の就職口が適材適所とはいえ、これは逃げられない。
「おそらく殿下は貴方を信頼のおける貴族と養子縁組をさせるでしょう。私は貴方を侍女としての教育だけでなく、どこに出してもおかしくない素敵な淑女に教育していくつもりですわ」
愕然とするリィナにシャルマが困った様子で笑顔を浮かべる。
「リィナ嬢、アイリーン嬢だけでなく、オレやガジェット様も貴方の教育に立ち会う予定ですのでよろしくお願いしますね」
「はい……」
思ったよりも高密度な予定を走ることになりそうだった。
アイリーンの説明により、リィナの自室は離宮の他に使用人寮にも個室を用意されている。通常は離宮の部屋に滞在し、休日は寮の自室に戻るように説明された。
アイリーンはリィナを離宮の自室へ案内すると、すぐに仕事に戻って行く。シャルマはこのまま休みをもらっているらしく、専属の使用人達が使う休憩室へ案内してくれた。移動中、侍女やメイド達から痛い視線を向けられ、針の筵に立たされている気分だった。
(胃が痛い……っ!)
「大丈夫ですか、リィナ嬢」
シャルマが紅茶を淹れてくれ、小さな焼き菓子まで出してくれる。
「良ければ、これを。甘い物は心を和らげてくれますから」
「あ、ありがとうございます……」
そう言うと彼は短く「いいえ」と答え、はにかんだ笑みを浮かべる。
リィナはなぜか落ち着きがなくなり、彼の笑みから逃げるように一口サイズのクッキーを口にした。贅沢な甘さと香ばしいナッツ風味がリィナを幸せにしてくれる。
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しい……」
「お口に合って良かった。このお部屋はガジェット様やアイリーン嬢も利用するのですが、二人もよく甘い物を食べるのです。だから、こうしてお菓子を常備しています。リィナ嬢も好きなものを置いてください。あ、個人的なものは名前を書かないと腹ペコ虫に食べられるので、気を付けくださいね」
冗談めかしに言う彼にリィナは笑みをこぼすと、彼は安心した顔をする。
「ようやく笑ってくれましたね」
「あ……えーっと」
「急にここへ連れてこられて、さぞかし不安だと思います。特に貴方は女性ですから」
彼はそう言うと、リィナの向かい側の椅子に腰を下ろした。そして、同じクッキーを口にした。
先ほどから彼が気遣ってくれているのが痛いほど伝わってくる。それが少しだけ居心地を悪くさせた。
「心配してくださりありがとうございます。シャルマ様、できれば私のことは普通に呼んでください。私は平民なので……敬語も結構です」
リィナの言葉に、彼は少し困った顔をして首を横に振った。
「実を言うと、オレも平民の出なのです。殿下に拾われて今の立場にいます」
「そ、そうなんですか⁉」
物腰も柔らかく、言葉遣いも丁寧で、立ち振る舞いも洗練されていたため、生粋の貴族だと思っていた。
「ええ、意外と侍従は祝福の能力によって選出されることが多いのです。オレもその一人です」
そうなると、彼はそれなりの地位にいる人間なのではないだろうか。リィナの表情から察したのか、さらに付け加える。
「一応、訂正させていただくと、オレはそれほど偉くありません。どちらかというとガジェット様の下で使いっ走りをしている身なので、気楽に接してください。敬語も癖のようなものなので気にせず。貴方のことはリィナさんとお呼びしていいでしょうか?」
彼がどういう身分か分からないままだが、リィナは素直に頷いた。
「は、はい。では私もシャルマさんとお呼びします」
そう言うと、シャルマは嬉しそうに頷き返した。
「ええ。これからよろしくお願いしますね」
「はい!」
「それから、何が食べたい料理があれば、オレに言ってください。メニューにもよりますが、最短でご用意できるようにいたしますので」
食べたいものを誰に頼めばいいのか分からなかったが、シャルマが手配してくれるらしい。彼に頼むのであれば、リィナも少しだけ緊張しなくて済む。
「で、では……早速いいでしょうか」
「はい。なんでしょう」
リィナはきゅっとする胃の辺りを抑えて言った。
「しばらくの間は、消化によく食べやすいものをお願いします……」
実を言うと別棟に隔離されていた間、身体は元気だったが、孤児院の院長や子ども達が心配で気が休まらなかった。おまけに、周りの世話をしてくれる侍女達にも気を遣い、王族の傍で働くという事実。
「あと、できれば情報量の少ない質素なものを……っ!」
そして、連日食べたことのないものを口にしたせいで祝福が発動し、食事の間、脳内で卓上ベルが連打されていた。膨大な情報が濁流のように頭の中へ押し寄せ、リィナの精神疲労は増しに増していた。これからも食べた事のないものを口にする機会が増えるだろう。慣れるまでは食べ慣れたものを食べたい。
シャルマはどこか可哀そうなものを見る目で頷いた。
「黒パンと……野菜スープにしますか?」
「できれば、薄味でお願いします!」
「かしこまりました」
その夜、さっそくリィナの希望に沿った食事が配給された。
焼かれたばかりの黒パンは柔らかく、スープは具がたくさん入っている。
(まずは一口……)
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しい!」
薄味で具の野菜もリィナが食べ慣れたものばかりだ。リィナはようやく、ほっと息をつくのだった。
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