第27話 久しぶり
お休みから六日目と七日目は書庫で過ごした。やはり部屋に籠るより、広い空間にいる方が気楽だ。植物、魚についての本があったが、どれも小難しく書かれたものばかりだ。書庫の職員に分かりやすいものを探してもらったり、関連書籍をお勧めしてもらったりした。
さらに書庫の蔵書を増やす予定があるらしく「今、何に興味があるの?」とか「他にも興味があるものある?」と質問されたことあった。毒見に関する本よりも料理本の追加を頼んでしまったが、後悔はしていない。
それなりに有意義な時間を過ごした休日最後の夜。いまだにリィナの祝福は戻らないままだ。
明日には離宮に戻ることになっているが、このまま祝福が戻らなければクビにされるのを覚悟しないといけないだろう。
不安を抱えながらもリィナが食堂でパスタを食べていた時だった。
「──ん?」
蚊の鳴くような音が聞こえ、リィナは口に運ぶ手を止める。
七日も経てば、さすがに音が聞こえないのも慣れてきた。食べ物を咀嚼していると、また蚊の鳴くような音が聞こえ、リィナは耳元を手で払うような仕草をする。
しかし、音はまだ消えない。
(しつこい虫だな……さっさと食べちゃお)
リィナが食事を終えるころには虫の音は止んでいた。いつのまにかどこかへ行ったのだろう。
(もっと落ち着いて食べたかったなぁ~)
自室に戻りながらそう考えていると、自室のドアノブに小さな籠がかけられていた。
リィナは訝し気にその籠を手に取ると、それには一通の手紙が添えられている。
『リィナさんへ
お元気ですか? お休みの間、ゆっくり体を休めたでしょうか?
明日から出勤するリィナさんのために殿下から許可をいただいて、ジンジャーブレッドクッキーを焼きました。
良かったら、食べてください。明日からまた頑張りましょうね。
シャルマより』
「シャルマさんっ!」
リィナは嬉しさのあまりに籠を抱えて、自室へ駆け込んだ。
「シャルマさんの手作り……久しぶりの手作り!」
机に座り、籠にかけられた布を取ると、かわいく型抜かれたクッキー達が顔を出した。
花や動物に型抜かれ、アイシングで可愛らしく模様が描かれている。特に目立つのは表情豊かなジンジャーブレッドマン。ドライフルーツを装飾品に見立てて可愛らしい服をまとっていた。
「た、食べるのがもったいないっ!」
感動のあまりに声が震える。
まさにリィナの求める食の楽しみがぎっしりと詰まっていた。
(なんでこの世界にはカメラがないの! 冷蔵庫があるんだから誰か発明して!)
このまま保存しておきたいくらいだ。しかし、自分のためにシャルマが作ってくれたものを食べない選択肢はない。
おどけた顔をしたジンジャーブレッドマンを手に取り、じっくりと見て楽しむ。頭から食べるか、足から食べるか悩んだ結果、一思いに頭から齧った。
ちーんっ!
分析結果『おいしい』
「美味しい! …………ん?」
リィナは我に返ってジンジャーブレッドマンを見つめた。首がなくなったジンジャーブレッドマンを再び口に入れる。
ちーんっ!
分析結果『小麦粉、バター、しょうが、シナモン……』
聞き慣れた卓上ベルの音が脳内で鳴り響き、材料が列挙された。
「あ……ああ…………」
ジンジャーブレッドマンを持つ手が震える。ぽろぽろと目からは涙が零れてきた。
「や…………やったぁあああああああああああああああああああああああっ!」
◇
翌日、離宮へ戻ったリィナが真っ先にユリウスの執務室へ向かった。ドアを開けると、ユリウスがにこりと微笑む。
「やあ、リィナ。その顔から察するに、祝福は戻ったみたいだね?」
「はい! お騒がせしました! リィナ、復活です!」
リィナは室内を見回すが、アイリーンとシャルマの姿がない。ユリウスの傍にはガジェットと見知らぬ顔の護衛がついていた。
「あ、あの……シャルマさんとアイリーン様は?」
「ああ、アイリーンは今日の午後にでもヒルデガルドのところから戻る予定だ。シャルマは……どうだろうな……」
ユリウスは横に控えている青年に視線を送る。体格のいいその青年はシャルマやガジェットよりも背が高く、鋭利な目つきをしていた。目元には小さな傷があり、いくつもの死線を潜り抜けた猛者のような印象を与えた。
青年は無表情のまま答える。
「シャルマのことでしたら、来週までには戻るかと……」
「来週……」
今日会えると思って楽しみにしていたリィナは、休憩室に置いてある空の籠を思い浮かべた。
(来週は遠いなぁ……)
一週間の休暇を思い出して、ぐっと寂しさが増す。そんなリィナに向かって青年が遠慮がちに声をかけた。
「あ、あのう……もしシャルマに伝えたいことがあれば、私が言付けを預かります」
その申し出に、リィナは笑顔を作り、首を横に振った。
「いえ、とても個人的なお礼なので、私が会って直接伝えます!」
昨日のジンジャーブレッドクッキーの感動は、直接本人に伝えねばならない。来週に会えるのなら、興奮冷めやらぬ今よりも落ち着いて話せると思えばいいかもしれない。
「気を遣わせてしまい、申し訳ありません。ありがとうございます」
「いいえ」
彼はそういうと、鋭い目を和らげて微笑む。
「そういうことでしたら、きっとその方が彼も喜ぶと思います」
(あれ、この笑い方……)
その笑い方にリィナは既視感を覚えたが、ユリウスの呼び声によって思考を引き戻された。
「リィナ、君が休んでいた間の情報を共有したい」
「は、はい!」
ユリウスは青年に人払いを頼む。そして、室内に残ったのはガジェット、ユリウス、リィナだけになった。
「ガジェット」
「かしこまりました」
ガジェットは胸ポケットから手帳を取り出す。
「まず白百合の塔の件ですが、犯人は捕まっていません。特殊な祝福持ちの可能性があるため、護衛の数を増やして警戒しております。一週間後に王宮で舞踏会の開催を控えていますが、今のところ延期や中止の予定はありません」
「え、中止しないんですか⁉」
「国内行事の中でも指折りの催しだからね。この舞踏会は多くの貴族令嬢達が社交界デビューする日なんだ。地方から集まっている貴族もたくさんいるし、国外からのお客様もいる。そう簡単に日程は変えるわけにはいかない」
ユリウスも嘆息を漏らし、遠い目をしていた。
「この舞踏会にはユリウス殿下も側仕えの私も参加します。特に殿下はヴァイオリンの演奏を披露する予定ですので、この一週間はその稽古や王宮の楽師達とダンスホールで予行演習、打ち合わせに参加します。それから、衣装と装飾の受け取りと試着をして最終チェックがあります」
(相変わらず過密な予定……)
リィナは気合で頭に叩き込んでいると、ガジェットは言った。
「リィナ、貴方にはアイリーンとともにドレス合わせをしてもらいます」
「はい! …………はい?」
勢いよく返事をしたものの、リィナは思わず聞き返した。
「誰のドレス合わせですか……?」
まさかユリウスが着るわけではないだろう。もしかしてアイリーンだろうか。伯爵家の令嬢だと言っていたので舞踏会なら参加してもおかしくない気がする。
ユリウスはにっこりと笑う。
「君だよ、リィナ」
「わ、私ぃ⁉ な、なんでですか⁉」
舞踏会というのは貴族が参加するもので、平民のリィナが参加するようなものではない。ましてや自分は侍女だ。
「あ、わかりました! 給仕役ですね! 人手不足ならお任せください!」
「どこの国にドレス姿で給仕をする舞踏会があるんだ? 君は貴族のご令嬢として参加するんだよ」
「えぇえええええええええ⁉ な、なぜ⁉ どうして⁉」
「実はこれには深~いわけがあってね…………ヒルデガルドの母上、第二妃のベアトリス様がとんでもない無茶ぶりを振ってきたんだ」
「む、むちゃぶり……?」
ユリウスは深く頷き、遠い目をしながら語った。
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